宗教ー迷信から理性の時代へ
from 第1章 国家の創生
宗教ー迷信から理性の時代へ
列強による北アメリカへの布教
1492年にローマ法王がトリデシリャス条約
スペインがアメリカにカトリックを布教
1524年, フランスも五大湖周辺にまで勢力を広げる
1588年の無敵艦隊撃破以降, イギリスも急激に北アメリカ大陸に進出
1606年, ジェームズタウン植民地を建設, プロテスタントが北アメリカに入る 
英国国教会とピューリタン
1534, 英国国教会を設立
ヘンリー8世の離婚問題でカトリック教会から独立
1559年, エリザベス女王が英国国教会を王の支配下に置く
政治と宗教における国王絶対主義
ピューリタンはこれに反発, 純粋な宗教改革を推進しようとした
分離主義者
英国国教会と縁を切った人々
非分離主義者
内部から改革しようとした人々
ジェイムズ1世時代に分離主義者は英国からオランダへ
1620年, アメリカに渡ってプリマス植民地を建設, ピルグリム・ファーザーズと呼ばれた
メイフラワー誓約に署名し、共同体の政府の樹立を宣言
マサチューセッツ植民地
1630年にウィンスロップが率いた非分離主義者のピューリタンが設立
国王から直接の植民地設立の許可
「キリスト教徒の愛の原型」(ウィンスロップ)
兄弟愛, 公共の重要性を強調
丘の上の町を建設する決意
会衆主義
恩恵の契約を持つ見える聖徒により構成されたことから会衆主義と呼ばれる
kana.iconここの意味はいまいちわからないな・・・
kana.icon教会同士の権威を認めない、万人さいし主義
思想的源泉はカルヴァン主義の予定説
救済を予定するものに「恩恵の契約」を与えたとする考え
神により選ばれたものであるという選民思想
アメリカの「使命感」に通ずる考え
1630年代, 神権政治
政治と宗教が深い関係
ジョン・コットンが回心体験告白の制度を確立
教会の自治を重視, 牧師を選定したり教会を監督する組織も置かない民主主義的な運営
宗教の衰退, 理性の時代
1660年以降はアメリカ移住の第二世代が中心「エレミアの嘆き」
信仰心が衰退
1662年, 回心体験告白を行わない教会員に子供が産まれた時の幼児洗礼を認める
教会員の減少を食い止めるため
1675年, フィリップ王戦争
先住民&フランス軍と戦う
1984年, 勅許状が無効に
1692年, セイラムの魔女裁判
コットン・マザーが信仰の悔い改めを促すが, 「霊的証拠」に依拠した非科学的な裁判は1年で集結
kana.iconこの言い方ということは, コットンマザーが魔女裁判を推進したみたいなことか?セイラムの魔女狩りーアメリカ裏面史はどうだったけ
1740年代, ジョナサン・エドワーズが中心となる「大覚醒」
巡回説教(ホイットフィールドなど)
エドワーズは回心体験告白を復活したことで反発を受け, 牧師の地位を追われる
18世紀, ヨーロッパの啓蒙思想(ニュートンの物理学が主体)が広まる
宗教が衰退, 教会の権威が弱まる
カルヴァン主義における絶対的な「神の主権」や「選別」は薄れる
kana.iconこれは, 科学により自然現象を予測可能にしたからだと書かれているが, どう繋がるのかわからない・・・
「理神論」が生まれる
世界を神が創造した完璧な機械と考え, 宗教と科学を融和させた
知識人からの指示
神の精密機械を分析して神を知ることを目的
フランクリンがピューリタンの道徳と勤勉さを世俗化
トマス・ジェファソンが迷信的な奇蹟に疑問を持ち, 人間の理性を信頼
敬虔さを保持しつつ新しい科学を導入, 人間を「自立」させた
個人の知性から大衆の判断力を重視するようになり, 民主主義の素地に繋がった
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