愛よりたしかなものなんてない
https://www.youtube.com/watch?v=AZxP_uVzpjQ
ぼくのぜんぶをくれてやる
こころのひとかけらにしてくれよ
きみがあの電車に乗るための
こころのひとかけらにしてくれよ
歌詞を聞くとめちゃめちゃポジティブな愛の歌のように見えるが、うたいかたでそうではないことがわかる
特にわかりやすいのは「せかいは終わらない」の後の「生きてる限り終わらない」のところ
終わらなさに対して鬱陶しさみたいなのがあるような気がするんだよな、“こんなにも絶望しているのに、どうして世界はおわらないのだろう”という悲しさがそこにある気がする
ポジティブに見える詩をネガティブな感覚でうたうことで“言い聞かせている”感覚が強い
言い聞かせている感覚は、端々に存在する
「愛よりたしかなものなんてない」という表題が何度も何度も繰り返されること
ほんとうにたしかなのであれば、何度も何度も繰り返す必要はない。
「愛よりたしかなものなんて――!」と泣きそうになりながら叫ぶ必要もないんだよな。
「エブリシング イズ マイ ユア ワールド」がシャウトで成されること
ぜんぶがわたしの世界で、ぜんぶがあなたの世界なんだ、という叫び
世界に対する叩きつけるような意志ですよね
恐らく、世界がつづいて動いていくことの残酷さが背景にあるんだろうなと思う
だからこそ、この曲のサビは「きみがあの電車にのるための こころのひとかけらにしてくれよ」なんだよな
通勤に使う満員電車は“残酷に続いていく世界”そのものだから
そして、そこに至るための勇気や意思やそのほかのちっぽけなもの、踏み出すための“こころのひとかけら”を、どうにか与えようとして春ねむりは叫んでいるってわけ。
それこそ言い聞かせるように、信じ込ませるように、どうしようもなさがにじみながらも、「それでも“愛よりたしかなものなんてない”んだよ」って泣きながら叫んでいるんだよなぁ
せかいをとりかえしておくれでも「叫んでくれよ」とか「せかいは終わらなかった」って言うから、たぶん、続く世界への叫びっていうのが、詩情の根本にあるんだろうな~~~~ この曲、めちゃめちゃいいので、駅に向かう途中でみんな聞いてください。