2026/0522 加藤喜之『福音派』(中公新書, 2025)
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本書のタイトルには、「終末論に引き裂かれるアメリカ社会」の副題が付されている。私はこの表紙を見て、フィルム・ノワールの映画パンフレットを見た気がした。福音が引き裂くモノクロの摩天楼・・・読むうちに、その姿は消失点に向かうアメリカ社会に重なった。だからだろう、NHKの「世界のドキュメンタリー」を観ている気分にもなった。
そんな本書だが、経緯の面白さは事の真相を曖昧にしがちだ。そうなるのは読み手の責任なのだが、それだけに終末論がアメリカを引き裂く理由の理解は読者に委ねられている。間違いなく本書は、その真相を知るための第一級の証拠資料だ。
とはいえ、本書の中核ともいえるキリスト教に端を発する世界は、宗教とは無縁の自分には遠く深い彼方にある。しかも本書の展開は、カットバックを多用した映画の進行にも似て、時間軸が激しく交錯している。
そこで今回は、本書を理解するのに必要な普遍的概念を押さえた上で、次に時間軸と地理軸で要点を整理し、最後に終末論に引き裂かれたアメリカの行方を考えることにした。最後の「まとめ」では、時間軸と地理軸を図で表すとともに、エマニュエル・トッドが『西洋の敗北』で述べた「宗教ゼロ状態」と白人福音派の関連について考察した。
本稿は加藤喜之『福音派』を手掛かりに、関連文献やChatGPTとの対話を交えながら整理した個人的な読書ノートである。できるだけミスのないように努めたが、浅学のため理解が至らない部分もあることと思う。
目次
1. 本書の背景にある基本的な概念
2. 福音派が政治力を獲得する経緯(時間軸)
3. 福音派が拠り所とする聖書と終末論(地理軸)
4. 本稿のまとめ
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1. 本書の背景にある基本的な概念
本書のテーマは福音派とアメリカ社会の関係を明らかにすることにある。その背景には宗教、とりわけキリスト教とアメリカの政治がある。これらの背景をさらに分解していけば、新旧の聖書と宗派、そしてアメリカ大統領と政党の関係になると思う。
1-1. ムーブメントとしての福音派
『福音派』を取り上げる冒頭で「福音派とは何か?」と問うのはためらいがある。しかし、無用な先入観を持たないためにも、福音派について最小限の公平なイメージを持っておく必要がある。
あらためてWikipediaの「福音派」を開くと、「ある意味明確な定義がない。福音派自身による簡潔な定義は『福音に献身する者』」と書いてある。$ ^{1)} また本書の副題にあるように、ここでのテーマはあくまで「アメリカの福音派」である。これについて著者は、まえがきで次のように書いている。
米国の福音派は、神の言葉としての聖書、個人的な回心体験、救いの条件としてのキリストへの信仰、そして布教を重視する、複数の教団、教会、個人からなる宗派の壁を超えた宗教集団であり、運動である。アメリカには、長老派やバプテスト派などの多様な宗派が存在するが、福音派はそうした宗派の壁を超えたものとして理解されるべきだろう。つまり、長老派教団の会員でありつつ、福音派を自認する信者も当然存在する。(p.3)
このように、福音派には「宗派の壁を超えた宗教集団であり運動」の性格がある。そもそも、Wikipediaがいうように「福音に献身する者」である以上、それが宗派を超えて遍在するのは当然のことだろう。そうであれば、福音派はひとつのムーブメントだとも言える。このことは、本書を読み解く上で重要なポイントではないかと思う。
1-2. 福音の拠り所
福音派が宗教観にもとづくムーブメントだとして、それでは福音の拠り所は何なのだろうか。福音派がキリストの教え、福音に献身する運動であるなら、その拠り所は間違いなく聖書に関連付けられているはずだ。
聖書と聞いて、旧約聖書と新約聖書を思い出す人は多いだろう。もし私が「聖書とは何ですか?」と聞かれたら、旧約聖書は創世記にはじまる神話、新約聖書はイエス・キリストの教えが記されたキリスト教の聖典、などと答えると思う。そう答えながらも、日本人で無宗教の私にとって、新旧の聖書、イエス・キリストと聖書の境界は曖昧になりがちだ。
では、アメリカ人はどうだろうか。実は、彼らには聖書の新旧の境界はない。多くのアメリカ人のキリスト教徒は、旧約聖書を含めてキリスト教の聖典と考える。この点について著者は、次のように書いている。
キリスト教の歴史で旧約聖書の預言や約束は、しばしばキリスト教徒全体のために書かれたものとして読まれてきた。旧約聖書は、ユダヤ民族に向けて書かれていたにもかかわらずだ。そもそも、『創世記』などの文書群を旧約(すなわち、旧い契約という意味)と呼ぶ行為自体が、キリスト教を中心としたものの見方だと言えるだろう。(p.20)
このように、キリスト教徒とユダヤ教徒とでは、旧約聖書・新約聖書にたいする考え方が異なる。ユダヤ教徒の側からすれば、「旧約聖書」そのものが、新約聖書を前提としたキリスト教側の事情でしかない。彼らにとって聖典は一つであり、キリスト教のカトリック教徒が旧約と呼ぶ文書群こそが聖典になる。
そもそも、旧約聖書はイエス・キリストが生まれる以前に書かれた文書群であり、キリスト教徒は旧約聖書をキリストの到来を予告する書として読むことが多い。しかし、ユダヤ教徒はそのようには読まない。
このことが重要なのは、後でも取り上げるように、この解釈の違いが宗派を超えた親和や反目の原因になることがあるからだ。例えば、一部の福音派は、神学的にはカトリックと距離を置きながらも、イスラエル支持や終末論的な理解を通じて、ユダヤ人やユダヤ教と親和し政治的な支援を行ったりもする。
また、宗教一般にいえることだが、聖典に書かれていることが行動に強く影響する。良く言えば信仰、悪く言えば聖典へのこだわりをともなう。こうしたことから、聖典をどのように読み、どのように位置付けるかが「終末論に引き裂かれるアメリカ社会」を解く重要な鍵になると思う。
1-3. アメリカ大統領と宗派
日本で政治と宗教といえば政教分離が頭に浮かぶ。このため、創価学会が支持団体の公明党が特異に思えたりする。もちろん、政教分離規定が制限しているのは国家権力であって、宗教団体ではない。しかし、選挙運動で候補者の信仰が前面に出ることが稀な日本からすると、アメリカの歴代大統領と宗教の結びつきは驚くほど強い。むしろアメリカの大統領選挙では、自分の宗教観をアピールすることが当落を決するほどの重要性を持っている。最も典型的には、39代の大統領を務めたジミー・カーターだろう。彼は福音派であることを自認していた。
本書には、ジミー・カーターが受けた宗教的な回心体験$ ^{2)} がいかに人々を驚かせ、支持に影響を与えた様子が生々しく描かれている。その発端は次のようなものだったという。
福音派が最初に米国の主流メディアから注目されたのは、1976年。その年の大統領選で、民主党の候補ジミー・カーターが、自らを「ボーン・アゲイン」と公言したことがきっかけだ。「ボーン・アゲイン」とは、直訳すれば「生まれ変わり」だ。しかし一般的には神の前で自らの罪を認め、イエス・キリストの救いを信じる回心のプロセスを体験した者を指す。つまり、福音派とほぼ同義と考えて構わない。(p.4)
こうした大統領と宗教の結びつきは、程度の違いはあっても歴代のアメリカ大統領に共通のものだ。ここで、20世紀以降のアメリカ大統領と宗派の関係を整理すると、次の表のようになる。また、記載の宗派は厳密な定義によるものではなく、選挙戦や社会的な受け止め方を基準としてGPTが出力したものである。それでも、この表を見ただけでも、アメリカの政治と宗派の結びつきの強さが実感できる。
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ピューリタンが建国した国として、アメリカ大統領の多くをプロテスタントが占めているのは当然だろう。ピューリタンはもともとプロテスタントの急進派だった。また、共和党はプロテスタント、とりわけ福音派とのつながりが多いこともわかる。その上でこの表が興味深いのは、アメリカの人口のおよそ四分の一を占めてきたと言われるカトリックの大統領がごく少数派であることだ。
そしてもう一つ、1900年代の後半になると福音派の影響力が色濃くなることである。その端緒を開いたのがジミー・カーターだった。本書はその内実についての記述、すなわち福音派がどのようにして政治への影響力を高め、それがアメリカをどのような行動に導いたかの記録といっても過言ではない。
2. 福音派が政治力を獲得する経緯(時間軸)
ここであらためて、アメリカの政治に福音派がどのようにして影響力を強めたか、本書の記述に沿ってメインストリームを整理しておきたい。できるだけ本書の内容に則するように努めたが、時代が交錯する記述も多く、必ずしも本書の進行には。
2-1. 1940年代:福音派の誕生
福音派が聖書の福音に献身を示すムーブメントと考えると、その歴史は古いと思いがちだ。しかし、本書によれば福音派の誕生は意外と新しい。その経緯を著者は次のように書いている。
原理主義者たちは、1942年に「全国福音派協会」( National Association of Evangelicals: NAE)というロビー団体を首都ワシントンに設立。同会の使用した「福音派」というネーミングこそが、現代の「福音派」という名称の直接的な由来である。ちなみに、日本にも福音派と呼ばれる教団や協会は存在し、それらの多くは同会の流れを汲む。(p.28)
この記述で興味深いのは、1942年という時代の新しさだけではない。それよりも、原理主義者のなかから福音派の名称が生まれたことが目を引く。この点についての著者の考えを要約すると、次のようになるのではないかと思う。
——古くからプロテスタントのなかに福音的な信仰はあったがそれだけに古い考え方、例えば、奴隷制度や家父長主義から自分たちを区別するために、あえて原理主義という名称を使わず、福音派という新しい名称を使用した。——
つまり、発足当時の福音派は保守的なグループに属しながらも、むしろ進歩的な考えを持っていた。こうした進歩的な考え方に大きな影響を受けた人物の一人に、熱心な原理主義者の牧師だったビリー・グラハムがいる。本書によればグラハムは、「原理主義の一切の妥協を許さない姿勢に批判的だった。より大きな影響を獲得するためならば、多少の違いに目をつぶることも辞さない福音派のプラグマティズムに賭けた」という。
そんな進歩的なグラハムに根っからの原理主義者が反感を募らせる一方で、「共産主義は悪魔の宗教」「いまこそ人々はキリストの福音を受け入れ、悪魔との最終戦争に備えなければならない!」と主張するグラハムの名声は高まる一方だったとある。グラハムは原理主義者だったが、彼の活躍が結果的に進歩的な原理主義者、すなわち福音派という新たなムーブメントを強めることになった。
1940年代は、キリスト教原理主義を母体に、福音派という言葉とともに急進的な動きが生まれた時代だった。このことは、プロテスタントから独立した急進的なピューリタンが建国したアメリカの成り立ちと重なる。
2-2. 1950年代:福音派による政治へのアプローチの始まり
社会に大きなムーブメントが形成されると、資本家や政治団体が関心を持ち関係が強化されていく。これは上述の、宗教と政治が結びつきやすいアメリカ社会の性質の現れだろう。実際グラハムは、当時NATO連合軍最高司令官だったアイゼンハワーをパリに訪ね、大統領選への出馬要請を行ったそうだ。グラハムの宗教的な立場とアイゼンハワーの政治的な立場は一致し、社会に高まる反共意識と宗教的正統性が相まって、アイゼンハワーは大統領選に勝利する。
実質的な意味で、これが福音派が政治に大きな影響をもたらす最初の出来事となった。当時の状況を著者は次のように書いている。
50年代の市民宗教は、とりわけ国際的な共産主義との対立という文脈のなかで、アイゼンハワー政権とビリー・グラハムが推進した宗教復興運動を通じて確立した。その具体的な表れとして、国旗への誓いの文言に「神の下で」(〝 Under God〟)という句が加えられ、「我々は神を信ず」(〝 In God We Trust〟)が紙幣に刻印されるようになった。また、大統領や上下両院の議員が参加する全米祈禱朝食会( National Prayer Breakfast)も、同時期に始まっている。(p.45)
ドル紙幣に「神を信じる」と刻むあたりに、宗教的な正義のもとで経済合理性を追求する、宗教的帝国主義のアメリカを思うのは私だけだろうか。しかしアメリカは、欧州諸国のような中世以来の教会権力を背負った宗教国家とは国の成り立ちが異なる。
この1950年代に強まりを見せた福音派と政治の接近に、実質的な意味でのアメリカの精神がよく現れていると思う。アメリカは近代国家ではあるものの、建国の精神にピューリタンの選民意識と神の使命を組み込んで出現した、いわばインスタントな宗教国家だった。そこに、宗教の歴史を深くさかのぼることが困難な、アメリカ固有の事情があると思う。
2-3. 1960年代:カトリック教徒の大統領ジョン・F・ケネディ
60年代になると、民主党からカトリック教徒であるジョン・F・ケネディが大統領選に出馬する。ケネディの対抗馬はプロテスタントの支持を集めた共和党のリチャード・ニクソンだった。当時の状況を著者は次のように書いている。
若く、精力的で、ハンサムなケネディは、米国の新しい風だったと言えよう。だから、古く、伝統的で、白人プロテスタントの米国にとっては、脅威でしかなかった。とくにケネディのカトリック信仰は、多くのプロテスタント教徒に懸念を与えた。一部の原理主義者たちは、ケネディの登場を終末論的に解釈しており、なかにはカトリックのローマ教皇による教権的な体制がアメリカにもたらされる、と大袈裟に警鐘を鳴らす者もいたほどである。(p.46)
この時代、アメリカは大きな転機を迎えた。人種差別禁止を訴えるキング牧師らの運動が高まりを見せるなか、ついに差別を禁止し黒人の公民権を幅広く認める公民権法が成立する。1964年にリンドン・ジョンソン大統領が行ったこの法律への署名は、アメリカ史上最も重要な出来事の一つとされている。公民権法が60年代以後のアメリカ社会を象徴するムーブメントの端緒を開いたからである。古い原理主義的な考え方から距離を置いてきたグラハムでさえも、人種問題の解消は必要だと考えていたそうだ。
しかし、公民権運動が次第に激しさを増し、法に反する行進やボイコットなどの示威行動に突き進むようになると、グラハムは次第に批判的な姿勢を強めるようになったという。キング牧師が63年に投獄された際には救済に動かず、68年に暗殺された際には葬儀にも参加しなかったとある。こうしたグラハムの姿勢について、著者は次のように書いている。
