兼家一家が登場するシーンはあれでいいのだと思う
実際には、高貴な女性は成人すると、男性には顔や姿を見せない
親兄弟であっても、同じ部屋にいても仕切りを隔てていたりする
見せる相手は恋人や夫
だから「見る」という言葉が「恋人になる」と実質的に同じ意味になったりする
貴子や詮子が顔出しで同席しているのはおかしい
が、テレビドラマとしてはそう悪い演出ではないと思う
登場人物の多いドラマの中で、「兼家一家」を視聴者に把握してもらう必要があるから
視聴者は「既に日本史に詳しい人」「既に兼家一家を知っている人」ばかりではない
「詳しい人しか見ない」「これを見ようとするからには詳しいだろう」というタイプのドラマではない
バラバラに与えられた情報を頭の中で繋ぎ合わせるより、「兼家一家」の集合図を映像として提示された方が、理解の助けになるはず
テレビドラマは視聴者のペースで見られないのが基本
チャンスは一回しかない
途中で止めたり何度も観たりする手段はあるけど、視聴者がそうして理解を深めてくれることを、制作側が期待していいものではない