AGIがあっても人間は願望を持ち続けることができる
とりあえず、「任意の目的を人間より高性能低コストで達成できる人工物」と定義する
extremeな定義だけど、まあこれが起きたと仮定して人生を考える
@yuiseki_: まぁ人間同士の性能の差なんて計算機の爆発的性能向上を考慮したらミジンコの背比べみたいなもんなので本質的にどうでもいいからとにかくもっともっと喜びを共有しよう!というのがデジタルネイチャー @rootport: 人生をより良くするためには、「人生をより良くしたい」という願望を持つことが最低条件だ。AIの発展は凄まじく、ChatGPTもBingAIも、近い将来にはどんな人よりも〝デキる〟存在になるだろう。それでも人間にはできて、AIにはできないことがある。それは願望を持つことだ。 前AIのページに自分も同じような事を書いていたblu3mo.icon AIが持たないのは、何かをやるモチベーション
とはいえ、「AIは願望を持つことができない」とはいえない気がしてきたblu3mo.icon
めっちゃ願望持っているような挙動をChatGPTは出来る
それを見て、人間が「AI願望持ってる〜」と信じることも起こりうる
AIが願望を持っているかは分からないし、同様に他の人間が願望を持っているかも分からない
そう思い込むか思い込まないかの問題でしかない
私は他人のことを基本的に哲学的ゾンビだと思ってるkawahiii.icon
ただ、AGIがあっても「自分は願望を持てる」とはいえそう
AGIができてどんな能力も無意味になった時、それでも疑いなく自分が持てる唯一のものが「願望」といえそう
「願望」は、「目的」とか「モチベーション」とか「人生の意味」とかの言葉で言い換えられそう
具体的には、AGIのある世界でも以下のようなことができる
「XXな世界を実現したい」みたいな願望を持てる
この時、AGIはそのための手段になる
「色々な事を知りたい」みたいな願望を持てる
この時も、AGIは人間の学習能力のサポートに使えそう
「AIではなく自分の力でXXの仕事をやってお金を稼ぎたい」みたいな願望も持てる
多分資本主義社会でこの願望は達成できなさそう
でも、願望を持つことはできるし、やり方次第では達成できるかもしれない(わからんが)
となると、手段の目的化をせずに、手段として色々なもの(AGI含む)を使いつつ上位の目的を達成する、みたいな人生の方が良さそう? (何が「良い」のかは言語化むずい)
手段の目的化の例:「ソフトウェアエンジニアになりたい」みたいな?
でも手段の目的化を否定して何になるんだという感じはある、考えがまとまっていないblu3mo.icon 「手段が目的化することを趣味という」というオーディオ評論家の長岡鉄男さんの言葉があるkawahiii.icon
現代人「~のために」という思考をしてしまいがちで、我々自身も機能的存在であることにアイデンティファイされすぎているけど、実際には単に「ここに存在してしまっていること」にもアイデンティファイされているという点にも目を向けるべきだと思う。kawahiii.icon
あと○○の補集合として人間を定義するのあんま良くないと思う。kawahiii.icon
存在としての存在は定義によらず存在してしまっているし、機能で定義する限り上位互換が生まれたら存在がおわる。kawahiii.icon
サルトル「実存は本質に先立つ」kawahiii.icon