公民権運動へのグラハムの批判的な姿勢の背後には、法と秩序に加えて、共産主義の問題があった。グラハムは、連邦捜査局(FBI)長官の J・エドガー・フーヴァーから、キング牧師の関係者に共産主義者がいると報告を受けていた。また、グラハムはベトナム戦争を共産主義との争いで不可欠だと考えていた一方で、キング牧師はベトナム戦争に批判的な立場をとっており、それが両者の溝を深めたとも言えるだろう。(p.49)
この経緯が興味深いのは、福音派が原理主義の分離主義や反知性主義を乗り越え、より社会に開かれた運動として生まれながらも、福音派を主導したグラハム自身が、社会化したより急進的なリベラリズムの流れに乗らなかったことだ。おそらくそこには、原理主義に立脚する彼の宗教的立場だけではなく、アメリカの民意としての反共産主義の影響があった。
「神なき共産主義」が定型句だったこの時代、共産主義に近づくことは神の否定を意味した。社会運動がリベラリズムへと広がりを見せるなかで、政治的立場を反共産主義に置くグラハムが、自らの宗教的立ち位置を急進的な社会改革に求めず、秩序と国民の統合を重んじる保守的な考え方に置いたのは無理からぬことだった。
こうして1960年代は、反共産主義の民意を汲んだ福音派と政治との関係が強化されることになった。原理主義から見れば福音派は急進的だが、実は神学や思想からというより保守的で実利的な考えによるものだったことになる。
2-4. 1970年代:福音派の大統領ジミー・カーター
反共産主義の民意は70年代に引き継がれ、76年の大統領選挙では共和党のロナルド・レーガンを支持する福音派も少なくなかった。レーガンは党を代表して強硬な反共産主義を唱えていた。その一方で、若い人々を中心にフェミニズムやベトナム反戦運動も拡大していた。
そうしたなか、民主党からジミー・カーターが大統領選に立候補する。彼は福音派であり、前述のように「ボーン・アゲイン」の告白で大きな注目を集めた人物だ。しかし、本書によれば、77年にカーターが大統領に就任するまでの経緯は一様ではない。確かにカーターは福音派だったが、彼が滔々と語る回心体験に戸惑う福音派も多く、当初はレーガンの方が魅力的だと考えた福音派も少なくなかったという。
さらに、カーターは政教分離の原則を守る姿勢を打ち出し、政治的影響力を高めようとする福音派の期待に応えようとしなかった。それでもカーターは、「歴代の民主党立候補者たちよりも20%以上多い福音派の票を得た」という。福音主義的な信者の多い南部の福音派が期待を寄せたのがその理由だったようだ。こうした紆余曲折はあるにせよ、最終的にカーターが大統領になったことで、政治における福音派の存在がアメリカ社会で大いに認知されることになった。
しかしこれは、政治だけの出来事ではない。本書には、70年代は福音派が文化面でも存在感を高めた様子が記されている。その立て役者となったのが、福音派の作家ハル・リンゼイが書いた『今は亡き大いなる地球』だった。著書なかでリンゼイは聖書の予言を取り上げ、独自の終末論を展開する。著者はその概要を次のように要約している。ただし、引用にあたり一部を省略した。
リンゼイによると終末への歩みは、次のように進む。まずロシアがイスラエルを攻撃。ロシアがしばらく中東を治めたのちに、復興したローマ帝国、つまり欧州連合がロシアに対して核戦争を仕掛ける。「反キリスト」は復活した帝国から出てくるとされており、アメリカはこの西側勢力とともにロシアと戦うらしい。アメリカもキリストに反目する敵の一味として理解されているのは興味深い。
最後に出てくるのは中国だ。西側勢力と中国は「ハルマゲドン」という場所に集結し、最終戦争を行う。(…)戦争は中東のみならず世界全土に広がり、東京やロンドンやパリなど、あらゆる都市は滅亡するという。
ロシアが滅びた段階でユダヤ人はイエスを信じ、民族全体の回心が起きる。また、ハルマゲドンが最高潮に達したその瞬間にイエスが地上に帰ってきて、人類を救うのだという。(p.62)
「反キリストは復活した帝国から出てくる」とは書かれているものの、欧州、ロシア、中国、アメリカが終末戦争に巻き込まれるなか、ユダヤ人の集団的回心が特権的な救済に結びつけられている。こうした記述について著者は、「このような荒唐無稽な内容の書物が1000万部以上も売れたとはなかなか信じ難い」と述べている。
しかし、半世紀前のこの荒唐無稽が、その後の世界に無関係だったとは言えない。宗教的空想はときに破壊的な力を持つ。長年イスラエルが中東で繰り広げている戦争暴力を見るにつけ、こうした終末論的空想が、現実の破壊と犠牲に宗教的正当性を与えているように思えて慄然とする。
その影響は当時の日本にも波及している。リンゼイの『今は亡き大いなる地球』は二度にわたって日本でも邦訳が出版され、90年に徳間書店から日本語版が出た際には、副題に「核戦争を熱望する人々の聖典」と記された。また、本書によれば、この本はオウム真理教にも影響を与えたともある。$ ^{3)}
このようにして福音派は、70年代のアメリカ社会のなかで政治への影響を強めると同時に、人々の意識の深層においても、宗教と終末論の結びつきを強める役割をはたすことになった。このとき人々が大きなな影響を与えたのが、「荒唐無稽な予言書」だったことは残念だが、宗教に侵されるアメリカの一つの事実として覚えておく必要がある。
2-5. 1980年代:反共主義の大統領ロナルド・レーガン
こうして福音派は、原理主義を土壌に政治と文化双方とのつながりをさらに深め、表舞台に現れるようになった。その姿はいかにも威厳に溢れ、力を誇示するものだったのだろう。だが、激しくリベラルに対抗するその姿が、人々を恐れさせ遠ざけることになる。著者は「それに多くの米国民は戸惑い、恐怖した」と書いている。リベラルな価値観への反対はカーターを支持した福音派の考えでもあったはずだ。それなのになぜ、多くの米国民は戸惑ったのだろうか?
このあたりの本書の記述は詳細でまとめるのが難しいが、この直前でマーガレット・アトウッドの『侍女の物語』に言及し、宗教保守がアメリカを支配するディストピアが人々に恐怖を与えた状況に言及していることから、おそらく想定以上に影響力を強めた宗教勢力に多くのアメリカ人が恐れをなしたということだろう。そのひとつの背景を著者は次のように書いている。
公民権運動に反発して、原理主義者たちは独自のキリスト教系私立学校を創立していた。公平を期すために記すが、人種問題だけが理由だったのではない。60年代は進歩的なリベラリズムが席巻しており、公立学校での祈りや聖書朗読が禁止され、厳格な政教分離が取られるようになっていた。原理主義者たちは、これを世俗主義(secularism)、あるいは世俗的人間中心主義(secular humanism)の台頭として懸念。独自のキリスト教解釈に基づいた学校教育の配備は、彼らの懸念の表れでもあった。(p.71)
具体的には、リベラルな考え方に対抗して作られたキリスト教系の私立学校が、79年までに100万人の学生を抱えるまでになったというから驚く。ちなみに、現在の日本の国公立大学の学生総数は、およそ80万人弱と言われる。リベラル化する社会に対抗して、当時のアメリカではこれほどに、保守的な宗教勢力が地盤を強化していたのである。
ところが、原理主義者が育んできたこの教育環境に政治がメスを入れる。これを原理主義者達は宗教弾圧と受け止め、徹底抗戦の構えを取ったというのだ。こうしたせめぎ合いは教育界に限らなかった。70年代末期までに起きた政治に対する原理主義者の抗議を総括するかのように、著者は次のように書いている。
50年代の人種統合への動き、60年代の公立学校での聖書朗読や祈りの禁止、70年代の私立学校への内国歳入庁の介入や中絶についての最高裁の決定。ほかにもフェミニズムや同性愛やベトナム反戦運動などあげればきりがないが、古き良きアメリカを少しずつだが確実に変えようとした一連の流れは、ファルウェルをはじめとする南部の保守的なキリスト教徒を自覚的に政治へ向かわせる原因となった。(p.89)
結局のところ、77年に福音派の大統領として登場したカーターも、宗教右派が望むような保守的社会再建の担い手ではなかったということだろう。カーター政権の政策は、古き良き時代を志向するキリスト教保守層の期待には十分に応えられなかったことになる。
キリスト教保守層、プロテスタント、原理主義者、福音派それぞれに政治に対する思いにズレがあった。福音派の大統領が生まれたからといって、アメリカは福音派社会にはならなかった。この時代にも福音派はまだムーブメントだった。だが全体として見れば、60年代から巻き起こったリベラルな潮流に対抗する形で、反リベラルの保守的宗教ブロックが形成されたと言えないないだろうか。
この時代に入るまでのまとめが長くなったが、こうした状況のなか80年代が幕を開ける。ここで大統領選に出馬するのが、保守的な政策で知られていたロナルド・レーガンである。
ここで興味深いことが起きる。福音派が「元ハリウッド俳優で離婚経験者、さらに教会へあまり足を運ばないと噂されたレーガン」の支援に回った。前回の大統領選で福音派のカーターを支援したのとは真逆の行動を支えたのは、レーガンが徹底した反共主義者であり、カリフォルニア州知事のころ保守的な政策を取っていたからだった。リベラルな政策を進めるカーターを快く思わなかった福音派がレーガン支援に回るのは当然のことだった。
こうした動きを受け、レーガン陣営は福音派に秋波を送るようになる。それだけではない。レーガンはキリスト教保守層全体を取り込もうとした。その象徴ともいえる出来事を、著者は次のように書いている。
80年7月14日から17日にミシガン州デトロイトで共和党の党大会が開催された。その場でレーガンは、「ともにアメリカを再び偉大な国にしよう!」(〝 Let' s Make America Great Again〟)という、奇しくも32年後にドナルド・トランプが再利用するフレーズを唱え、保守的な公約を発表した。この公約は明らかに福音派をはじめとした保守的なキリスト教徒に寄り添ったものだった。(p.95)
この引用に続く部分で著者は、当時レーガンが示した政治姿勢には次のようなものがあったとしている。先に触れたようにカーター政権は政教分離を進めたが、レーガン政権はその方針をひっくり返したことになる。
・男女平等憲法修正条項への消極的な姿勢
・中絶を禁止する憲法修正の約束
・教育への連邦政府の介入の禁止
・内国歳入庁による私立学校の規制の停止
・公立学校での祈りの許可
・私立学校へ子女を通わせる保護者への税控除…など
(p.95あたりの要約)
一見して、これらの多くが現在のトランプ政権の方針とよく似ている。とくに教育分野に対する方針に一致が見られる。参考として、2025年1月に就任した第二次トランプ政権の方針と比較すると、下表のように両者の政策方針の一致度はかなり高い。
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宗教者たちはレーガンと共和党を熱烈に支援した。レーガンはその支援に宗教的な言葉で応えた。その象徴的な出来事として著者は、80年8月にテキサス州ダラスのリユニオン・アリーナで開催された会合の様子を取り上げている。
来賓として多くの宗教関係者が招かれ、大教会の牧師らの挨拶が一巡したあと登壇したレーガンは、15,000人の聴衆に向かい「みなさんが無党派であることはわかっているが、私はみなさんを公式に支持している」と連帯を強調したそうだ。演説の概要は次のようなものだったという。
レーガンの演説は全体にわたって福音派の耳に心地よかった。退廃するアメリカに必要なのは、世俗主義ではなく、「古き良き宗教」であり、「古き良き憲法」であると語り、一七世紀のピューリタン指導者ジョン・ウィンスロップと聖書の言葉を引き、アメリカは「丘の上の街」であり、世界に光を照らさなければならないという。そして、聖書にこそ現代社会が抱えるあらゆる問題の答えがあると結ぶ。会場は総立ちとなり、惜しみない拍手が湧き起こった。(p.97)
こうしてレーガンは、多種多様なキリスト教諸団体を支援団体としてまとめあげ、共和党に抱え込むことに成功した。そして、「米国は福音派と共和党の掲げる『古き良きアメリカ』への回帰を受け入れ、1980年の大統領選は共和党陣営の圧勝に終わった。」
カーターを支援しレーガンを圧勝に導いた福音派は一見すると矛盾しているように見える。しかし、この流れの底流にあるのは、キリスト教保守派と政治との強い結びつきだろう。そこには、リベラルに寄り過ぎると不安になり懸念を示すアメリカ国民の心情があるように思う。福音派がその国民心情を巧みにムーブメントとして救い上げ、政治力につなげることで、多くのアメリカ人の心情を形に落とし込む役割を果たしたのだろう。
しかし、ここでもまた福音派は、レーガンの保守的な政策に完全には満足しなかった。81年にレーガン政権の発足すると同時に動き出した、あらたな原理主義者が登場したとある。R. J. ラッシュドゥーニーという人物である。彼の考え方は、後で取り上げる福音派の宗教観と密接に関わるため、ここで関連事項に言及しておきたい。
ラッシュドゥーニーは以前から福音派に影響を及ぼしていたが、多くの福音派とは終末論についての考え方が異なっていた。福音派の人々は元来、イエス・キリストを信じ福音を伝えることで、イエスの再臨において天空に引き上げられる(いわゆる携挙)と信じてきた。「現世はあくまで、来るべき世界への準備期間」とする考え方だ。しかし、ラッシュドゥーニーの終末の捕らえ方は異なる。「現生において、終末はすでにはじまっている」と考えたとある。著者は次のように書いている。
彼によると、終末の世界はイエスが最初に現世へ来た時にすでに始まっており、キリストの王国は死後の世界でも、携挙の後に確立されるのでもなく、いままさに確立されつつあるという。したがって、重要なのは、安っぽい恵みを語って、天国へ勧誘するのではなく、神の恩寵によって地上を一層キリスト教的にしていくことにある。そのため政治や経済もキリスト教的にならなければならず、法は聖書をもとに打ち立てねばならない。(p.104)
ラッシュドゥニーのこの考えに従うなら、福音を伝えながら終末を待つのではなく、すでに起きている終末世界のなかで、「政治、経済、家族、教育、宗教など人間の生のすべての領域を聖書の法に従わせ、この世界をキリスト教的に再建」することこそが正しい行いになる。このラッシュドゥニーの考え方がその後の白人福音派の基調となる点で、80年代はアメリカが本来のキリスト教と決別した変節点だったのはないかと思う。
それでは、福音から法へ、未来に迎える終末から現実の終末へという終末論の転換は、福音派やレーガン政権にどのような影響をもたらしたのだろうか?
