あるものがあるものを表すという「公式」
花束みたいな恋をしたで、絹と麦がセックスをするのはなぜか、そしてそれにこだわるのはなぜか、ということを疑問に思った。
→これはつまり、A「セックスをする」 ということはB「相手に気持ち・関心があるということ」 という、この映画特有の公式なのだと思う。
メタファーとかもそうだけど、ある作品には、作品特有の、あるいはジャンル特有の、あるいは文化圏特有の、「ある表現/行為/モノ/色/etcetc...(の感覚器で捉えられるもの)」は別の「ある感情/雰囲気/空気感/状況(等の、感覚器で捉えられないもの)」 を表す、という公式があり、それをもとに、感覚器で捉えられないものをA→Bとなるように設定し、表現する
作品よりもっと狭く、「登場人物の中での公式 (ロジック)」 というのもある。
最終的にはBが伝わることが目的であるから、読者はとりあえずBが自分に伝わっていればOKとする。
Bが伝わっていなければ、評論を読むなり友達に聞いたりして、最終的にBが伝わればよい。
Bを伝えるためにAが適しているか・適していないかはそれとはまた違う軸の話になる。
おそらく、「自分にとって」 Aが適していない場合は、A→Bを自然に導くことができないとき
「作品として」 Aが適していない場合は、A→Bの「→」 の部分、この隙間を説得力ある形で提示できていない場合
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