ロブスター
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【脚本】ヨルゴス・ランティモス
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最序盤のシーン。これはずっと謎のまま。
おそらく、動物になった人間で、その人間となにかあったと推測できるが
ここは、女性が車を出てからも車の中の音が聞こえつづける
序盤、主人公が妻に振られるシーン
彼は眼鏡かコンタクトを?
眼鏡よ
(ため息)
ここのセリフの意味がなぞで、三回くらい繰り返したけどあまりよくわからなかった
→これは後半で回収される。
この世界では、自分のアイデンティティに関する一致がなにより重要なのだ!
独身者コミュニティで出会った彼女との共通点も「近視である」 ことで、浮気を疑った相手にたいしても「お前、近視か?」 と同じ質問をする
「靴のサイズは? ハーフサイズはありません」
「運営に支障がでたのでバイセクシャルは選べません」
曖昧なものをえらぶことはできない
これはあまり得意なかんじじゃないな…自分は基本劇伴少ないほうが好きかもしれない
ホラー映画のお約束みたいなものなのかな、不穏な劇伴
変身する動物には犬をえらぶ人がおおいから地球に犬が溢れてる、人気のない動物は絶滅寸前
ウケる
ダンスパーティでのスローモーションシーン、ちょっとわざとらしすぎないかな。過剰。わざと?
狩りのシーンのスローモーションはむしろ滑稽で笑えたな ていうことはギャグのつもりなのか
女性どうし、男性どうしはそれぞれ同じ格好をしている。また、パートナーを持っているかどうかがすべてらしい
「女性」 「男性」 「彼氏 (夫)」 「彼女」 という役割や記号を求めている姿
ヨーロッパはカップル文化が強いからそれはバックグラウンドにあるかも
従業員にロールプレイされる、女性がひとりで歩いていたら危ないだとか男性がひとりで飯くったら危ないだとかもよくある話だよね
あと、ヨーロッパのカップル文化はセックスの比重がたかい、というかセックスがないとカップルとみなされないというか…
そう、このホテルでも性に関することが協調されているし、パートナーを作る動機がセックスをしたいかどうかに強く結びつけられているんだよね
個人的には信頼があれば必ずしも必要ないとおもうし、そもそも、パートナーはほしいけど人生に性が必要ないってひともいるとおもうけど
暴力シーンがいままでよりつらい
これまでは淡々としているからつらくなかった。やられるがわも淡々としているのだ
今回は普通に痛がっているからみていられない
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独身メンバーで気の合う友達ができる。
みんなで同じ動物になって、動物として仲良くすごそうや、という左の人にたいして主人公はそれもいいなみたいな態度なのだけど、右の人は「哀れだな」 と攻撃する
なんかこういうのつらい…こうやって同性どうし分断されるよな
狩り
独身者を捕獲できれば人間でいられる時間が伸びる
独身が独身を攻撃する図…
これはなかなか面白い、狩りつづけていたら独身でいる権利を得られるとも言えるわけだ
セックスは動物になってもできるから最終日にはおすすめしない、といいつつも人々は動物にならないためにパートナー=セックスの相手を見つけなければならないってのすごい皮肉だな
ほめるところも「髪がさらさら」 とか「胸が大きい」 とかだし
これって動物を評価するときの態度となにがちがうの?
例の足の悪い知り合いにあったらかなり大きい子どもがいる
なぜ?そんなに時間たってなさそうだけど
動物をいじめるシーン、いやだな…
ちょうど半分の一時間くらいで脱走し、独身者コミュニティに入る
半分でどんでんがえしは映画のお約束に則っている
ここで語りての正体も明かされる
カップルをぶち壊す遊び
これはとてもウケる
とても愛していると言いつつ、生死のさかいめになったら平気で相手を売る人
にせの共通点
主人公はなぜかジョンを担当したがる
なぜだろう? このまえもジョンにたいして嫌な態度を取っていた
射撃場での発言を根にもっている?
ジョンの名前は途中で判明する
彼にだけ名前が設定されている?
というか本来はみんな名前があるんだが主人公だけが知らない・興味ない設定なのかな
主人公の友人がジョンの名前をだし、親しかったはずの主人公は「覚えてなかったな」 とこたえる
→一応ジョンの名前は冒頭から出ていた
主人公の、ウサギ持ってきた男にたいする態度
近視ではないといっていて、実際そうなんだけど、疑いつづける
コミュニティの女を好きだから、関係が気になっている
近視であるという共通点で仲良くなったからこのことを気にする
みているとなかなか笑える
1時間30分でまたどんでんがえし
いままでの語りは日記に書かれた内容だった
グループのリーダーにバレる
シティに行くときだけは恋人的な行動を取っても許されている
演技のうえでという前提なら許されている
シティに行くときは、リーダーの家に寄っている
リーダー以外の家には行っていないことからすると、彼女だけが町から来ていてほかのメンバーはみな脱走犯という感じだろうか
エッ、マキマひどい…
盲目の彼女の手を引いて、脱走する主人公
トラックは頑張っていたけど途中でカットが切り替わったのが残念だったりした
共通点をなくしてしまった結果、どうするか
それでも愛し続けているかとおもいきや
主人公、なんかめちゃショックをうけていて、これからも一緒にいるかどうか迷っている
結局、二人で街に逃げることを決めるが、
ラスト、主人公も視力を失おうと目にナイフを突き立てる
突き立てようとしているシーンと、待っている女性の長回しで終わるから、結末がどうなったかはわからない
彼はやっぱりこわくなって逃げたかもしれないし、
共通点がなくても愛している、と彼女を説得するかもしれない
あるいはやはり失明して一緒に暮らすのか
このラストに対する違和感は重要だとおもう
映画の人々が気にするのは身体的な特徴だからはっきり違和感を感じるが、実際我々はそういった「重要な特徴 (共通点)」 で相手に好意を持ったり、パートナーに選んだりしていないだろうか
冒頭での、ジョンが話した「父親は母親より数学ができる人と出会って恋におち、母親を捨てた。母親は学士だったがその女性は大学院卒だった」 の話もあったが
でも、ほんとうにそのようなものがないと好きでいられないのだろうか。共通点を失った瞬間一緒にいられなくなるだろうか
しかし、そのために敢えて嘘までつく人もいる ジョンのように
敢えて奇妙に見せるための、些細な身体的特徴重視だと思う
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ラスト、ここにきて音楽のないシーン。長回し
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この感想はそこそこおもしろかった。
SEOタイトルだし広告ちっくな記事の外見をしているから期待していなかったけど
これらがとくによかった
「カメラがデヴィッド視点」 との記述
「恋は盲目」 イディオムと、「盲目を選べるか」 の関係の指摘
結末についての考察
実はまったく違ったシーンの連なりで、だけどブツ切り感を感じないという指摘
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これはかなり見るべきかもしれない…身につまされる。
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