本書に記されたレーガン政権とラッシュドゥニーの関係はここでもまた紆余曲折あるが、全体としてみれば、政治や経済をキリスト教の法の下に置くといった考えは、ほとんど政策には反映されなかったようだ。そうなったのは、福音派としてもこの時点では、政治や経済を神の法のもとに置く、神権政治というほどの考え方に批判的だったからだろう。また、「レーガノミクス」による減税と規制緩和で経済も好調であり、加えてソ連の行き詰まりがアメリカ社会に安定をもたらした世界情勢も影響したのではないかと思う。
結果としてこの時代、政権側は安定した政治経済のなかで福音派をそれほど必要とせず、福音派もまた宗教的に極端な行動に出る動機を欠いていた。ラッシュドゥニーの過激な主張にもかかわらず、福音派とレーガン政権にとって80年代は安定のうちに過ぎたことになる。
しかし、著者が言うように、ラッシュドゥニーの「孤独な歩みは、確実に大きな影響を残した。」その最大の影響はといえば、終末論の転換により、政治に神の秩序をめぐる霊的な戦いという新たな視点が生まれたことだろう。80年代に生まれたこの終末論の転換は、その後に大きな禍根を残すことになる。
2-6. 1990年代:大統領戦を構造化した三人の宗教者
本書によれば、この時代の大統領選を左右した人物は三人いる。その最初の二人が、パット・ロバートソンとラルフ・リードという人物である。ロバートソンは回心体験を通じて聖職者になった人物で、聖書や終末についての原理主義的な信仰に加えて、宗教体験がもたらす超自然的な奇跡を信じるタイプの宗教者だったようだ。
ロバートソンには政界での経験もあった。1988年の共和党予備選では福音派として出馬し、ジョージ・H・W・ブッシュ(父ブッシュ)を相手に善戦したことで、共和党から称賛されていた。後に彼は福音派のテレビ伝道師として成功し、エンターテイメント系の会社を買収し経営にも手腕を発揮するなど、実に多才な人物だったという。
もう一人のラルフ・リードは、ロバートソンによって発掘された人物で、その直後に、新たに設立された「キリスト教連合」の代表を務めたとある。そのなかで、ロバートソンが広めた共和党での福音派の地盤を、共和党のいわば選挙装置にまで高める役割をはたした。巨大な組織となったキリスト教連合は、90年代の福音派と保守政治運動を牽引し、その後の米国の政治と宗教の在り方に大きな変化をもたらしたという。
本書にはその過程でリードが示した考え方や手法が詳しく書かれている。彼の献身的な働きは「神の右腕」と呼ばれ、彼が率いるキリスト教連合は「合衆国の政治とその仕組みを乗っ取る十字軍」とまで言われたそうだ。この言葉は、「TIME」誌の表示を飾ったりもした。本書にはその写真が掲載されている。しかしその割に、リードはプラグマティストだったようだ。例えば、保守的な福音派が容認しない中絶や同性愛に厳密な立場を取らなかった。
つまり、リードは選挙を通じて福音派の政治的な影響力を高めたものの、宗教的信念を重視しなかった。こうした姿勢は、ロバートソンとの間に軋轢をもたらしただけでなく、キリスト教保守派に、リードの路線とは異なる新たな動きを生みだす反作用をもたらした。
ロバートソンとリードがそれぞれの活動を通じて、政治に対する福音派の影響力を高めたことは間違いない。ロバートソンは自ら予備選に出馬し、リードは共和党の選挙の仕組みを改革した。こうした動きは、77年の福音派の大統領カーターの出現以降、81年には福音派の支持を受けた保守派プロテスタントのレーガン大統領、そして89年には主流派プロテスタントの父ブッシュへと、宗教右派の大統領の輩出を促した。
しかし、これまで見てきたように、福音派はカーターの急進性から次第に離反し、レーガンの時代には反共産主義では一致したものの、福音派は彼の保守主義に満足しなかった。本書には父ブッシュについての記述がほとんどないが、ブッシュは福音派ではなかったうえに、レーガンの政策を引き継いだ面が強いからだろう。この間にリードは共和党の組織改革に力を注いだが、福音派は宗教的信念よりも選挙を重視するリードのやり方を好まなかった。
長年のこうした状況が積み重なり業を煮やしたのが、90年代で影響力を発揮する三人目の人物、ジェームズ・ドブソンである。1995年、ドブソンはリード宛の書簡で強い抗議を込めて次のように記したという。
私たちはお前の最近の発言について話し合い、キリスト教連合から距離を置く必要性を検討した…お前が手を組んだ政治家たちは、これらの幼児たちに破滅的な結末をもたらし、今後何百万人もの命を犠牲にするつもりだが、それでもいいのか。(p.124)
ドブソンは、リードが進めてきた福音派の影響力の強化や共和党の改革ではなく、福音派本来の伝統的な家族観やジェンダー感の堅持こそが最重要と考えていたことがわかる。ドブソンは教育心理学を学び、小児科医だった経歴を持つ。そのドブソンを一躍有名にしたのは、1970年に彼が刊行した『厳しくしつけよ』という書物だったそうだ。
こうした保守的な考えを政治的に実現させるためドブソンは、83年に「家族調査評議会」を設立し、次に政治的な意見を集約するための「家族政策評議会」を作り、さらには「国家政策委員会」を立ち上げる。しかしながら、こうした活動にもかかわらず、ドブソンが望んだ法案はほとんど可決されなかったとある。
なぜドブソンの考えは受け入れられなかったのか? その理由を著者は、「60年代の精神の体現者、カウンターカルチャーの申し子ビル・クリントンが君臨していたからだ」と書いている。そのクリントンを福音派の多くのリーダーは不審の目で見ていたという。クリントンの考え方はドブソンらとは大きく異なっていた。なぜ、同じプロテスタントでも相いれなかったのか。つぎの箇所がわかりやすい。
なにより違うのは60年代の捉え方である。ロバートソンやドブソンは、カウンターカルチャーの背後にサタンの力を見るのに対して、青年クリントンはその渦中にいた。そればかりか大麻を吸い、反戦運動に参加し、サックスでジャズを奏でる。性的にも放縦だ。社会的にはリベラルで、福音派のアジェンダとは相容れない。なのに、同時に聖書を縦横無尽に引用し、神の希望を語り、イエスの赦しを説く。多くの福音派にとってこれは神への冒瀆だ。(p.132)
このようにクリントンには、リベラルな姿と宗教の言葉で政治を説く政治家の姿が同居していた。その意味でカーターに似たところがある。しかし、信仰と宗教のからみは異なる。政教分離を旨としたカーターに対しクリントンは、政治の中でしばしば「キリスト」を引き合いに出した。彼が信仰に篤かったかどうかは別として、礼拝に通い、縦横無尽に聖書を引用し、人々と共に祈った。著者はこうしたクリントンを「米国の市民宗教の伝統を体現していた」と述べている。
だが、1995年のドブソンの怒りがそうであるように、世俗的なクリントンを保守的な福音派は好まなかった。すれ違いの最大の要因は、公民権法を経てアメリカが抱えることになったリベラリズムに対する宗教観の違いがあった。著者は次のように述べている。
クリントンも福音派も、キリスト教をアメリカの市民宗教とみなす点では同じである。その点で、両者ともグラハムの思想的な子供たちだ。が、1980年代の精神革命への評価において両者の意見は真っ向からぶつかる。
クリントンにとって、この革命で可能となった人種、性、ジェンダー的マイノリティの自由や平等は揺るがされてはならないし、さらに拡大されなければならない。拡大される自由や平等にこそキリスト教の精神が体現されていると考えることもできる。
それに対して多くの宗教右派は、この革命こそが米国を世俗化し、道徳の面で相対主義をもたらした元凶とみなす。したがって、必要なのは聖書的な価値観の法制化であり、キリスト教的だった社会へ時計の針を戻すことである。(p.138)
良く知られているように、クリントンは90年代の半ばから当時22歳だった研修生、ルインスキーとホワイトハウスで不適切な関係を持つようになる。二人の関係はまもなく発覚し、人々の目に晒される。そして1998年、クリントンは自らの過ちを認め公式に懺悔を行った。
その後クリントンは、ドブソンらの声に押され偽証と司法妨害の疑いにより弾劾裁判にかけられた。しかし、判決は無罪だった。国家を揺るがすレベルの犯罪とは見做されなかったのだろう。大統領にとって不名誉なことだったが、世論はクリントンに味方した。この間に「クリントンの支持率はむしろ上昇し、任期が終わるまで6割を割らなかった」そうだ。ドブソンは忸怩たる思いだったことだろう。
結局のところ、ロバートソン、リード、ドブソンといった保守的な福音派の運動家が共和党を支援し、福音派と政治の結びつきが強まり、彼らが望む大統領が引き継がれてはきたものの、福音派の真の願いはかなわないまま、福音派と政治の90年代が終わったことになる。
この経緯を振り返りポイントを整理すると、ロバートソンは終末論を政治に接続し、リードは選挙を装置化し、ドブソンは古き時代の道徳を説いたとことになる。それでも、福音派が願う神の秩序の回復はかなわなかった。福音派にとって90年代は、喧騒のなかで過ぎた静かな失望の期間だったというしかない。このことが後に、宗教と政治に大きな捩れを生むことになる。
2-7. 2000年代:ネオコンに利用された子ブッシュ大統領
クリントンに代わり、2001年にジョージ・W・ブッシュ(子ブッシュ)が大統領に就任する。ブッシュは二期8年にわたり大統領を務めたので、2000年代はブッシュの時代だったことになる。著者はブッシュについて、次のように書いている。
その後のドナルド・トランプを除くと、最も福音派を熱狂させた大統領であったと言えよう。ブッシュに批判的な米国民は、政権、ひいてはアメリカが福音派に乗っ取られたと考えるほどだった。(…)ブッシュは福音派に政治的な黄金時代をもたらした…(p.153)
ブッシュはどのようにして「福音派に乗っ取られ、福音派に黄金時代をもたらした」のだろうか?
