人生を変える練習
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仏教でいう「業 カルマ」も意志のことです。カルマという言葉は誤解されていて、宗教や信仰によっては「あなたは前世のカルマを背負ってます」などと言われていますが、真実は違います。
お釈迦さまは、「カルマとは意志のことである。」とはっきりおっしゃっています。これは論理的な仏教心理学によるもので、科学的な考えから導き出された真実です。
「「ここで、ブッダによるカルマの定義を思い浮かべねばならない。
「弟子たちよ、私がカルマと呼ぶのは、意図(チェータナー)である。意図があり、人は身体、口、心で行動する。」
ブッダが説いたこと」
P83
しかし、直接意志にはアクセスできません
しかし、ヴィパッサナー瞑想以外では、意志に気づくことはできません。ですから、ヴィパッサナー瞑想で経験を積んでいない一般の人は意志に気づくことはできません。そもそも意志というものにアクセスできないのです。
はじめに
「~したい」「~しよう」という思いが「意志」なのか「欲」なのか。この違いをきちんと理解することが、意志を強化するときには非常に大切なことです。
いつまでも若くありたい、いつまでも健康で長生きしたい、もっともっとお金儲けをしたい、ライバルに勝って認められたい、重要な人物として尊敬されたい、といった「欲」の目的を満たすものではありません。
座禅で意志強化できる?
そのあために、座禅をすすめたり、仏道の修行を生活に取り入れるよう教えたりするものがあります。
しかし、それでは願った結果は出ません。
仏教の瞑想は、俗世間の欲を捨て去るために行うものです。心が「善」で満たされるために行います。ですから、仕事の能力を発揮したいという欲を目的に瞑想を行っても、善と欲という正反対の意志と意志がぶつかり合って結果はでないのです。
仏教の瞑想は、俗世間の欲を捨て去るために行うものです。心が「善」で満たされるために行います。ですから、仕事の能力を発揮したいという欲を目的に瞑想を行っても、善と欲という正反対の意志と意志がぶつかり合って結果はでないのです。
P67
私たちが基本的にもっている「意志 cetānā」とは、善でも悪でもない「生きたい」というシンプルな衝動です。生きるために必要なさまざまな行為は、この意志によって引き起こされています。
P26
しかし人は、理性中心に生きていません。感情に振り回されて生きているのです。人間には「動物の脳」もありますから「好きなものを好きなだけ食べたい」という感情が、常に自然に湧いてくるのです。
P29
人間はとんでもないことをしているからです。大脳を使って、原始脳を強化しているのです
欲、怒り、嫉妬、見栄、競争心などの感情を、思考、知識を駆使して強化しているのです。文学・芸術という形で感情を育てているのです。現実にかなわない感情・希望、芸術という形で妄想の世界でつくり出すのです。
P94
競争心とは、存在欲を煽る「怒り」です。
そのときに、自分に残っているものは何でしょうか。地位も名誉も手放し、家族からは見捨てられ、仕事以外の生きる目的をもたない、ただの老人になっているのではないでしょうか
P95