「〇〇としか言いようがない」はすべて欺瞞
個人の感想です
「美しいとしか言いようがない」とか、としか言い表せないとか、言葉に出来ぬほどのなんとか、みたいなものはすべて欺瞞だ。
というのはいくつか前提がある
ぼくの世界には言い足りない、しか存在し得ない
そもそも、どんなものも一言で言い表すことなんかできるわけがない
それでも言おうとするのが言葉を扱うものの責務だ
〜としか言えない、わけがない
いくらでも表現方法があるはずだ。
それなのにその短い一単語を選んでいるのはお前だ。
言葉のせいにするな。
類似したことを言いたいなら、別の表現でするべきだ
「美しい、という言葉が一番似合う」とか
様々な言葉を当てはめたが、やはり、ただ“美しい”と言うのが適切だ、というニュアンスを含ませるべき。
なぜなら、それを表現する言葉はいくらでもあるはずだから。
特に、言葉に出来ぬほどの感情、とかは嫌いだ。
感情は元々、言葉に出来るわけがない。
それをお前らは無理やり言葉にしている。最初から。
なのに、強烈であるとか、強調の意でだけ「言葉にできない」なんてことを言うな。
それは言葉に対して不誠実だ。欺瞞でしかない。
そんなこともわからずに言葉を扱うな。言葉への誠実性に欠けている。
感情それ自体は言葉に出来なくても、感情による反応は言葉にできるだろう。
心臓が跳ねる、頭へ血が流れる。目が熱を帯びる。いくらでもある。
それすらも試行せず、言葉に出来ぬほど、なんて表現をするのは、逃げであり怠慢だ。
ぼくはそれを許さない。
つまり、僕は“言葉”の厄介オタクということだ。解釈違いで地雷です。
ちなみに
十分試行した上でそれを行うのならまぁ、良しとする。
ちゃんと“言葉のせいではなく、自分のせいである”と責任を明確にして欲しい。
言葉に対する誠実さと、扱う責任を持って欲しい。
あと、これは表現的文章のことだ。
意見表明とか、一般的文章(チャットやTwitter)ではある程度許す。
でもこれらは修辞でありレトリックだ。その文脈で使われるのは許せない。
これらを表現として扱う表現者を僕は軽蔑する。
だが、それらは強制されるべきものではない。ただ僕が許せないだけだ。