ブッシュもまた、歴代の大統領がそうであったように、宗教的な体験が人生の重要な転機になった一人だ。ブッシュの場合それは、「神の召しが聞こえる」タイプのものだった。本書には、「大統領選に出ることを神が願っている」という神の声を聞いたとある。その意味でブッシュは、メソジスト派でありなががら福音派的だった。ブッシュのこうした回心に似た体験は、イラク戦争の決断の際にもあったという。
とくにそれが顕著に表れたのが、イラク戦争を決断したときである。国務長官コリン・パウエルの意見を聞かず、さらには湾岸戦争を指導した父親の意見さえ聞かなかったという。本件について問われた時、実の父(ジョージ・ H・W・ブッシュ)より天の父(神)の力を、祈りを通して仰ぐとブッシュは恥じらいもなく語ったほどだ。(p.156)
しかし、こうした神の召しよりも興味深いのは、実際の重要な政策判断でブッシュが聞き入れたのはネオコンの考えだったという著者の指摘だ。著者はネオコンを次のように定義している。
「ネオコン」とは、「ネオ・コンサーヴァティブ」(〝 neo-conservative〟、新・保守主義者)の略称であり、小さな政府や孤立主義を唱える〝旧〟保守主義に対し、米国主導による自由主義的な世界の構築を目指す。その始まりは、戦前ニューヨークのユダヤ系知識人ネットワークにまで遡る(…)。(p.156)
この定義のポイントは、ネオコンがユダヤ系知識人との連携のもとで、アメリカの価値観を外に向かって積極的に打ちだしたところだろう。しかし、ネオコンと福音派に思想的な共通点があったわけではない。著者は次のように述べている。
ネオコンと福音派のあいだに、思想的な共通点はほとんどない。両者に共通する思想として、明確な善悪の基準や歴史観などが挙げられもするが、それらは表層的なものだ。むしろ両者の関係は、利害の一致と言えるだろう。ネオコンの軍事覇権と中東における権益の確保という目的には、福音派の支援が有益であった。反対に福音派の世界宣教やイスラエル保護という目的には、ネオコンの軍事政策が役に立つ。(p.158)
利害の一致がネオコンと福音派を結びつけたとある。実際その人的ネットワークには、ドブソンが設立した前出の家族調査評議会のメンバーやロバートソンの仲間も含まれていたそうだ。また、ブッシュ自身は福音派的な信仰に篤い人だったが、その純粋さがネオコンに利用されたという。どういうことだろうか? 本書にそって要約すると、つぎのようになるのではないかと思う。
——当時、ネオコンはブッシュ政権の外交戦略を担っていた。彼らはイスラエルを中東におけるアメリカの重要な戦略的同盟国と見なし、イラク戦争を中東秩序をアメリカ主導で再編するための重要な手段と考えていた。しかし、リベラル派を中心に強い反対があり、イラク侵攻には大統領の決断を支える世論と政治双方からの支えが必要だった。
一方、福音派のとりわけ終末論に親和的な層は、聖書の文脈でイスラエルを同胞と位置づけ、宗教的理由からイスラエルを強く支持していた。また、2000年の大統領選でブッシュを支えた福音派は、信仰に篤いブッシュを自分たちに近い大統領として信頼していた。
もともとネオコンと福音派に直接的なつながりはなかった。イスラエル支持という共通点はあったが、それぞれ地政学と宗教という別の事情からだった。しかし、ブッシュ政権下では、両者の思惑が中東への強硬姿勢とイスラエル支援において重なった。そして、ブッシュ大統領が双方の思惑を強固にし拡大する役割をはたした。著者の言葉を借りれば、ブッシュの信仰と立場が「ネオコンにつけ込む隙を与えた」。——
ブッシュの大統領就任で双方の思惑が高まるなか、2001年9月11同時多発テロが起きる。ただちに「テロとの戦い」を宣言したブッシュ大統領の支持率は、「歴代のアメリカ合衆国大統領の中で最高値である91パーセントにまで達した」。$ ^{4)}
こうして9.11は、ネオコンの中東再編構想、福音派の宗教的なイスラエル支持、そしてブッシュ自身の信仰に根ざした政治的使命感を一気に結びつけることになり、2003年3月20日、アメリカはイラク戦争に突入する。
こうして始まったイラク侵攻は、ネオコンと福音派の思惑通りになっただろうか? これについて著者は、「支援の見返りではないだろうが、イラク侵攻によって福音派は、それまでアクセス不可能だった地域への布教活動が可能になった。」とした上で、次のように書いている。
福音派にとって、イラク侵攻にはもう一つの重要な目的があった。イスラエルの保護だ。イスラエル保護は、福音派だけでなくネオコンにとっても重要な課題であった。これはネオコンの中枢にユダヤ人が多かったからというよりも、90年代以降、ネオコンがイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ率いるリクード党に近づいたというのが大きな理由である。さらに世界の民主化を米国覇権の重要条件に挙げるネオコンにとり、中東の民主国家イスラエルを支援するのは当然だった。したがって、イラク侵攻によってイラクを民主化し、そこを軸にイスラエルを保護し地域を民主化することをネオコンは狙っていたのだ。(p.163)
この記述は、中東が不安定さを増す原点にイラク戦争があり、ネオコンの政治戦略がその引き金を引いたことをよく表している。その延長上に現在の中東の混乱がある。
イラク侵攻から20年が過ぎた2023年10月7日、パレスチナの武装組織ハマスによるイスラエルへの大規模な奇襲攻撃が行われた。ただちにはじまったイスラエル側の報復攻撃は止まることを知らず、そのおよそ2年半後の2026年2月8日には、アメリカとイスラエルによるイラン攻撃、そしてイスラエルによるレバノン攻撃へと戦闘が広がった。そのなかで、ネタニヤフ政権のリクード党と連合した宗教シオニスト党ベツァレル・スモトリチは、「パレスチナ人というものは存在しない」と公言し、$ ^{5)} ガザ地区への苛烈な攻撃を行っている。
いまから約23年前、権益のためにネオコンが仕組んだ戦略がもととなり、なおも現在に悲惨な状況をもたらし続けている。トランプ政権はイスラエルの行動を支持し武器供与を続けている。そうしたトランプの行動を、福音派のなかの親イスラエル強硬派、キリスト教シオニズムを信奉する人々が支えている。
著者はジョージ・W・ブッシュ(子ブッシュ)の時代を「福音派の黄金時代」と書いている。しかし、その黄金は福音派が自分達で生み出したものではなかった。ブッシュの信仰、福音派の選挙動員、ネオコンの中東戦略、そして9.11後の好戦的な世論が重なったとき、福音派は政権の中心にいるかのような輝きを帯びた。黄金の輝きを与えたのはネオコンであり、福音派はそれを受け入れた。
2-8. 2010年代:オバマ・ケアの逆説が生んだトランプ大統領
2010年代は、バラク・オバマとドナルド・トランプという対照的な二人の大統領によって特徴づけられる。
オバマは20代後半に、シカゴのトリニティ教会で洗礼を受けた。当時シカゴ南部では人種差別が社会問題化しており、黒人の協会員が多いトリニティ協会は、主流派プロテスタントのなかでも急進的だった。
アメリカの黒人キリスト教と福音派の関係は、単純ではない。一般的に黒人の教団や教会は、神学の面で保守的であり、聖書の権威を重んじるスタンスは、福音派に通じるものがある。両者ともに一九世紀の大覚醒運動の流れにあり、罪の悔い改めを中心とする福音主義の教えを重んじる傾向はある。(…)しかし同時に、人種問題が黒人キリスト教と福音派を引き裂いてきたのも事実だ。福音派の前身の原理主義運動でも、黒人独自の運動があったことを最近の研究は明らかにしているが、その運動は白人の組織とは決して交じらない。(p.194)
1977年にジミー・カーターが民主党出身の大統領に就任して以来、福音派の支持を受けて当選した大統領の多くが共和党出身だった。その点、民主党から立候補したオバマを支持する福音派は多くはなかった。しかし、上のような宗教的スタンスと出自が重なり、社会正義を語るオバマの政治思想は、福音派のなかでも進歩的な立場の人々から歓迎されたという。その一方で、進歩的なオバマの姿勢は宗教右派の人々に警戒感を与えることになった。
オバマからすれば福音派はもちろん、できるだけ多くのキリスト教徒からの支援を得たい。そのためにオバマが取った戦略の一つが「ゴッド・ギャップ」の解消だったという。「ゴッド・ギャップ」とは次のようなものだ。
「ゴッド・ギャップ」とは、定期的に教会に通う人は共和党を支持し、あまり通わない、あるいは全く通わない人は民主党を支持する米国民の一般的な傾向を指す。これはファルウェルのモラル・マジョリティやロバートソンやリードのキリスト教連合が福音派を政治に動員していくなかで起きた現象だ。オバマは、共和党による宗教者の囲い込みを米国社会にとって望ましくない状態とみなし、積極的に福音派を取り込んでいく。(p.199)
「ゴッド・ギャップ」解消のため大統領選でオバマは、宗教そのものがもたらす公共善を語った。宗教右派の党派性が高めれば、その政策によって排除される国民が生まれる。一方で、進歩主義によって政策から宗教的な要素が排除されれば、アメリカの道徳的基盤が損なわれる。宗教的立場の違いで政治がいずれに偏っても、公共的な社会問題の解消にはつながらないと説いた。
共和党からはジョン・マケインが立候補し、前出の宗教右派ドブソンらの強力な後押しもあったが、宗教右派と世俗主義の双方が抱える問題を丁寧に説明するオバマの姿勢は、「ゴッド・ギャップ」に「チェンジ」をもたらしたという。選挙戦では福音派のみならずカトリックからも多くの支持が集まり、迎えた大統領選の結果はオバマの圧倒的な勝利に終わった。
しかし就任後、具体的な政策が議論されるようになると、右派と左派は激しく対立することになる。その中心になったのが、「手ごろな価格の医療(Affordable Care)」と名付けられた法案、いわゆる「オバマ・ケア」だった。当時、州によっては人口の30%近くが健康保険に加入できておらず、オバマにとってこの問題は、社会的公正を実現するための重要な政策課題だった。
これにたいし保守的な右派は二つの懸念を抱いたという。第一に、加入した保険が中絶や避妊を補償範囲に含む可能性がある。第二に保険加入を義務付ければ、個人の選択の自由が侵害される——というのがその理由だった。法案は下院を通過したが、上院で法案への反対宣言(「マンハッタン宣言」)が出される。この宣言には、福音派、正教会、カトリックの高位の聖職者らが署名したという。その結末はつぎのようなものだった。
結果、2010年3月21日には幾度もの改定を経た法案が下院を通過。数日後に上院を通過し、3月23日にはオバマ大統領が署名し、オバマ・ケアは成立した。一六年までに保険に加入していない米国民の割合は8.9%になり、2000万人もの新規加入者があったという。しかし、ほぼすべての共和党議員が反対するという、あまりに党派的に偏った法案の成立過程は長きにわたって禍根を残す。(p.204)
こうしてオバマ・ケアは成立し、保険に加入していない多くの人々が救われることになった。一方で、この法案に反対する福音派の企業は、連邦政府を提訴する行動に出た。訴訟の理由は、「従業員の保険に緊急避妊薬と子宮内避妊器具の適用を強制的に含むことが、企業の宗教の自由を侵害する」からだったという。最高裁まで争われた裁判の結果は企業側の勝訴だった。この経緯は、保守的な福音派にとって中絶や避妊がいかに重要な信仰上の信条であるかを物語っている。
オバマにとって逆風はそれだけではなかった。リーマンショック直後の住宅ローン救済の費用に加え、オバマ・ケアによる多額の財政支出が人々に不安をもたらした。保守的な白人福音派からすれば、黒人や移民に手厚いオバマ・ケアは、危機的な状況にあるアメリカ社会を社会主義が蝕むほどの悪夢に思えたことだろう。
宗教文化の多様性を重視するオバマの信条と、古き良き時代のアメリカへの回帰を望む白人保守派の信条には大きな隔たりがある。この点について著者は歴史をさかのぼりながら詳述しているが、その中に例えば次のような記述がある。オバマは、2009年の就任演説で次のように述べたそうだ。
オバマの演説でひときわ印象的なフレーズがある。合衆国の強さを褒め称えるなかで、その強さの理由はひとえに異種混合の文化的遺産にあり、「我々は、キリスト教徒、ムスリム、ユダヤ教徒、ヒンドゥー教徒、そして無信仰者〔 non-believers〕からなる国だ」とオバマは誇らしげに語った。(p.213)
他方、保守派のアイデンティティについては次のように書いている。
「キリスト教国アメリカ」は、白人のアメリカなのだ。政権に座する初の黒人大統領は、このアメリカを否定する最大の力として福音派には感じられた。溜まり続ける白人たちの鬱憤は、いまや暴発寸前だった。(p.221)
異種混合文化をアメリカの価値とするオバマの考えと、白人こそがアメリカなのだと考える福音派との隔たりはあまりにも大きい。その根底にあるゴッド・ギャップの解消を掲げて大統領の座についたオバマだったが、公共善を唱える自身の象徴であったはずのオバマ・ケアがゴッド・ギャップを拡大し、今度は彼を窮地に追い込むことになった。
