運営に対する疎外感
from Python入門編を勉強2日目は参加人数が減った
運営という言い方を極力避けてほしいt6o_o6t.icon
理由
疎外感がある
「自分は運営でもなんでもないんだ、へえ、」と思った
自分は一体何なのか?
悲しい
運営になりたいわけではない
提案したいことはある
それは運営でなくてもしていいだろう
運営が承認機関のように見えてくる
見えているだけで実態はそうではない
提案するという行為においては、運営は天上の存在だろう
運営が意思決定をする組織なら、非運営は権限がない格下の存在ということ
運営と非運営ではなく権利者と非権利者だろう
この話になると支配されている感覚に陥って鬱っぽい
運営ではないという分類をされたくない
全員、ただフラットにメンバーである
運営と非運営で分けるなら、非運営の活動が少ないのは当然ではないか
非運営の立場を考えると活動しようと思えない
運営という言い方は、権限の格差を想起させる
運営という組織の定義と存在意義を明確にしてほしい
運営は「ITとあんまり関係ないけど、団体を維持するのに必要な仕事」を引き受ける存在としてとらえていました新人博士.icon
意思決定の場を定例活動と分離したのは、団体についての話よりITについての話を定例活動でやったほうが面白いだろうという考えのもとでした
その結果、運営に対する疎外感を抱かせる可能性があるという懸念はありました
そのため、重大な意思決定については定例活動にも持ち込み、些細な意思決定はいわゆる運営(「ITとあんまり関係ないけど、団体を維持するのに必要な仕事」を引き受ける人)の間でやろうと思いました
その結果として「ITとあんまり関係ないけど、団体を維持するのに必要な仕事」を引き受ける人が強権的な存在に見えてしまっていたということは、この重大な意思決定と些細な意思決定のバランスがよくなかったのだろうと反省しています
強権的に見えたのは、
権限が集中していてタスクが分散しないこと
本質的には言い方の問題ではない
運営組織を設けるというのは、権限を持たない人間を規定する行為
このように考えられる
権限の有無が明確に関わる文脈においてのみ、運営という言葉を運用してほしい
例
コミュニティからメンバーを追放できるのは運営のみである
ルールを変更する際は運営の間で議論が行われる
単純に萎縮する
民主的でないというのは、個々のメンバーの活動が萎縮するということ
所感
おそらくこのまま運営という組織は続いていくのだろう
運営の存在には、コミュニティというサークル名とは逆に、私的で非民主的な印象を強く感じる
CIST IT COMMUNITYは、組織構造の話では動きが遅い傾向がある