心の中はどうなってるの?
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「........ここまでが、心の発見です。」P20
R
A
まぎれてどこかに。。
人がいやがらせを言ってるときは、その人は怒っています。あるいは嫉妬しています。
その人が自分自身のストレスを、自分自身の心の中にある苦しみを、言葉として発散しているのです。
ですから、「あなたはバカです。」と言われたら、その意味は、「言われた人がバカです」ということではなく、「言った人がかなり苦しんでいる」、ということです。
心の中はどうなってるの
正語 しょうご
正しい言葉をしゃべることです。
禁止事項I 嘘
禁止事項II 陰口
陰口は、人の平和を壊すためにある言葉です。
禁止事項III きつい言葉
禁止事項IV 無駄話
疑 ヴィチキッチャー
道理(因果法則)をわかろうとせず、頑固に不信感をつのらせるような心の状態です。
不善心所の疑がある人の場合、その疑は、痴から現れます。知る能力がないから、疑を持つのです。
不善心所のまとめ
人が「知る」という場合、それは「なにかがある」と知ることになります。なにかがあると知ることは、「正知」ではなく、「誤知」です。これが「本来」です。
誤知を正知に変えなくてはいけないからです。
ノートしてた
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無知・痴 moha
頭が悪いということです。
仏教用語としては、無知、愚かさ、愚痴、無明などのタ単語もつかいます。
頭が悪いといっても、けっして世間で考えている「頭が悪い」という意味ではありません。
世間でいう「頭が悪い」とはなにかというと、 1ものごとの理解が難しい 2理解をするのに時間がかかる 3ぜんぜん理解できない、の3つの定義ができます
仏教でいう「頭が悪い」は1.逆さまに理解する 2ぜんぜん理解できない
という意味になります。
無知
無慚
無愧
掉挙
が。。悪。。この4つが悪で
「ものごとのありのままを知り得ないことが、悪行為の基なのです。」心の中はどうなってるの
意志 cetānā
世間でいう「頭が悪い」とはなにかというと1ものごとの理解が難しい 2理解をするのに時間がかかる 3ぜんぜん理解ができないという3つの定義ができます。
それに対して、仏教で言う「頭が悪い」は、1逆さまに理解する 2 ぜんぜん理解ができないという意味になります。
正語
禁止事項III きつい言葉
人を傷つけるようなきつい言葉は、怒りの思考を持たないということができません。怒りの思考を保つためには、間違っている見解を持たないといけないのです。
それらはすべて罪になります。
受 Vedanā
感覚、感じること
苦 楽 不苦不楽
もし生命が幸福になりたいと必死に努力はしたが、結果は大したことにならなかった、または逆効果になって苦しみが増えた場合は、失敗です。
その生命に対して、「能力がない、巧みでない」といえます。
P129
なぜ、仏教の世界で「受(感覚)」がそれほどたいへんなことなのかをお話します。人は、感じたものは、認識します。そして認識があるから、「私は知った」ということに自動的になるのです。「私は知った」という気持ちは一生続くので、「私」という概念、「私に魂がある」という強烈な誤解が、この「受(感覚)」から生まれるというわけです。
P38