ちょうどこのころ反対陣営から、オバマの出生を問題視するいわゆる「バラク・オバマの国籍陰謀論」$ ^{6)}が流布されていた。著者はその詳細に踏み込んでいないが、ドナルド・トランプもその一人だったという。
また、当時は「セレブリティ・アプレンティス」という人気リアリティ番組のホストであった不動産王ドナルド・トランプも16年ごろまで執拗にオバマの出生を論じることで、黒人大統領とイスラム教への憎悪を煽った。(p.224)
Wikipediaの「バラク・オバマの国籍陰謀論 」によれば、トランプはオバマの出生問題を選挙運動に取り込み利用した。
ドナルド・トランプは、オバマの国籍陰謀論を広く拡散した人物のひとりであり、このことによって政治的地位を高め、数年後の2016年アメリカ合衆国大統領選挙での成功を収めたとも言われている。米政治学者のジョン・サイズ(John Sides)、マイケル・テスラー(Michael Tesler)、リン・ヴァヴレック(英語版)らによると、トランプは「事実上「バーサー」運動のスポークスマンだった。6)
「バーサー運動」とはbirtherism、すなわちバラク・オバマの国籍陰謀論のことである。トランプのこの戦術は、2011年に大統領出馬を検討した時点で使われていたようだが、2016年にはそれがさらに強化された。
それだけではない。2014年になると、黒人男性が白人警官によって射殺される事件が発端になり、いわゆるBLM運動(ブラック・ライブズ・マター)が本格化してくる。BLMの目的は「集団で、愛を持って、そして勇気を持って、黒人の、そしてひいてはすべての人々の自由と正義のために精力的に働くこと」にあった。しかし、こうした考え方に福音派が同意することはなかった。著者は次のように書いている。
人種差別という構造的な不正義が目の前にあるにもかかわらず、福音派の大部分はそれを認めようとしない。ましてやBLMのような運動を決して支持しない。(…)それはひとえに福音派が「長年にわたって社会に植え付けられてきた文化的、また人種的な白人性を保持することに関心を持つ」団体であり、「白人奴隷所有者たちの文脈で生まれたアメリカナイズされたキリスト教」だからだろうか。(p.227)
BLM運動に参加した人々は、リベラリズムが生んだ法の下の平等をさらに進め、社会制度の批判や改革へと向かった。彼らを窮地に追いやる、警察予算や収監制度の在り方の解消こそが問題だった。BLM運動は表面的には差別や不平等への抗議に見えたが、その本質は社会制度の歪みに対する抗議だった。しかし、その強い抗議がもたらした自由と平等への機運が、白人の既得権や社会制度を脅かすことになった。
アメリカ社会が激しい分断に揺れていた。そんななか、白人性の回復を掲げる政治家が登場する。2015年6月に大統領選への出馬を宣言したドナルド・トランプである。オバマの出生を問うバーサー運動に加え、トランプは「アメリカ・ファースト」を叫んだ。古き良き時代のアメリカの再興を説くトランプに、多くの保守的な福音派が耳を傾けた。しかし、この言葉はトランプの創作ではなく、1979年に白人極右勢力の集会で使われた言葉の再利用だったようだ。$ ^{7)}ところが、福音派はトランプのそうした言葉に耳を傾けながらも懐疑的だったそうだ。
当初、彼は福音派の指導者たちに蔑まれるような存在だった。大都市ニューヨークの成功者、性的に放縦で中絶肯定論者。民主党員だったこともある男。こんな男に福音派の未来は託せない。(p.235)
こうしたなかで、福音派はどのようにしてトランプを支持するようになったのだろうか? ここでも本書の記述は詳細で込み入っている。福音派がトランプを支持するかどうかを左右する要因はさまざまだ。具体的には、最高裁判事が保守派なのが急進派なのか、中絶や同性愛をを認めるのか認めないのか、安全保障や経済やテロ対策はどうなのか、女性の地位をどう見るのか、信仰を重視するのかしないのか・・・。
数々の論点のうち選挙戦で福音派の関心を引きつけたのは、本書の記述による限り社会問題ではなく、アイデンティティと経済の問題だったようだ。整理すると、次のあたりが決め手になったのではないかと思う。
宗教 :イスラムをユダヤ・キリスト教文明の敵とみなす。
地位 :白人の地位低下からの回復。
経済 :自国主義による経済力の強化。
このときトランプ陣営の選挙戦略を担ったのは、スティーブ・バノンだった。バノンについて著者は次のように書いている。
スティーヴン・バノンは、自らの優位性が失われつつあると危機感を抱く白人層を焚き付ける手法を熟知していた。バノンはカトリックであり、フランスの国民連合やドイツの「ドイツのための選択肢」( Alternative für Deutschland)など、欧州の右派ポピュリズム政党の戦術から多くを学んでいた。福音派の関心が社会問題から、キリスト教ナショナリズムなどの文明やアイデンティティの問題、さらには経済的な自国主義へと移るきっかけを作った一人でもあろう。(p.238)
バノンが「危機感を抱く白人層を焚き付ける手法を熟知」していたことが、白人福音派のアイデンティティに響いたのだろう。そして、当初はトランプを蔑んだ福音派だったが、選挙戦の結果は白人の福音派の81%がトランプに投票するという驚愕の支持率をたたき出すことになる。福音派の若い世代には失望する者も多かったようだが、保守的な価値観を持つ白人に限れば圧倒的な支持を受けての当選だった。この功績によりバノンは後に、トランプ政権のチーフストラテジストに任命されている。
大統領就任後トランプは、矢継ぎ早に「白人によるアメリカ」の復権とアメリカ第一主義を絵にしたような政策を打ちだす。よく知られたものでは次のようなものがある。
就任初日 オバマケアの経済的負担最小化に向けた大統領令に署名
2017年1月 TPP離脱
2017年〜 メキシコ国境の壁建設
2017年〜 保守派判事の大量任命
2017年6月 パリ協定からの離脱表明
2017年12月 法人税減税を中心とする大形減税
2018年5月 アメリカ大使館のエルサレムへの移転
2018年5月 イラン核合意からの離脱
これらは、トランプによるアメリカ・ファーストが、政策を通じて白人によるアメリカへと歩み出した第一歩だった。これらの政策を並べて気付くのは、宗教において明確にイスラエルを支持し、地位においては明らかに保守派を擁護し、経済において自国主義に徹するトランプ政権の姿である。トランプ大統領の誕生により、白人福音派のアイデンティティは大いに満たされたことだろう。
そして4年間が過ぎ、任期が迫る退任直前の2021年1月18日、トランプはある報告書を公表する。米国の歴史教育を「愛国的」なものにするための諮問機関「1776委員会」設置への勧告である。ちょうどその日は、暗殺されたキング牧師を弔う記念日だったそうだ。
こうして2010年代が過ぎ、2020年の大統領選挙を迎える。選挙戦ではジョー・バイデンが僅差でトランプ再選を阻む。しかし、トランプは敗北を認めず「不正選挙だ」と主張した。各州で訴訟や再集計要求が行われたが、結果を覆すには至らなかった。そして、2021年1月6日、連邦議会が選挙結果を認証する日に、トランプ支持者が連邦議会議事堂を襲撃する事件が勃発する。議会手続きは一時中断されたが再開され、バイデン勝利が正式に確認された。1月20日正午にトランプ大統領の任期が終わり、同時にジョー・バイデンが大統領に就任した。
こうして2010年代は、福音派と政治の結びつきが決定的に再編されて終わりを告げる。
2-9. 2020年代:公共善を捨てた白人福音派とトランプ二期政権の行方
2020年代の大統領はバイデンにはじまる。しかし、本書でのバイデン政権と福音派に関する記述は限られている。バイデンはカトリックの家庭に生まれ、大統領としてはケネディ以来二人目のカトリック教徒の大統領を努めた。しかし、同性婚と中絶を容認したことから、ローマ教皇から批判されたこともある。$ ^{8)}
大統領に就任してからも、その姿勢は変わらなかった。連邦議会による同性婚の権利を守る結婚尊重法を当初から後押しし、2022年には大統領署名により最終承認を与えた。福音派はバイデンの決定に批判的だったが、そのことが彼の政治姿勢に影響したことを伺わせる記述はない。
バイデンが大統領を務めた2021年から2024年は、世界がコロナウィルスに翻弄された4年間だった。人々の交流や活動は厳しく制限された。福音派をテーマとする本書でこの時期の選挙がらみの記述が少ないのは、そのせいでもあるのだろう。コロナによる会話、外出、移動などの多くの制限が福音派や宗教右派の政権に対するアプローチを弱めた。しかし、だからといって人々が考えることを止めなかったように、福音派の考え方が変わったわけではない。むしろ白人保守層のネットワークは強化された。そこには福音派が抱えた危機感があった。
危機感の根底には、白人福音派の人口減少がある。その実態がどのようなものかをあらためて整理すると下表のようになる。アメリカに福音派の大統領カーターが誕生した1977からいえば、半世紀の間に、白人福音派の人口は半分ほどに減少している。また、いまではカトリックの人口よりも少なく、とりわけプロテスタント全体のなかでも白人福音派の割合が少ないことがわかる。
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このことがなぜ福音派の矛盾につながるのか、著者の考えはつぎのように要約できると思う。
——福音派は「宗教の自由」を根拠に、同性婚に反対する立場を守ろうとする。しかしこの戦略は、自らを少数派として権利保護を求める立場と、アメリカをキリスト教国家とみなす立場とのあいだに、論理的な矛盾を生む。本来、宗教の自由は少数者を守るための原理であり、もしアメリカがキリスト教国家であるなら、そのような論理は不要なはずだからである。——
この後段にあるように、福音派が矛盾を抱えるようになったのは、キリスト教の一派であるにもかかわらず、自らの立場を優遇しようとしたからだ。衰退の要因は若年層の減少にあり、人口動態から見て回復は容易ではない。このため、少数者の存在意義を政治的に高めようとした。そのことが正統なキリスト教の教えに反することになった。著者は「正統な」キリスト教の精神を次のように述べている。
カトリックで得もプロテスタントでも、正統的なキリスト教は一つの民族だけを優遇せず、普遍主義的で多民族主義が前提にある。(p.258)
白人福音派はどのようにして自らを優遇しようとしたのだろうか。典型的には「ナショナリズム」を用いた。アメリカは神によってキリスト教国家として建国された国と定義される。この定義を、宗教的信念として政治の世界に展開するようになった。正統なキリスト教に自らを尊重するナショナリズムが加わったことで、「米国の白人に最大限の利益を与える伝統主義的、民族文化的、そして政治的な志向」を持つキリスト教ナショナリズムが生まれた。
その結果、今日の多くの白人福音派の間では、キリスト教ナショナリズムに賛同する割合が、米国の他のどの宗教集団よりも5倍以上高いという。こうして福音派は、正統的なキリスト教を自認しながらも白人主義を強めた点で、キリスト教本来の姿から逸脱するようになった。
近年になると、それに追い討ちを掛けるように黒人の大統領オバマが登場し、バイデンは同性婚を法制化し、BLM運動が黒人や移民の権利拡大が叫ばれるようになった。世界の趨勢はといえば、少なくとバイデン政権時代まで、多くの自由主義国では平等と多様性の高まりがあった。次第に劣勢となる白人福音派が挽回するには、宗教的な信条や論理よりも、社会を覆うの構造的な問題に異議を唱える方が効果的と考えたのは当然の成り行きだっただろう。
著者は、コロナ禍に進んだそうした動きの具体例として、「批判的人種理論」の扱いと「国民保守主義会議」の影響に言及している。
批判的人種理論とは、米国の人種問題は個人の偏見によるものではなく、米国の法律や社会制度に根ざす構造な問題だとする考え方を指す。その背景には、公民権の成立後も解消しない不平等や差別があった。こうした状況の解決に向け、学術的な取り組みとして1970年から80年ごろにかけて登場したのが批判的人種理論だった。
それが2020年ごろから活発化したBLM運動などと結びつき、批判的人種理論は連邦政府の各種の研修プログラムに取り入れられるようになった。後にトランプ大統領が非難し禁止することになるEDI(多様性・公平性・包摂)プログラムもその一つだ。これに白人ナショナリストの間から異議が唱えられる。その急先鋒となったのが国民保守主義会議だった。
会議を主催した財団の代表は、イスラエル在住の政治思想家で国家保守主義を主張するヨラム・ハゾニーという人物で、$ ^{9)}会議にはのちにトランプ政権で副大統領になるJ・D・ヴァンス、同じく国務長官を務めるマルコ・ルビオも同席したという。国民保守主義会議は2019年以降毎年のように開催され、「現代におけるキリスト教ナショナリズムの思想・政治的な活動の一角を担う」ようになったという。この会議が作り上るげたネットワークについて、著者は次のように書いている。
