国家・妥協・連邦=USA
国家・妥協・連邦=USA
中央政府を樹立することは、confederationに代わってconsolidationをもってするものであるという批判、反対が起こるという予想
アメリカ人の多くが、体験と論理とを通して小共和国観を抱いていた
現実にステイトという形ですでに小共和国家をもっていた
対外的・対内的共通事項につき最小限の必要性に基づきステイト間の連合体としてのUSA、その機関としての連合会議を持っていた
批判に対する措置
憲法案の起草に対する会議外からの圧力を避けるべく、連邦会議を秘密会議にした
連合規約の改正には13邦の同意が必要だが、9邦の批准をもって、承認したステイトに関する限り発効しえるとした
各邦による批准を、連合規約の規定による各邦立法部によってではなく、特に批准のために選出された会議に求めるようにした
自己の権力の削減を嫌った各邦立法部を避けるという戦術的配慮
人民により、憲法案批准を審議する目的のために特に選出された会議に合否をゆだねるというのが近代憲法理論の論理に則していた
ヴァジニア案の変容
「何であったら、人民は承認するのか」にフォーカス
ナショナルという表現を排除して、United Statesに代えることを提案
憲法案が現行連合規約の改正として提出されることで、各ステイトでの批准が得られやすいのではないか
連合規約と合衆国憲法、連合会議と連邦議会との断絶面ではなく、継承面を強調したい
実際には前者は国家間の連合であり、決定が構成国家に対してなされるのに対し、後者はそれ自体が国家であり、決定は各市民に対してなされる点で、量の変化ではなく質の変化だったが…
マーティン
<ナショナル>という言葉が削られたのは、この言葉が警戒せしめることになろうと、彼らは思ったからである。その結果今では、この憲法体制を主張するものが、フェデラリストと自称しているが、会議ではこの区別は全く逆で、この体制に反対なものがそこではフェデラル派と考えられ、呼ばれており、この体制を主張するものが、アンチフェデラル派であった
kanasnote.icon つまり、もともとは憲法にはナショナルという言葉がつかわれており、それはこれまでのフェデラルとは違ったものであったため、体制賛成者がアンチフェデラル派であったということ
ナショナリストがフェデラルという伝統的なプラス象徴を結果として獲得した
連邦会議の提案するUSAの統治構造が、統合=単一国家のそれでないことが必要
ジョージ・メーソン
自分は国家的政府の樹立を望むものではあるが、ステイトの政府を廃止したり、それを全く無意味なものにすることには反対である。それらは、中央政府と同様に必要である
両義的態度
連合会議の強化を求めていた人びとの心情を代弁するものであったのではないか
結果、連邦会議はアメリカ市民個々人に直接作用する国家権力機構を樹立したが、その権限は憲法典に列挙された権限に限定されているという「限定された政府」の形
それ以外の事項については現存の各ステイトがそのまま所有するという二重機構
提案された憲法は、厳密にいえばナショナルな憲法でも、フェデラルな憲法でもなく、両者の結合したものである
一見旧来の連邦憲法と紛らわしく、またユニオンという抽象的、心情的表現を使用することによって、USAは歴史的連続性、地理的空漠性、権力的希薄性を装うことができた
「デモクラシーの行き過ぎ」をいかに匡正するか
全ての社会は、少数者と多数者とに分かれる。前者は富みかつ生まれのいいものであり、後者は人民大衆である…人民は騒がしく移り気であり、何が正しいかを判断し決定することはまずない。したがって、第一の階層に政治機構の中で特別な恒常的な役割を与えよ。彼らは、第二の階層の持つ不安定性を抑制するであろう
kanasnote.icon だからこその、下院・上院制?
メーソン
われわれがあまりにもデモクラティックすぎたことは認めるが、今その逆の極端に不用意にも走ることをおそれる
背景は、各ステイトの立法部における権力集中と権力乱用
ステイトをこえて改めて権力機構が樹立されようとするとき、中心的決定機関となる連邦議会、下院の選出をいかにすべきかが問題
デモクラシーの行き過ぎをおそれるものは間接選挙制を主張
人民の権力参加を基本とする共和国は小国においてのみ可能であることを結果として認める
憲法案の批准が困難になる
革命の目的であった自由の構成=共和国の形成に反してしまい、革命の子としての憲法起草者の思想的自殺
アメリカ人民の精神に反し、アメリカ革命の基本原理に反し…もし連邦会議の案が共和政的性格から離れていると思われたならば、その案の提唱者はもはや弁護しえないとしてその案を廃案にせざるをえない
連邦のピラミッドをできるだけ高いものにしたいがゆえに、まさにその基礎をできるだけ広範なものにしたい。およそ人民の信頼なくしては、いかなる政府も長く存続しえない
下院を人民の直接戦況にすることを主張
デモクラシーの行き過ぎを匡正するためには、論理的にはデモクラシーそれ自体を持ってしなければならない
国家としてのUSAの安定は、人民自身という強固な基礎の上にある
論理的に人民に基礎をおいた決定機関としての連邦会議
広大な空間、増大する人口を背景に、代表という濾過機構を通じて洗練され拡大された公的見解による決定の場とされる
代表制は今や、人民の意見、利害を濾過し、洗練されたものにする制度=選良として公共の利益を追求するものとされた(鏡のごとく人民の意見、利益を反映するものとは違う)
こうした政治が共和政であると主張
民主制は、直接民主制を意味するものと限定されて用いられるようになった
決定への人民の直接参加、そのやむをえざる代替物としての代表制といったアメリカ的デモクラシー観は希薄化
小さな共和国と区別した大きな共和国樹立
メーソン
この下院には代表の実態がなく、ただその影があるに過ぎない