水瓶に砂利を入れてる
ほんとうは澄んだ幸福を入れなければいけない場所に、そのへんで拾った砂利をいれてる。
砂利を入れると、水を入れたときに濁る
それは澄んでいないので、「澄んだ幸福」を手に入れるのが無限に遠ざかる
それでも生きてはいける
砂利が入った水瓶は、それでも満ちてはいる
少量の水で満ちた感覚を貰えるから、幸福感は得られる。
しかしそれは量的幸福だ。
満足な豚であるよりも、不満足な人間である方がいいという呪い
J.S.ミル『功利主義』読書メモ
水で水瓶を満たすには砂利を捨てる必要がある
余計なものをそぎ落とせば、ほんとうの幸いを見つけられるのだろうか?
これは検証しないとわからない
やらなければ一生このままなだけだが