こうした政治家たちやハゾニーが繰り返し唱えるのは、現代政治での宗教の重要性だ。彼らによると、グローバル化は伝統的な家族観、国家や地域共同体への忠誠、西洋的な価値観を破壊した。それによって目覚めたのは、LGBTQ+の価値観を礼賛し、徹底した個人主義を重んじ、植民地主義や家父長制の影響が色濃くのこる自国の歴史をキャンセルしようとする人々である。BLM運動もここに含まれる。(p.264)
本書には、バイデンとトランプが戦った2024年の大統領選についての直接的な記述はない。しかし、表立った活動が抑制されたコロナ禍の間に、白人中心のキリスト教ナショナリズムがネットワークを強化し、数の減少を上回る構造的な連携を強めたことが、トランプと共和党を圧勝に導いたことは間違いないだろう。
2026年春現在、第二次トランプ政権発足から1年3ヶ月が経過し、イランに仕掛けた戦争の行き詰まりと油価高騰により、トランプ政権の支持率は過去最低レベルの33〜37%に落ちている。今年11月3日には中間選挙が予定されているが、半年前の現時点で、すでに「選挙のルールを変更して自党に有利にしようとしている。」という報道もある。$ ^{10)}選挙の結果によっては、2021年1月に起きた連邦議会議事堂襲撃事件の再来もあるかもしれない。
1942年に福音派という言葉が生まれ84年が経過した。白人中心のキリスト教ナショナリズムの中核を占める福音派は、本来のキリスト教の立ち位置だった普遍主義からどこまで離れて行くのだろうか。公共善の破壊はどこまで進むのだろうか。
福音派の聖書にも「汝の隣人を愛せよ」というイエスの言葉が書かれいる。だが、福音派はその中心勢力に白人を置くことによって自ら隣人を選んでいる。「いやそうではない、隣人愛とは信仰のことだ」、というのが福音派の立場だろう。しかし、その立場の追求こそがリベラリズムを生んだことを、福音派の人々はいったいどのように考えているのだろうか。
3. 福音派が拠り所とする聖書と終末論(地理軸)
冒頭で見たように福音派の原点には聖書がある。しかし、聖書は新旧だけでも66巻、ワード数にして約74万字におよぶ。そのうえ矛盾する記述も多い。このため、解釈をめぐって意見が割れることがある。
福音派と政治のおよそ84年間をたどって気付くのは、福音派は伝統的な宗教観を基本としながらも、アメリカの政治が大きく動く際には、聖書の解釈や重視する内容を変えていることだ。例えば、伝統的で保守的な信仰を守る一方で、政治との対応のために終末論の考え方を変えた。
ここでは福音派がたどってきたそうした視点の変化、すなわちこれまでの時間的な推移ではなく、聖書の解釈の移動と実社会への影響という、いわば地理軸から福音派を読み解くことにする。
3-1. 福音派にとってのディスペンセーション主義
すでに見たように福音派はキリスト教原理主義から生まれた。一般に原理主義は、聖書の記述を文字通りに読むといわれる。聖書の記述内容を歴史的事実として受け取る。典型的には、神が世界を創造したとする天地創造や、神の意思でイエスが誕生したとする受胎告知がそれにあたる。
それでは、聖書に書かれた神の言葉を事実と信じ、キリストが処女マリアから生まれたと考える人は、はたしてどのくらいいるのだろうか? 2010年代についての考察でオバマが宗教的分断の解消を選挙戦略としたことを取り上げた。その当時書かれた資料「ゴッド・ギャップを超えて—公共政策において宗教的アメリカ人と向き合うための新たな道筋—」によれば、「白人福音派の大多数(61%)は聖書は神の言葉であり、文字通りに解釈されるべきだと考えている。」そうだ。$ ^{11)}
2010年当時のアメリカの総人口は約3億900万人だった。これに表で示した当時の白人福音派の割合約18%と、この調査結果の61%を当てはめると、当時およそ3,400万人前後のアメリカ白人が聖書を文字通り信じていたことになる。
日本人の私には驚く数字だが、それらの人々の考えや行動に直接、天地創造や受胎告知が影響したわけではないだろう。社会的な影響をもたらしたのは、選挙活動で候補者が示す聖書にもとづく宗教観への信頼だったはずだ。具体的には、中絶や同性婚への反対やイスラエル支持といったものだった。それらは政権選択の公約に当たるものだが、そうした約束に期待する背景には特定の宗教観があった。そのひとつがディスペンセーション主義にもとづく終末論である。
ディスペンセーション主義では、人類に対する神の歴史的取り扱いを7つの異なる時代(ディスペンセーション)に分け、聖書を字義通りに解釈する。7つの時代区分とは、無垢、良心、人間による統治、約束、律法、恵み、御国の時代を指す。最後の「御国」とは、キリストの再臨によってはじまる千年王国のことであり、 統治の中心は神の約束にもとづきイスラエルだとされる。
このなかで、5番目の時代以降が特に重要とされる。本書にはその概要が次のように記されている。
モーセから始まるユダヤ民族の「体制」は5番目であり、イエスによって始められた「体制」は6番目である。最後の7番目の「体制」が終わりの始まりであり、その体制が始まるとキリスト教徒は空中に「 携挙」(〝Rapture〟) され──「携挙」のタイミングについては諸説あるが──、地上に残された未信者たちは、戦争や 飢饉 や政変による苦しみの時を過ごすという。さらに地上を治める「反キリスト」(〝Anti-Christ〟) という悪魔的な支配者が現れ、キリストが再臨すると、この反キリストとの 最終戦争、すなわち「ハルマゲドン」を戦う。この戦争に勝利したイエスは、千年王国を築き、新しいエルサレムに王座を据えると言われている。(p.21)
この一連の出来事のうち「終末論」と言われるのは、6番目の体制の終わりから7番目の体制へ移行し、その後の千年王国へ向かう局面にあたる。終末という言葉のせいで最終戦争を思わせるが、個別の出来事を指す言葉ではなく、現在の世界秩序が終わり、神の直接支配が始まる歴史の最終局面全体を指している。それが終末論と呼ばれるのは、世界の終わりであると同時に、救済の完成を語る思想だからだろう。
まるでSF映画を思わせる話だが、これが聖書によって約束された現実なら、聖書の歴史と同程度に古くからこのような言い伝えがあっても不思議ではない。しかし、本書によれば、こうした考えが実際に人々の間で真実として共有されるようになったのは、19世紀末以降からだった。とりわけ、第一次世界大戦ごろ起きた、ロシアや東欧からパレスチナへのユダヤ人の移住と、戦争によるバルカン半島での混乱が終末のイメージをもたらし、ディスペンセーション主義に真実味を与えたようだ。
原理主義者がディスペンセーション主義に傾倒し、布教と論争の武器として利用したのは、広がりを見せる進化論や、聖書を人間が書いた歴史文献とする動き(高等批判と呼ばれる)に対抗するためだった。聖書の記述に対する科学的な見方が広まれば、信仰の根拠が疑われることになりかねない。
その危機感からだろう。学術サイドからそうした批判をバネに、原理主義に傾倒した牧師や聖書の教師たちの中には、ラジオ番組による説教を始める者も現れたという。その努力が功を奏し、1940年代には約2,000万人のリスナーを獲得するまでになったそうだ。そして、1942年に全国福音派教会が設立され、このときから福音派という言葉が使われるようになったのはすでに述べた通りだ。
以上の経緯で重要なことは、福音派の原点にディスペンセーション主義にもとづく世界観があり、そこに科学への不信と選民意識が含まれていたことだ。その世界観が過去の悲惨な歴史と戦争体験に重ねられ、聖書の記述を現実に起きる終末とする理解を促した。
ディスペンセーション主義自体は聖書の一つの解釈である。人間は現象を自由に解釈することができる。また、過去の悲惨な歴史体験は悲しい事実だ。人間として、民族排斥と戦争の悲惨を忘れてはならない。
しかし、科学への不信と選民意識を含む世界観が大統領選挙を動かし、現実の社会制度や法制度にまで影響している。その延長上には、戦争の正当化や国際法の毀損までもが含まれる。そうした現実を、神の思し召しとして受け入れることはむずかしい。
3-2. ハルマゲドンを現実に重ねる終末論
ディスペンセーション主義には、科学に対する不信と選民意識の他に、もう一つの重要な考え方がある。終末論を現世、すなわち現在の現実世界に位置づけていることである。おそらく、多くの日本人が終末と聞いてイメージするのは、世界や人類が迎える最後の出来事のことだろう。「迎える」のだから、それはこれからやって来る世界、つまり未来の出来事になる。
しかし、キリスト教では終末を単純に未来の出来事とは考えない。新約聖書に書かれている通り、イエスの誕生と死、そして復活によって、神の支配はすでに人々の間ではじまっているとされる。「復活」ついては、「あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ」(マタイによる福音書 28章)をはじめ、聖書に多くの記述がある。「神の支配」とは、すでに見た「御国」のことである。そうであれば、終末はイエスが復活した段階ですでにはじまっており、人類は2000年ほどの間、「すでに始まっている御国」の時代を生きていることになる。
ところが、旧約聖書にはイエスの名前は一切出てこない。いつか神が遣わすメシア(救い主)が現れるという予言になっている。しかも、旧約聖書はユダヤ人のために書かれたユダヤ教の聖典であり、キリスト教徒の聖典である新約聖書と呼ばれるものはそもそも意味を持たない。このためユダヤ教徒からすれば、現在はメシアが降臨する手前であって、御国は未来に位置することになる。
このように考えると、ディスペンセーション主義はキリスト教プロテスタントの原理主義から生まれたものの、「終末はまだ完成していない」という時間感覚においては、ユダヤ教的な発想に近いと思えてくる。専門家ではないので神学的な解釈に立ち入ることができず、粗っぽい理解であることはご容赦いただきたい。
しかし、終末に対するこうした考え方が現実社会に及ぼす影響は計り知れない。引用の重複になるが、その懸念につながるものが本書の次の箇所にある。
地上を治める「反キリスト」(〝Anti-Christ〟) という悪魔的な支配者が現れ、キリストが再臨すると、この反キリストとの 最終戦争、すなわち「ハルマゲドン」を戦う。この戦争に勝利したイエスは、千年王国を築き、新しいエルサレムに王座を据えると言われている。(p.21)
ディスペンセーション主義からすれば、「反キリストの悪魔的な支配者」を、イスラエルに奇襲攻撃を仕掛けたハマスや、長年敵対関係にあるイランに重ねることは容易だろう。やっかいなのは、そうした現実の戦闘が終末論の重要な段階にある最終戦争「ハルマゲドン」に位置づけられ、「千年王国(御国)」に向けた歩みを神託として正当化する理由になっていることだ。
これは想像上の懸念ではない。現在、アメリカの国防長官を務めるピート・ヘグセス氏は以前から、「第三神殿の再建」や「イランとの戦争と終末論」に関連する発言を行っている。第三神殿の再建は、イスラエルや白人福音派からすれば終末論の完成に繋がるが、イスラム教徒からすれば彼らの神殿の破壊を意味する。そうした事情を省みず、ヘグセス氏は2018年の講演において、「それは可能な神の奇跡である」と述べている。
https://youtu.be/Woim77DwmI8?si=lGmTa5ApLrKvcHSE
同様の発言は最近でも行われており、2026年3月には、PBS NewsHourの記事「Pete Hegseth's Christian rhetoric reignites scrutiny after the U.S. goes to war with Iran(ピート・ヘグセス氏のキリスト教的レトリックが、米国がイランと戦争を始めた後に再び注目を集めている)」で記者は、未確認ながらというニュアンスのもとで次のように書いている。$ ^{12)}
ヘグセス氏は、イラン戦争がキリスト教の預言の一部であるとは述べていない。しかし、紛争開始から数日後、米軍司令官が兵士たちに、この戦争はハルマゲドンとキリストの再臨に関する聖書の預言を成就するものだと語っているという主張が広まった。
AP通信はこれらの主張を検証できていないが、情報源は監視団体である軍事宗教自由財団の代表、マイキー・ワインスタイン氏のみである。ワインスタイン氏が数百人の兵士から受けたという告発に基づき、民主党の連邦議会議員30人が国防総省監察官に調査を要請した。
ディスペンセーション主義を唱える原理主義者は、白人福音派の一部を占めている。彼らは現実の戦争行為を彼らが信じる終末論に当てはめ、宗教的な解釈から戦争を正当化しているように見える。それ以上に、宗教的な正当性を戦争遂行の意欲と意思に結びつけている。科学に対する不信と選民意識そして終末論が、人類が有史以来繰り返されてきたあまたの戦いを経て発明した、人間相互の約束である国際法を破壊している。はたしてこれが神の思し召しなのだろうか?
