兼家兄弟
師輔
=♡=盛子
=♡=?
繁子=♡=道兼
尊子
=♡=雅子内親王
村上天皇は、師輔のイトコに当たる(おば・穏子と醍醐天皇の息子)。
もっとも、師輔は909年生まれ、村上天皇は926年生まれで、17歳離れている。
師輔の娘・安子は927年生まれなので、村上天皇と世代はずれるが、年齢は近い。
安子の皇子たち(冷泉天皇・円融天皇)が即位したことで、師輔一家/兼家兄弟が力を持つ。
師輔は、醍醐天皇の皇女・勤子内親王と密通した後に結婚を許され、その死後は雅子内親王、さらにその死後は康子内親王との結婚を許された。
かなり破格の待遇では。
このうち雅子内親王の息子である為光が、「光る君へ」にも登場する。 勤子内親王・雅子内親王の同母弟に、源高明がいる。
師輔の三女を妻とし、その死後は五女・愛宮を妻とした。
繁子は生母不明だが、一条天皇の乳母になっている。
道兼の妻にもなる。
設定というか史実だけど
文範が「ちやはの祖父」とは書かれていないのと同じく、オミットされているのかもしれない
と思ったけど相関図にはあるな
第2回の984年に娘・尊子が生まれているはず。
第13回で繁子・尊子とも登場した。