侍従宰相について
架空の人物だそうだけれど、該当しうる人物がいないか探してみる
架空の人物をねじ込める余地がそもそもあの時代の参議にあるだろうか?
飛鳥浄御原令の段階では設置されていなかったとみられている。大宝令によると、従五位下相当官で、中務省に属するとされた。定員8名であったが、時代と共に増員され、最大20名程まで増員された。うち3名は少納言を兼任した。侍衛官であるため帯剣した。平安時代に蔵人所が設置されてその役割が急速に縮小され、多くは大納言、中納言、参議が兼任するようになる。中世においては、侍従は専ら儀礼を担当することになり、天皇に側近奉仕する官としての色合いが薄れた。
第5回は984年
参議
源忠清
950年:侍従
961年:右馬頭
973年:参議、止左中将
藤原公季
970年:侍従
976年:左近衛中将
983年:参議、止中将権守
984年:侍従
藤原為輔
961年:次侍従
967年:左京大夫
975年:参議(右大弁大和権守等如元)
大江斉光
侍従にはなっていない
藤原佐理
961年:侍従
962年:右兵衛権佐
978年:参議
源伊陟
955年:侍従
956年:左兵衛権佐
977年:参議
藤原時光
侍従にはなっていない
官歴の見方がわかってないので、侍従を「いつまで勤めていたのか」がよくわからないけど
別の官職に就いた年をメモしておこう
国司は除く
結果、公季が可能性ありそう
天元6年(983年) 12月13日:参議、止中将権守
永観2年(984年) 2月1日:兼播磨権守。10月30日:侍従
だとしたら「富がおあり」どころではない御仁だけど
公季は956年生
984年には満28歳
といっても、肇子=藤原佐理女=藤原懐平室と仮定しての「20歳くらい」なのだけど