3-3. アメリカの世論となったキリスト教ナショナリズム
これまでのまとめで、歴代の大統領選に福音派が大きな影響力を与えた実態を見てきた。直近でいえば、2024年の大統領選では白人福音派の82%がトランプに投票した。著者は次のように書いている。
2024年の選挙運動でトランプは差別的な発言を抑え気味にしていたが、直接の出口調査を見ると人種問題の分断は以前と変わらない。福音派の白人は圧倒的にトランプを支持しており、82%——一般の白人男性は60%がトランプ支持。反対に、最も比例的なのは黒人女性で7%の支持しか得ていない。黒人男性も低く、21%だ。(p.285)
すでに見たように、白人福音派の人口はアメリカ人全体の約15%と大きくはない。その82%は約12%だ。一方、白人男性の60%がトランプ支持なら、白人男性全体を人口の約3割としても、その支持層はアメリカ人全体の2割近くになる。この割合は、白人福音派だけよりも明らかに大きい。
そうであれば、トランプ勝利の帰趨を制したのは、白人福音派より白人男性層だったことになる。それではいったい何が、「より広い白人男性層」をトランプ支持に引き寄せたのだろうか?
その理由について、本書の第6章「トランプとキリスト教ナショナリズム」に詳細な記述がある。さなざまな事件や政界の動きに言及した多岐に及ぶ内容だが、トランプの選挙戦略の構造に限れば、次のように整理できるのではないかと思う。
——トランプの選挙戦略の基礎を支えた原動力は、白人福音派のとりわけ指導者層だった。彼らは政治的には、テロを含めた安全対策と経済、そしてイスラエル支援を重視していた。
一方、有権者の多くを占める白人中間層といわれる人々は、候補者が口にする主張、とりわけ福音派の政治的な主張への関心よりも、自分たちを取り巻く経済問題、移民問題、そして何よりも白人の地位低下に不安を抱いていた。通常なら問題になるトランプの、性的スキャンダルや女性蔑視、差別的な発言を毛嫌いしているわけでもなかった。
この現実からすればトランプ陣営にとって重要なことは、自らの優位性に危機感を覚える中間層に、いかにトランプの主張を焚きつけるかだった。しかし、人口の15%程度でしかない白人福音派の選挙基盤は弱い。カトリックと組めればいいが、原理主義者との神学的な隔たりは大きい。だが、宗派間で争う時代ではない。中絶や同性婚の禁止では政策は一致している。キリスト教右派としてカトリックと組める。
ちょうどそのころ(2016年の大統領選当時)欧州では、難民問題を発端にドイツの右派ポピュリスト政党「ドイツのための選択肢(AfD)」が勢いを増していた。彼らに躍進をもたらしたのは、移民排斥や経済的自立といった、自国主義の国家観にもとづく選挙戦、すなわち「ナショナリズム」を称揚する姿勢だった。それがドイツの低・中所得の労働者層、とりわけ旧東ドイツの有権者に響いた。この構造は地位低下に不安を覚えるアメリカの白人中間層の事情とよく似ている。
英国のプロテスタントから分派したピューリタンが建国したアメリカは、もともとキリスト教ナショナリズムの国である。キリスト教国としてその神学思想には、一つの民族だけを優遇せず、普遍主義的な多民族主義の考えがあった。人種を問わず、同じ価値観を共有するなら誰でもアメリカ人になれるというアメリカの精神があった。
それが、原初的には先住民を征服し、歴史的にはカトリック、黒人、ユダヤ人を差別し、近代においては、排外的な白人福音派が選挙戦への影響力を高める方向へと変質してきた。その流れは、排外的で白人中心のナショナリズムへの接近を容易にする。
宗教的な世界観にもとづくナショナリズムを、自国主義にもとづくより広範な国家観に拡げる必要がある。こうして、アメリカ人、白人中間層、キリスト教をまとめた自国主義、「キリスト教ナショナリズム」が「アメリカ・ファースト」を称揚する手段としてトランプ陣営の選挙戦略に組み込まれた。——
このように整理して見えてくるのは、白人福音派が大統領選を通じて築き上げた覇権のための三層構造である。いうまでもなく、2026年現在、三層構造の頂点に立つのがトランプ大統領である。
第一層:政治力学の中核としての白人福音派
第二層:政治力学の媒体としてのキリスト教ナショナリズム
第三層:社会・文化的な危機意識を持つ白人中間層
この第二層がどのように選挙戦に機能し得るかを見るために、国家観の視点でアメリカの人口構成を整理してみた。GPTとの対話で整理したあくまで概観であり概数だが、ナショナリズムの訴えが響くと思われる人口がアメリカ人の40%以上を占めている。前出の宗派別の人口比の表では白人福音派が約15%、カトリックが約20%だったが、「ナショナリズム」の切り口により、その合計よりも多いまとまりが生まれている。
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現実にトランプが2016年と2024年の選挙戦で民主党に勝ち大統領になったことを思えば、トランプ陣営のこの選挙戦略は大きな成功を収めたことになる。その成功要因になったであろう「トランプ式のキリスト教ナショナリズム」が、キリスト教本来の宗教観から逸脱していることはこれまで述べてきた通りである。
3-4. 地政学的に広がる福音派の影響力
福音派の影響力はアメリカ国内に止まらない。この点について考えるには、2000年代初頭にはじまったネオコンとの関係にさかのぼる必要がある。
もともとネオコンと福音派には、宗教的なつながりはなかった。そのネオコンが2000年の大統領選に立候補した子ブッシュを政治的に利用したことは、「2-7. 2000年代:ネオコンに利用された子ブッシュ大統領」で整理した通りである。福音派がネオコンと関係を結んだ背景には、福音派が誕生して以来、一貫して政治との関係を強めてきたことが関係している。あらためてその経緯を要約すると、次のようになる。
——1942年にいわば名目として登場した福音派は、1977年に福音派の大統領カーターが選ばれたことで政治の舞台に登場した。次のレーガン大統領の時代には反共主義と連携し、旧ソ連との対抗姿勢を示した。そして、2001年の子ブッシュ大統領になるとネオコンと手を組み、ユダヤ系の人脈を頼りにイスラエル支持を明確にした。——
この時間的な推移は同時に、福音派に地政学的な変化がもたらされた経緯でもある。アメリカ国内に対する政治勢力だった福音派が、直接的にではなかったにせよ、旧ソ連に関係する人々を敵対的な相手として認識し、そしてネオコンを通じてイスラエル支援を強化することで中東の対抗勢力と対立する立場になった。そのことが同時に大統領選を通じてアメリカの政治に影響力をもたらした。福音派が政治的な影響力を強めた経緯は同時に、世界に向けて福音派が影響力を高めた地政学的な変化でもあったのである。
その影響は極めて大規模に渡る。アメリカの内政の領域を超え、国際政治の力学をも超え、武力による世界秩序の不安定化をもたらしている。
ひとつは、ネオコン、子ブッシュ政権においてはじまったNATO拡大が、プーチンによるウクライナ侵攻の一つの動機になったと考えられることである。ネオコンが主導したNATO拡大がプーチンによる2014年のクリミア進攻や2022年のウクライナ侵攻につながったことは、アメリカの政治学者ミアシャイマーが以前から指摘している。$ ^{13)} このとき、福音派が直接的にNATO拡大を主導したわけではない。しかし、「トランプを除くと、最も福音派を熱狂させた大統領」である子ブッシュ政権を政治的に支えることで、結果としてネオコンによる対外戦略を後押しした側面は否定できないだろう。
もうひとつは、第二次トランプ政権、キリスト教シオニスト、イスラエルの連立政権がもたらした中東の不安定化である。これまでも何度か言及したように、キリスト教シオニストのなかで白人福音派は、イスラエル建国やシオニズムを聖書預言・終末論と結びつけてネタニヤフ政権を支える大きな役割を果たしている。
ネオコンがアメリカの政策に大きな影響力を示した子ブッシュ大統領の時代からすでに四半世紀が過ぎ、ネオコンとの関係でウクライナ戦争や中東情勢が語られることは少なくなっている。
しかし、当初はネオコンに利用される形で関係を持った白人福音派は、キリスト教の終末論というより大きな枠組みで、アメリカ国内に止まらない影響を世界にもたらすようになった。新自由主義よりもキリスト教にもとづくシオニズムやナショナリズムの方が、地政学的に見て世界に及ぼす影響ははるかに大きいことがわかる。その大きな力が世界を不安定にしている現実が、終末論のなかではメシアの到来や千年王国へのプロセスとして正当化されている。
4. 本稿のまとめ
アメリカ大統領の就任と福音派の関係を主軸に、時間軸と地理軸の視点で『福音派』の理解を深めてきた。1940年代に福音派が登場して以降現在まで、歴代の大統領は13人を数える。そして1977年のカーター政権以降、多くの政権が何らかの形で福音派と関係し、福音派は政治的な影響力を高めると同時に、地政学的にも影響範囲を増してきた。その流れはイスラエル、イラン、ウクライナでいまも続く戦争に影を落としている。ここではその全体のまとめとして、アメリカと宗教の今後について考えてみたい。
4-1. キリスト教を狭めることで生まれた白人福音派
旧約聖書の成立を含め、キリスト教の原点はユダヤ教が生まれた紀元前6世紀ごろにさかのぼる。同じころ生まれた創世記から始まるモーセ五書は、長い編集過程を経て聖典化され、それが後のユダヤ教の基礎になったと考えられている。
それからおよそ600年が経過し、紀元前6年ごろナザレのイエスが生誕する。ユダヤ教徒の多くはイエスを救世主とは認めなかったが、ユダヤ教徒の一部が離反し、ローマ帝国領内のギリシャやローマへと宣教の舞台を移す。その人々がユダヤ教の外の世界で、現地の言葉であるギリシャ語を使ってイエスの教えを書き残したものが、のちの新約聖書になったとされる。
こうして生まれた二つの聖書を、カトリックは神による一つの壮大な教えの前編と後編として一体的に捉える。カトリックでは教会が重要な地位を占めるが、それは教会が聖書の教えを守り伝える場所だからである。教会において神父は神の代理人、神と人間の仲介者に位置づけられる。
一方、ユダヤ教に新約聖書は存在せず、旧約聖書が唯一の聖典であることは本書でも強調されている。教会は特別な意味を持たず、むしろモーセの教えに忠実に、父(創造主)と子(イエス)と精霊(パワー)を一体と見做す三位一体や、教会には不可欠な聖像や聖画を偶像崇拝として排除する。
プロテスタントも二つの聖書を神の教えとするが、あくまで教会は聖書に従属する地位にあり、聖書を最高権威に位置づける。聖書を読むすべての人が教会を介することなく、神と直接つながることができると考える。プロテスタントの牧師は優れた説教を行う者、すなわち聖書の解釈に秀でた一人のキリスト信徒に位置づけられる。
原理主義はキリスト教プロテスタントの一つの派だが、プロテスタントが掲げる「聖書のみ」という原則をさらに極端に突き詰め、聖書の記述には一字一句間違いがないと考える。このため、これまでも繰り返し取り上げたように、『創世記』に書かれた「天地創造」を歴史的な事実と捕らえる。
原理主義の中核にはディスペンセーション主義がある。これまでに取り上げたように、ディスペンセーション主義では、現実世界が実際に創世記からはじまる7つの時代区分を過ごしている見做し、とくに現代はその終末に向かう最終局面にあると考える。この考え方は、19世紀の一人の神学者によって聖書を読み解く中で編み出された聖書解釈の一つである。
福音派は本来、キリスト教の神の言葉を伝え福音に献身する人々だったが、政治化してきた白人福音派は、ディスペンセーション主義の7つの時代のうち6と7の時代を終末論として重視し、現代は終末期にあると考えるようになった。これは「3-1. 福音派にとってのディスペンセーション主義」で詳しく取り上げた。ただし、福音派のすべてがこのように考えているわけではない。
以上で概観した、キリスト教の成立から現在の白人福音派までの流れを視覚的に整理すると、次の図で表せるのではないかと思う。福音派は時代とともにディスペンセーション主義の終末論に傾倒したという意味で、時代ともに位置する領域が変化するように描いている。
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このように整理し概観すると、本来は福音を届ける人々であった福音派が、キリスト教全体の教義を狭め、キリスト教の教えを極めて限定的に扱う特殊な宗派、すなわち白人福音派へと変化していったことが理解できる。
キリスト教はもともと、神話的な物語と、聖書の教えに導かれた教義とのバランスを取ることで、普遍性という寛容さを発揮した宗教ではなかっただろうか。南部を中心とする保守的な考え方、白人による黒人への人種差別、さまざまな国からの移民、そして北部で発達した自由主義と民主主義。こうしたアメリカ的なものを矛盾として抱え軋轢に苦しみながらも、その都度、人種差別には公民権法を、戦争にはベトナム反戦のうねりで、移民問題では多様性の長所を活かすことで国力を高めてきた。その母体がキリスト教だった。カトリックとプロテスタントが共存し、ユダヤ教徒の社会的な活躍がアメリカを豊かにした歴史こそが、世界の大国としてのアメリカの寛容さの現れだったはずだ。
その250年の歴史の中で、宗教が政治に影響力を与えはじめた戦後から、徐々にアメリカが変質してきたように思える。変質は政治への関与という直接的な影響からというより、政治と宗教の関わりを見あとのいまとしては、宗教的な視野の狭まりがアメリカの変質に関係していると思えてならない。それは、科学という現実から聖書を切り離し、キリスト教の原理に拘泥することからはじまった。そして、現実に起きる問題を克服するためのヒントとして機能した聖書がやがて、キリスト教を狭めてきた人々に都合のいい事件を起こすための口実になった。
