作風が広いようで狭い
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何作っても色が全部一緒、みたいな感覚がある。
平均値に照らせば、作る音楽の幅は相当に広い方だと自負してるのだが、
世の中の作家がわざわざ外に出してないだけで実は幅広く作ってる説もあるけど。
「色が一緒」といっても、聴いたときに何色が思い浮かぶみたいな共感覚的意味ではなく
共感覚持ちじゃないので。。。
育ててる作物は多種多様なのだが使ってる土が全部一緒だからかどれ食ってもエグみがヤバい、みたいな感覚だろうか。
商業作家とかも作風広いんだろうけど、そういう狭さはないと思うんよな。
良くも悪くもだが、何作らせても「商業音楽化」する的な意味での狭さはあるか。牛尾憲輔とかそんな感じする。その点菅野よう子は絶妙。
自分の商業音楽ワークを振り返ると一部変なのあれど、癖のない商業音楽を作れてたこともあるから(相方の意見のおかげでもあるが)、意識すればエグみは消せる。
https://accojams.com/StudioWorks/Metaknot
ガチガチにエゴを抑え込んだ記憶はある。
いい作家って、何曲作ってもトマトはトマトだけど、甘かったり酸っぱかったり、絵だったり、彫刻だったりする、みたいな感じじゃなかろうか。
僕は緑黄色を問わず野菜を作るけど、提供方法がシーザードレッシングばしゃーってかけたサラダになるんよ。
一言で言えば器用貧乏なんかな。なんかちょっと違う気もするけど。
デモとアレンジの距離の問題は確実にこの問題と地続き。
作法を学んだ音楽は作る気が起きない#65f78f58c8497100007e426b
中途半端にしか聴いてないジャンルは、どうせ自分が解釈するとキモくなる、という前提があるから作る気が起きる。
↑この前提がアカンのでは。
自分の得意な作風は何なのか