奇術師
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※ いま多く出回っている版はこの表紙ではありません。ご購入の際にはご留意ください。
五二歳。ついに完成したストーリーテリングの奇術
概要
ジャンル小説の換骨奪胎によって主流文学的な問題を扱うという試行がついに高度な完成度をもって結晶した、プリースト畢生の大傑作である。
クリストファー・ノーランによる映画化で商業的にも大成功。日本で再ブレイクするきっかけともなった作品だ。
さわり
何十年も前ならともかく、いまどきミステリーにおけるトリックも、SFにおける基本的なアイデアも、本当に新味あるものはなかなか出てこない、と考える人がいる。
奇術を引き合いに出した表現で、「タネそのものはすでに出つくしている」というのも見かけたことがある。重要なのはその見せ方、効果的に観客を感動させる、演出の側にあるというのだ。
クリストファー・プリーストのこの小説は、そうした言説と無関係ではない。
あらすじと評価
十九世紀末から二十世紀初頭にかけて繰り広げられた、共に瞬間移動を呼び物としていた奇術師同士の争い。それを現代に生きる彼らの子孫たちの視点から追うというのが、本作の基本的な筋書きである。百年前に起こった出来事を知るための手がかりは、彼ら奇術師がのこした手記だけだ。
ここにはすでにして罠が仕掛けられている。奇術師による半生の記述は、彼らの生業同様ミスディレクションに満ち、読者を幻惑し驚かせる。最初いち観客として着席した読者は、次第になんとしてでもタネを暴こうとやっきになることになる。
遅かれ早かれ示されるように、使われたトリック自体はきわめて単純なものだ。われわれはそれを知って一応は満足し、答え合わせを求めて先へと進む。そこでこの小説の本領が、そこにはないことに気づかされる。
トリックを隠蔽することを目的としていたはずの目眩ましが、作中においても紙上においても、読者に揺さぶりをかけはじめるのだ。
とにかくもラストシーンまで辿りつき、出口を目指して席を立つころになって、われわれは書き手が何をも示さなかったのではないかとの疑いにかられる。後にはただ幻惑の感覚、何か途方もない技を目にしたとの感慨だけが残り、満たされぬ好奇心は再演を要求する。
こういった事情から本作は、いわゆる「信用できない語り手」ものの傑作だと言えるだろう。
作品はSFの要素を含んでおり、謎を解き明かしていくミステリとも、リアリズムをこえて書かれた幻想文学とも読めるのだが、各ジャンルの読者が期待するであろう快楽は、ことによると充分には得られないかもしれない。何よりも『奇術師』はひとつのマジックであり、マジシャンは手の内を完全には明かさないからだ。
クリストファー・ノーラン監督作品『プレステージ』との関連について
最後に本作の映画化作品である、クリストファー・ノーラン監督の『プレステージ』についても触れておこう。
クロスカッティングを駆使したこの映画で、子孫による読解という形式は使われない。それでも原作が持つ魅力の多くの部分は、巧みなアレンジによって損なわれることなく再現されている。
しかしながらその主題において、ふたつの作品は大幅に異なったものとなっている。原作の興味の中心があくまで、ステージ上での幻惑にあるのに対し、映画が描き出したのは奇術師たちの、他のすべてを犠牲にしてでもイリュージョンを作り上げようとする生き様だ。(それはおそらく映画を含んだ、あらゆる創作者の姿勢と響き合ってもいるだろう)
映画『プレステージ』はどこまでも明示的で、すべての謎は最後には解き明かされる。小気味のいい終わり方であり、文句をつけるべきところは見当たらない。けれど原作の読者は同時に、語りに特有のあの輝き、中心に据えられた光源を隠し続ける、眩いばかりの強い光を、必ずや思い返すことになるはずだ。
京都大学推理小説研究会で行われた読書会の記録