〈錆びた悠久は、遠く。〉
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風が舞い上げた“砂”が口に入る。ざらざらとした鉄錆の味。荒野に人影はなく、未だ光は見えない。そのくせ照りつける太陽は殺意が湧くほどに眩しく、僕のことをじりじりと灼く。
もうどれほど歩いてきただろう。ぎしぎしと身体が悲鳴を上げる。動けるタイムリミットは、もう残り少ない。がしゃんと音がして、横目で見ると、当然それはガラクタが崩れた音だ。
先の見えない荒野。ゆらゆらと地平線は揺れ、進んでいるのかどうかもわからない。意識が朦朧としてきて、唇を噛んで引き戻す。鉄屑の山が崩れる音と痛みだけが僕を自らに引き戻す。口の中の鉄の味が、自分のものなのか、砂に混じった錆なのかももうわからない。
それでも、僕は歩き続けなくてはならない。倒れそうな身体を制御して、一歩、また一歩、砂を踏みしめる。僕を拒むように、屈させるように向かい風。砂が入らないように深くフードを被って、食いしばる。マントがはためく。一歩、前に進む。
膝はつかない。辿り着けるかわからない、あるかもわからない希望でも、僕の記憶には残っている。直感している。
この先に、あの子がいる。
覚えている。僕に笑いかけてくれた表情、跳ねるような声色、真剣に見つめる紺碧の瞳。一つだけ溢れた吐息と涙の粒。遠く、遠く、遥か彼方だとしても、この先にはあの子がいる。覚えている。『むかえにきて』と動いた唇。
だから、だから、僕は、進み続けなくてはならない。僕の使命を果たすために。
ぎこちない音が全身から鳴る。身体はもう限界を迎え始めている。関係ない。それでも進む。全てが終わった荒野を歩く。この荒廃した世界を歩む。頭の中でアラートが鳴り響く。うるさい、うるさい、関係ない!
そこに辿り着くためなら、そこに辿り着ける可能性があるなら、止まっている暇はない。一秒でも早く、一歩でも多く、前へ――!
もうどれほど歩いてきただろう。風が舞い上げた砂が口に入る。ざらざらとした鉄錆の味。頭の中で鳴り続けるアラート。半分欠けたような視界。
がしゃん、と音がして、横目で見ると、それは、ガラクタが崩れ――そして、光が顕になった音。
『ッ――見つけた』
声にならない声。ガラクタの山の中に、砂にまみれても錆びつかない、青い光を放つ扉。ぐるりと、無理やり動かない身体を動かして、方向を変え、近づく。
『ああ、ああ――やっと、見つけた』
震える、きしむ、身体の全て。それでも僕は扉に手を触れる。認証用のデバイスが浮かび上がり、扉を光が包む。
記憶してる。覚えている。この先に、この先にあの子がいる。
風は方向を変え、僕の背中を押すように吹く。砂が舞い上がるザラザラとした音も、祝福の喝采のように聞こえる。
シェルターの扉がゆっくりと開く。頭の中のアラートが響く。そうだ、そうだ、ここに――
『むかえにきたよ――僕の、』
――頭の中に、アラートが響く。
――【ERROR】【ERROR】【ERROR】――
――【行動不能:当機は撃墜されました】――
がしゃん、と、音がした。
◇
コールドスリープから目覚めた少女は、困惑した。自分について何も覚えていないことと、周りに誰ひとりいないことに。
朧げに覚えているのは、最後の記憶。最新兵器による戦争が始まる直前、戦火に巻き込まれる前に眠りについたこと。その時に、だれかが、最後までそばにいてくれたこと。……それが誰だったのか、どんな姿かたちをしていたのかは、思い出せない。
永い永い眠りには、記憶障害が伴う可能性があると、そういう知識だけが浮かび上がる。まだ実証研究はされていなかった――なにせ、それほど永く眠る必要はなかったし、眠りたい人もいなかったから。
このシェルターは、戦火から逃れるためのもの。この眠りは、先送りするためのもの。確か……そうだ、誰かが言っていた。次に目覚めるときは、全てが終わった平和な世界だと。
眠りから覚めて怠い身体を引きずって、少女は風が吹き込んでくる方へ歩く。
ぜんぶがぜんぶ終わってて、もう何も苦しいことはなくて、緑の溢れる平和な世界が待っている。そう囁く脳内の記憶と、早鐘を打つような焦燥感に駆られて。
入り口で、少女は「ひっ」と怯えた声を出した。そこには、人が――いや、正確には、人型のものが倒れていた。
表面塗装も人工皮膚も全て剥がれた――最新兵器。戦闘用アンドロイド。首筋に、型番があるから間違いない。
少女は、それを確認すると息を吐いて――そして、改めて、外を見て言葉を失った。
そこには、朧げな記憶に残る緑の姿はなく、荒廃した砂と、鉄屑――アンドロイドのパーツ――が積み上がる、果てしない世界が広がっていた。
「……どうして」
どうして、こんなことに。どうして、こんな世界が、どうして。頭の中を疑問が埋め尽くす。こんな世界で生きていかなくてはいけないのか。これが“全てが終わった平和な世界”なのか。どうして、どうして――どうして、わたしは目覚めさせられたのか。
は、と少女は息を吐く。動悸が止まらない。心臓が早鐘を打つ。身体が震える。抑えるために長く息を吐けば――吹き込んだ風が砂を運び、口の中に、鉄錆の味がした。
少女はこの世界にたったひとり。彼女を保護するものは朽ち果て、そのことにさえも気づけない。
砂の地平線ははるか遠く、ゆらゆらと揺れて――悠久に続くようで。
未だ遠い光は、じりじりと、少女の身体を灼いていた。
【錆びた悠久は、遠く】