白人福音派がなぜその道を選んだか、明快に示すことはむずかしい。だが少なくとも、科学と聖書の対話を閉ざし、聖書の一部だけを絶対化したことが、キリスト教本来の普遍性と寛容さを失わせた根源だと言えるのではないだろうか。
4-2. 分極と分断に向かうアメリカ社会
以上のような時間軸をたどったアメリカの宗教と政治は、この先どこに向かうのだろうか? おそらく、白人福音派というグループ自体の将来は険しいだろう。白人福音派が高齢者で占められているという理由からだけではない。キリスト教を非常に狭く捕らえたことで先鋭化し、攻撃性を強めた政治の振る舞いが、宗教そのものへの忌避感を高めているからだ。この点について著者は本書の最終章に入る前、「脱宗教」「教会大脱出」の項目を設け次のような趣旨の指摘をしている。
——はじめて福音派の大統領が生まれた1970年代の後半から、徐々に「非宗教者」が増えはじめ、現在ではアメリカ人全体のおよそ30%程度を占めるようになった。その人々は宗派ではなく、「ノンズ」というグループで括られる。
このグループが生まれたひとつの理由が教会離れである。冷戦が終わったことで愛国心の象徴だった教会の役割が薄まり、福音派などの宗教右派への反感が高まったことで、同じキリスト教徒と見做されることへの忌避感が教会離れをもたらした。インターネットが普及し、多様な情報に接する機会が増えたことも影響している。
しかし、ノンズの人々の多くは無神論者ではない。非宗教者のなかで明確に無神論を宣言する割合はわずか17%である。アメリカ人全体では5%程度でしかない。つまり、宗派の考え方というより、教団への所属を嫌う人々が増えていることになる。宗教的な心情そのものは生きている。——
ノンズの割合が30%を占めてきたことからもわかるように、キリスト教国家と言われるアメリカ社会と宗教の構図にかなりの変化が起きている。ここで、その実態がどのようなものかを押さえておきたい。
キリスト教の宗派ごとの構成比については本書にも記載されているが、イスラム教などの数値は含まれない。このため、キリスト教以外の宗教各派を含めて一覧表に整理した。概数で示した数字はGPTとの対話によるものだが、上述のノンズ約30%、ノンズのうち無神論5%に加え、文中にある「キリスト教全体の割合は2021年に63%」「白人福音派の割合は2020年に14.5%」「白人福音派全体で25%程度」と本表の数値はほぼ一致している。
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このように整理すると、アメリカは宗教国家だと思うと同時に、宗派の多様さにあらためて気付かされる。無宗教のノンズが30%を占めながらも、その人々でさえ神秘性や超越性(不可知論の人々)は否定していない。
こうした立場は、多くの場合個人的な心情と結びついたものだろう。一方で、ユダヤ教などはごく少数であっても、その心情は聖典と強く結ばれ、政治や共同体との結びつきも強い。白人福音派も全体としてみれば少数派だが、多くの時代において政権と結びつき、世界に影響を与えてきたことはこれまで見てきた通りだ。つまり、宗教各派の構成比という数字の裏側には、それぞれの宗教や宗派が抱える社会性や個人性によるダイナミズムがある。
この点をさらに深掘りすれば、静的な構成比の背後にある力学を俯瞰することで、宗教社会アメリカが今後どの方向に向かうかを、多少なりとも占うことができるはずだ。手掛かりになるのは、本書の次の記述あたりだろう。
こうした逆境のなかで、今後福音派はどのように変化していくのだろうか。確固たる終末論をもつ福音派は、実は逆境に弱くない。本書がこれまで見てきたように、彼らは原理主義の時代から被害者意識を持ち続け、主流文化と争ってきたからだ。
実際、非宗教者の増加は米国社会の単純な世俗化を意味しない。むしろ、社会は両極化しており、一方では非宗教者たちが既成の宗教や教団を否定し、もう一方では福音派はキリスト教ナショナリズムに代表されるように、その攻撃性を強めている。つまり、米国社会は世俗化ではなく分極化の道を進んでいると言えるだろう。(p.272)
著者は、高齢化により福音派の人口が減りノンズが増える状況下にあっても、だからといって単純にアメリカ社会で宗教的な権威や影響力が低下し、世俗化が進むわけではないと見ている。むしろ、宗教右派は先鋭化し、非宗教者は宗教離れを起こすことで社会の分極化を強めているという考え方だ。このことは、いま世界的な広がりを見せるリベラリズムと権威主義の分断にも重なる。
これまでの考察によれば、分極化と分断をうながしたのが宗教、とりわけ歴代の白人福音派だったと言わざるを得ない。それは戦後から始まったが2000年以降、宗教的にはディスペンセーション主義、国際政治においてはネオコンが大きな影響を与えた。その流れのなかでとりわけ終末論への傾倒が、現実の戦争暴力に口実を与え世界に混乱をもたらした。
次の図は、こうした宗教各派の構成比の裏側にある動きを念頭に、キリスト教を中心とする宗派の現在地を図に表したものである。左から右にグラデーションする地色が、過去から現在に向かう時間の推移を象徴している。
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図の縦軸は社会性、横軸は個人性を表す。これにより、全体が4つの象限に分けられる。はじめ宗教は共同体を統合する役割を果たし(第2象限)、個人の救済を引き受けるなかで、時代とともに社会性や政治性を強め、プロテスタントから福音派が生まれた(第1象限)。その後、政治と宗教の強いつながりへの反抗としてノンズが勢いを増した(第4象限)ことを表している。ただし、楕円の大きさで現在の宗教各派の構成比を表すため、例えばユダヤ教は第1象限に置いてある。また、4つの象限は社会性と個人性の掛け合わせから、順に「権威主義」「民主主義」「自由主義」「個人主義」に対応している。
著者の見方に従えば、宗派ごとのこうした位置づけを覆うように、宗教的には世俗化の流れが、社会的には権威化の流れが強まった。その大きな時代の雰囲気を図に書き込めば、次にようになるのではないかと思う。
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まず、一つの流れとして、世俗化により宗教や境界が担ってきた道徳や社会、個人においては日常生活における宗教的な規範が失われ、無神論が生まれた。同時に、もう一つの流れとして、個人の内面にあり信仰によって神と結ばれていた世界が変質しはじめる。科学を否定する人々が現れ、聖書の特定の記述を現実の政治に重ね合わせることで、暴力的な政治に正当性を与える方向が生まれ、政治的な権威が強化された。
その結果、共同体を維持する規範としての宗教本来の役割が世俗化により分解され、同時に、個人の内面を安定させるものだった宗教的規範が、政治という外部に取り出され権威となった。世俗化と権威化のベクトルはそれぞれに個人主義と権威主義に向かって極大化し、アメリカ社会は社会性においては民主主義と権威主義に分断され、個人においては個人主義を強めた。
現在のアメリカは世界最大の宗教国家でありながら、宗教によって傷つき、激しく分断された状態にあると思うしかない。これを終末論で回収しようとする人々がいる。その中核をなすのが白人福音派だというのが、『福音派』の結論ではないかと思う。
4-3. 宗教国家アメリカの「宗教ゼロ」
本書を読みまとめを作成するなかで、脳裏を離れなかったことがある。それはエマニュエル・トッドが『西洋の敗北』でアメリカについて繰り返し述べた「宗教ゼロ状態」のことである。『福音派』は、アメリカの国家の成り立ちにキリスト教があることを明らかにした。その上でアメリカが「宗教ゼロ状態」だとすれば、それは何を意味するのだろうか。
『西洋の敗北』によれば、トッドがいう宗教ゼロ状態は次のように要約できるのではないかと思う。あくまでトッドの考え方の要約である。
——「宗教ゼロ状態」とは、社会生活、道徳、集団行動などを形成してきた宗教的価値観が、社会の深層規範として機能しなくなった状態を指す。そこに至るまでに宗教は、「活動的段階」と「ゾンビ段階」を経る。「活動的」段階で人々はミサに通い、「ゾンビ」段階で人々はミサに行かなくなるが、誕生、結婚、死といった人生の区切りではキリスト教由来の習慣が残る。
同性婚が異性婚と同等のものとして社会制度上承認されたとき、その社会は「宗教ゼロ状態」に至ったとみなされる。アメリカの場合、その転換点は、同性婚が合法化された2015年に置くことができる。
宗教ゼロ状態に陥った社会は、ニヒリズムの舞台となる。ニヒリズムとは、客観的現実よりも観念や主観を優先し、虚偽を肯定する傾向を指す。例えば、社会がトランスジェンダーを受け入れることは、生物学的性差より自己認識を優先する点で、ニヒリズムの表れと見做すことができる。——
同性婚の合法化が宗教ゼロの指標となるのは、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の伝統的教義において、同性愛行為が否定的に扱われ、同性婚が宗教的婚姻として認められてこなかったからである。また、トランスジェンダーがニヒリズムの表れだとされるのは、トッドが、生物学的な男女の判定を染色体にもとづくものと考え、染色体レベルでの性転換は不可能である以上、トランスジェンダーを社会的に承認することは「虚偽の肯定」に繋がると見ているからである。(なお、実際の性別判定は、染色体だけで行われているわけではなく、外性器、性腺、ホルモン、出生時の医学的判断、さらには各国の法制度など、複数の要素をもとに行われる。)
トッドは、国家がこのような状態になれば「いかなる覚醒も起こり得ない」として、その典型例がアメリカだと述べている。アメリカの大部分が虚飾でしかなく、しかも崩壊の過程にあるとして、「米国産業の消滅」「米国の国内実質生産」「輸入製品への依存」などについて数値でその実態に言及している。一例としてジニ係数では、リーマンショックにより不平等の拡大は悪だと見做されたが、2006年に0.470だったジニ係数は10年後の2021年には0.494に拡大したという。『西洋の敗北』での「第8章 米国の本質」以降は、さながらアメリカの失敗に関する百科全書を見るようだ。
アメリカに対するこうした見方は、トッドの家族類型のなかでアメリカが「絶対核家族」に位置づけられていることに関係している。絶対核家族が兄弟関係の不平等と、親子関係の別居で特徴づけられる以上、絶対核家族の原理が差異や分断にあることは否定できない。アメリカの人種差別や移民問題、党派の争いや経済格差の根幹には絶対核家族の原理が働いている。その矛盾や痛みを、宗教が取り持ってきたことはこれまでにも言及した。そうであれば、宗教ゼロ状態とは単に押さえが効かなくなったのではなく、宗教が消えたことで、本来の兄弟関係の不平等と、親子関係の別居が日常社会に露出したことになる。
このことを『福音派』のまとめから見えてきた、白人福音派の時間軸と地理軸に重ね合わせると、結局のところ宗教ゼロ状態を引き起こしたのは宗教そのものの先鋭化だったことになる。そしてトッドの考え方に立てば、先鋭化した白人福音派の宗教は、すでに宗教の本質を失っていることになる。それと同時に、ノンズの台頭の本質が教団への帰属の否定であり、神そのものへの期待であるのなら、不可知論や特定の宗派に属さない神への信頼が新たな宗教の萌芽につながる可能性もある。しかしそれは、アメリカが原始宗教のレベルから再生することにも等しい、夢想というべきものだろう。
トッドの「宗教ゼロ状態」は厳しく過激な見方だが、先鋭化された宗教が宗教の本質を破壊した逆説こそが、アメリカの現在なのだろう。宗教こそが絶対核家族社会アメリカの絆だったという結末に同意しながら、その過去形の事実から現在を経て、アメリカが再生する未来を願いたい。しかし、『西洋の敗北』も『福音派』も、その反転を約束してはいない。
最後に、『福音派』の最後に著者が記した言葉を引用し、長いまとめを終わりとしたい。
政治と宗教の境界線が曖昧になることで、権力者への忠誠とその敵への攻撃が神の意志への服従と混同され、無批判な権威主義を 涵養 する危険性も高まっている。これは私たちの知る民主主義の終焉を意味するかもしれない。その意味で、福音派の影響力は形を変えながらも、米国の社会構造の中に持続的な痕跡を残し続けており、リベラルな民主主義への挑戦は、まさに終わりなき戦いとなっているのである。(p.291)
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「神に背いている自らの罪を認め、神に立ち返る個人的な信仰体験のことを指す。日本語訳の「回心」はキリスト教の用語として作られた造語である。」
3)本書のp.63に次の記述がある。
本書は、日本でも七三年にキリスト教系出版社から『地球最後の日』というタイトルで翻訳版が刊行された。また、九〇年には『今は亡き大いなる地球』という、より原著に忠実なタイトルで徳間書店から刊行され、原著と同様にキリスト教界を超えた広い読者層を得た。日本でリンゼイの著作は、「ハルマゲドン」という言葉が人口に膾炙する一翼も担った。陰謀論者の宇野正美の著作とともに、オウム真理教の教義の形成にも影響を与えたと考える研究者もいる。
13)ジョン・ミアシャイマー『リベラリズムという妄想 アメリカンエリートの盲信が世界を不幸にした』経営科学出版, 2024.