南方仏教基本聖典
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大念住経 一部
「 苦の真理の解説 」から
「比丘たちよ、苦とは何か。比丘たちよ、身の苦、身の不快、身に触れることによって生じる苦、不快の感受、比丘たちよ、これが苦と言われる。」
「比丘たちよ、憂いとは何か。比丘たちよ、心の苦、心の不快、心に触れることによって生じる苦。不快の感受、比丘たちよ、これが憂いと言われる。」
「比丘たちよ、嫌いなものと結ばれる苦とは何か。ここに彼の望まず、欲さず、喜ばない色、声、味、触、法、あるいはまた彼の利益を欲さず、繁栄を欲さず、安楽を欲さず、安穏を欲さない人びと、これらと一緒に集合し、会合し、結合し、交際すること、比丘たちよ、これが嫌いなものと結ばれる苦と言われる。」
。。。。これだけじゃないです。生老病死。。心配、悲泣、苦しみ(上の苦)、憂い(上の憂い)、苦悩、嫌いな者と結ばれる苦、愛するものと結ばれない苦、求めて得られない苦、のはなしがあり。。五蘊の話しがあります。
そこから。。苦因、苦滅、道と話しがあり。。修習と果について話しで結ばれる。
旗先経
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A
「そして南方仏教でも、日本の真言陀羅尼と同じく、意味がわからないままにパーリ語の原文で読誦(どくじゅ)されるパリッタもある。」南方仏教基本聖典
読誦 どくじゅ
誦 となえる/よむ/声を出して読む/そらんじる
ショウ/ジュ/ズ
。。。。これが「念」じゃないの?
。。。。そうではなかった。パーリ語を確認した。
護経類
三帰依文
五戒
仏法僧の三宝の説明
六方礼経
転法輪経 四諦八正道
無我相経
大念住経
南方仏教基本聖典
まえがき
第二版発行の序
目次
本編
I 礼拝
転法輪経
本経は、アーサーラ月の満月の日にベナレスの鹿野園で五群比丘に対して説かれた釈尊最初の教説であり、楽と苦の両極端を離れた中道と、根本の教えたる四諦八正道を説いたものである。
転法輪経
Dhammcakkapavattna-sutta
ダンマチャッカパヴァッタナ・スッタ
私はこのように聞きました。
ある時、世尊は、ベナレスの昔仙人が降りてきた所であると伝えられた鹿野園に住んでおられました。そこで世尊は五人の比丘に説かれました。--------
中道
比丘たちよ、これが苦の聖なる真理である。
比丘たちよ、これが苦因の聖なる真理である。これは再生を起こし、歓楽愛着を伴い、ここかしこで歓楽する渇愛である。この渇愛とはなんであるか。五欲への渇愛、常見を伴う存在への渇愛、断見を伴う虚無への渇愛である。
比丘たちよ、これが苦滅の聖なる真理である。
比丘たちよ、これが苦滅に至る道の聖なる真理である。
世尊はこれを説かれました。満足した五比丘は世尊の教説を心から喜んで受けました
世尊によって法輪が転じられた時、地の神々は、「世に置いて沙門、婆羅門、神、魔、梵天のなにものによっても、逆転され得ない無上の法輪が、世尊によってベナレスの鹿野園において転じられた」と一斉に賛嘆の声を発しました。
礼拝 南方仏教基本聖典
邪淫をする人には、最も軽い報いをしてその人に敵の恨みを受けさせる
礼拝 解説
生き物を殺す人には、最も軽い報いとしてその人を短命にさせる
礼拝
酒を飲む人には、最も軽い報いとしてその人を狂わせる
礼拝
嘘を言う人には最も軽い報いとしてその人に事実無根のことを持ち出して非難を受けさせる
邪淫をする人には、最も軽い報いとしてその人に敵の怨みを受けさせる
南方仏教基本聖典 礼拝 解説
指鬘経 アングリマーラ・スッタ (1段め)
皆さん、この護経を唱えた人の座所を洗った水さえも、一切の厄難を消滅させ、また唱える間に安産させ、仏がアングリマーラ長老に説かれた、一劫の間存続する大威力ある、その護経を詠えよう。
妹よ、私は聖なる家柄に生まれて以来、故意に生き物の命を奪ったことを知りません。この真実によって、汝に幸福あらんことを、胎児に幸福あらんことを。
礼拝
南方仏教基本聖典
多くの生涯の偈
1.あの生涯、この生涯とくりかえすのは苦しい。五蘊の家屋の作者(苦の原因=渇愛)をさがし求める私は(彼を見ることのできる智慧を)得ず、多くの生涯を経めぐった。
2.五蘊の家屋の作者よ、今やお前は見つかった。お前は再び五蘊の家屋を作ることはないだろう。お前の煩悩のすべての桷は破壊され、無明の棟木は砕かれた。心は形成作用を離れ渇愛を滅し得た。
開眼供養
ウェーサーカー月の満月の日
この時、仏陀が感興によって発せられたものが「多くの生涯の二偈」である。
世尊は、その菩提樹の下で趺坐を組んだままで、七日の間、解脱の楽を味あわれた。
次に、「十二縁起」を順逆にして観察された後、「感興の三偈」を発せられ
それから世尊は四週間目に菩提樹の北西にある”法の宝家”において趺坐を組んだまま、七日の間、論蔵を、特に諸縁論(発趣論)を考察された。
すると世尊の身体より、青、黄、赤、白、真紅、かがやかしい六種の光が放たれたという。
Namo tassa Bhagavato Arahato Sammāsambuddhassa
阿羅漢であり、正等覚者たる、かの世尊を礼拝します。
この敬礼の句は釈尊の在世中に高位の人、天、梵天等が釈尊に対して唱えたもので、それ以来今日に至るまで上座部の仏教徒達は各々のしごとに取りかかる前に必ずこの句を唱える。
南方仏教基本聖典 注
大念住経 法に関する随観
障害の部
あるいは内に惛沈・睡眠があれば、「私の内に惛沈・睡眠がある」と知り
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眼は世の中の愛らしいもの、喜ばしいものである。渇愛が生じる場合ここに生じ、留まる場合ここに留まるのである。
大念住経
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無我相経
「比丘たちよ、色は無我である。
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長者の子よ、四つの理由によって財を減らす連れは友ではなく、見せかけの友であると知るべきである。
長者の子よ、これら5つの理由によって、主人から大切にされた下方にあたる奴僕労働者は、五つの理由によって主人を慈愛する
六方礼経