機会の論理ー農本主義とデモクラシー
「諸条件の平等」
ヨーロッパ社会との違いであり、存在理由
特権の否定
もちろん、フランクリンやクレヴクールが「身分の壁がない」というときは相対な問題ではある
実際、機会の均等は公然たる、あるいは隠微な差別と表裏して存在していた
差別化の正当化
個人の能力の開発に基づく差別が認められ、人為的・制度的差別は否定される(倫理的には)
限嗣相続制と長子相続制の廃止
ジェファソンの信教自由法
「牧師の貴族制を打倒」
ジェファソンは私有財産制や財産相続制を否定しようとしたわけではなく、彼自身も財産の相続に基づく大プランターである。また、宗教を否定したわけではない
特権の廃止、参加の均等
スポイルズ・システム
官職が東部のエリートに特権的に独占されていることに対する挑戦であり、特権の否定
「人々をいくつかの社会階級に分化し固定化してしまう特権的な身分制・限嗣相続制・栄典制などがないために、民主主義国では、自らの行動によって偉くなったものを別とすれば、お偉方などはいないというのが真実のところである」ー『アメリカの民主主義者』
クーパーはジャクソニアン・デモクラシーに対しては批判的である
立場にかかわらず、アメリカ人であれば「特権の否定」には同意しなければならない
独立自営
内面的基底として、ピューリタン信仰が、あるいは脱宗教化されたピューリタン倫理がある 絶対者としての人格神との対面の意識の下に培われる厳格な自己規定・自己責任のエトスが自発的な決定参加にとって大きな支えである
外面的根拠としては、アメリカという風土がある
移民がもとめる「地位」は自己の土地をもった独立自営農民の地位を意味した
ヨーロッパでの農民は小作人である。土地を借り、税金や小作料をおさめる
が、アメリカでは農民は土地所有者であり、他の階層と地位を同じくし、議員をえらぶ発言権もある(トマス・クーパー) 広大な土地空間が、成功の夢を現実化
ただし、実際に現実であるかというとそうでもない。アメリカ南部では少数の大プランターと貧農という階層分化 相対的には、土地の価格がヨーロッパと比べてはるかに安く、入手が簡単である
19世紀前半のアメリカ史は、領土膨張の歴史でもあり、拡大された領土の配分をめぐる諸利害の争いの歴史でもある 政府の払下げ政策(自営農地法)
独立自営というアメリカの夢を制度化、恒久化
ただし、この年は南北戦争を契機に工業化に突き進んでいく年でもある 農民と「アメリカ精神」
広大な土地空間
独立自営農民をアメリカ人のあるべき人間像とした
アメリカを農民の国として描いた
農業・農民とアメリカン・デモクラシーの一体化
「勤勉・節約」のエトスの体現を農民の中に認めている
農民・農民生活を情緒的に描いた
倫理的・政治的信念
「もし神が選民というものをもち給うとすれば、この大地を耕すものこそ、神の選民である」
アメリカの農民像
資本主義下の営利的農業
「農村の小企業家」
南北戦争以降の工業化とともに、ますます発展(相互市場化)
農民の発言権も大きい
農民は「国の宝」
アメリカ的美徳が存続している土地
アメリカン・デモクラシーの永遠の泉
議会における過大代表、圧力団体活動を通して農産物価格支持の補助を受けている
自助の伝統に立って社会保障制度には反対
農業従事者は全就業者の1割にみたなくなったが、アメリカ的美徳のバックボーン、「組織の中の人間」の郷愁をかきたてる存在である
教育の普及
アメリカにおける成功と教育は無縁?
反主知主義の伝統はあれど、反教育主義ではない
機会の倫理と教育
機会の倫理の要求
財産面では土地所有
政治参加の面では普通選挙制
教育面では無償教育制
教育は個人の成功への重要な道具、そしてアメリカ社会そのものの成功にも欠くことはできない
競争のハンディキャップをなくす
※知的特権主義である学歴主義は排斥
移民社会であるアメリカで、人々を「アメリカ化」するための道具
ピューリタン社会での教育
ピューリタン社会では万人が聖書を読むことが要求されたため、教育が必要不可欠であった
読む力が一部の階級の特権的独占物ではなく、万人に読む力を養う機会を与える
個人の解放・開発
ピューリタン正統主義をまなばせ、ピューリタン体制に順応させてゆくという意味
体制の確保
民主主義と教育
ジェファソンは普通教育制の確率に熱心だった
民主政治の前提条件であり、必須条件と考えた
政策決定への参加は、最低限の知識なしにはなしえない
各タウンシップ(36マイル平方)ごとに1セクション(1マイル平方)が教育のために保留される
教育が公の負担でなされるという原則が制度化
教育施設を充実すべきことが定められた
教育は市民教育に必要不可欠である
成功の機会としての教育
ジャクソニアン・デモクラシー
普通教育の成果であり、要求するものである
アメリカ最初の労働者の政党の要求
無月謝の公立学校制
ホラス・マンのはたらき
普通義務教育制度の基本的パターンはほぼ確立
高等教育
ハーヴァードはじめ、牧師養成を主目的としていた初期の大学も、知識の殿堂というよりはコミュニティのリーダー養成機関
農業技術の開発を主眼とする州立大学が創設
閉鎖的な知的特権階級の育成ではなく、開放的で有用な市民育成の機関としての機能
知識の有用性が尊ばれ、知識のための知識の追求は否定、反主知主義の伝統が強化された
機会の拒否
機会は全ての人に均等に開かれていたわけではない
人種の壁
スタインベック「最初の入植者は海岸に上陸し、靴にまといついた海藻をとるやいなや、うしろをふりかえって祖国に向かい、<もう、こなくてもいいぞ。これでいっぱいだ>と叫んだだろう。各入植者が新参者に抵抗した異常なばかりの激しさは、移民法がついに他国者の流入を細くし、さらにぽつりぽつりとしずくのようにするまで続いた」 古くから来たものと新入りとの争いの歴史
抽象的には移民を歓迎し、機会を均等に配分するが、言語・習慣などハンディキャップを背負う
よって、しばしばかたまって自衛し、対抗する
ボストンでも、WASPとアイリッシュの対立が起こった 黒人奴隷制度
黒人の状況は全く違っていた
1619年に黒人奴隷が最初に運ばれて以来、黒人奴隷は南部人口の三分の一を占めるほどになった クレヴクールが移植によって貧民から人間になると記したのに反して、黒人奴隷たちは人間であることすら取り上げられていた
広大な土地空間の存在が奴隷制の拡大再生産を可能にしていた事実
この奴隷制を土台に、南部社会は厳格な階層社会をつくっていた
階級の壁(白人貧農の存在)は人種の壁(白人優位の象徴)によってすりかえられる
黒人奴隷はいっさいの機会を拒否された
教育は個人の開発の機会→より厳しく拒否
南北戦争後は、黒人の政治参加によって普通教育機関の設立に力がそそがれた 差別廃止運動はまず普通教育上の差別廃止が焦点
1954年の公立学校における共学の判決が、差別廃止のひとつの鏡となっている