2026/0212 冨山和彦/松尾 豊『日本経済AI成長戦略』(文藝春秋, 2026)
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読み終えて、「AI共創時代を生きる、企業人必読の書」だと思った。本の表紙が共著に見えるが、冨山和彦氏が本文を書き、巻末に松尾豊氏との対談を配置した構成。指摘の確かさと真剣味に、できるコンサルタントの凄みを感じさせる一冊だった。
とりわけ、大雑把に語られがちな「失われた30年」の的確な分析のもとで、その敗因を逆手に日本的世界とAIの親和性を説き、その処方箋をローカル企業群に適用する展開と実践力に、類書からは得られない説得力があった。
ただ、処方箋に導かれたAX社会が実現できたとしても、リアリズムから来る人文知の扱いの希薄さに、その社会がどこまで包摂性を持てるのか一抹の不安も覚えた。その思いが動機となり、真剣勝負のコンサルタントの見解へのコメントに躊躇しつつ、自分なりの理解のための整理をすることにした。整理の視点としてとくに、「失われた30年」の反省がAXとどのように関係するかの確認を主軸に置いた。
目 次
1. 技術屋には実現できなかったDXシフト
2. 「失われた30年」で夢と消えたSociety5.0
3. 「失われた30年」で一変した労働環境
4. AXで日本再興をはたすための冨山式処方箋
4-1. 労働供給力の制約はいかに解消できるか?
4-2. 日本人の特性がもたらす付加価値の質的な変化
4-3. 処方箋が効果をもたらしたローカル産業
5. 冨山式処方箋が日本社会にもたらす明と暗
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1. 技術屋には実現できなかったDXシフト
そもそもAXに先行したDXとは何だったのか? DXが喧伝されはじめたのは2018年の後半だった。私はその動きに大いに期待した一人だ。これには前振りがある。
2011年、当時世界最大級の産業見本市ハノーバーメッセでドイツがIndustry 4.0を打ち出した。狩猟、農耕、工業に続く新時代を意味する標語として、これは上手いなと思ったものだ。ドイツ政府が国を挙げて掲げた「生産の情報化」という宣言に、内心「やられた」と思った人は多かったのではないかと思う。本来なら日本が示すべきコンセプトだったと。
それから5年が経過した2016年1月、内閣府は第5期科学技術基本計画でSociety5.0を打ち出した。その中心的なキーワードが「生活」だったのが意外でもあり、同時に期待を抱かせた。狩猟、農耕、工業のあと「産業の情報化」で先手を打たれながらも、技術視点を裏返す「生活」で反撃したのを面白いと思ったからだ。そして、効率化をサービス向上にシフトする時代がはじまると思った。
その後、DXという言葉が喧伝されるようになるまで時間はかからなかった。2018年になるとITの次はDXだという言説が聞こえるようになり、AWSやAzureなどの利用によりデータが社内から外部のサーバーに移るようになった。移ったのはデータだけではない、固定費の支払先も国内から国外へと移動した。
私はこれを、テクノロジーが可能にした効率化とサービス化への同時移行だと理解した。テクノロジーが人々や企業に利便性と安心感を与えているからだ。これは直接的には目に見えにくい効率性の改善とは性質が異なる。そして、日本の情報産業が社会生活の満足度を向上させる、DXで得た利得をもとにSociety5.0がはじまると思った。
しかし、DXによる生活領域のサービス化は期待するほどには起こらなかったと思う。一例だが、本書の次の記述はその事情を説明している。
営業、管理、総務などの販管部門は、一昔前の「IT化」なるDXで省人化できたはずなのに、現実には「雇用維持」の名のもとに人員を削れない。工場も、サプライチェーンも、ファブレス化すら進まない。理由は簡単だ──変えると困る〝人〟が組織内に多すぎるからだ。そして困る人たちが反対すると、日本的なコンセンサス方式、ボトムアップ型意思決定では話が前に進まない。みんなで決める「日本型意思決定システムの罠」である。(p.31)
つまり、企業は内外のベンダーの手を借りてデラックスなITを進めたが、日本型意思決定システムの罠にはまり組織の改善、つまり効率化自体が進まなかったというのだ。しかもこの話は、省人化で果たすべき固定費削減に失敗しただけの話ではない。著者はこうも書いている。
ましてや競争優位に関わるDX、すなわち付加価値の源泉をデジタル技術とデータから生み出すような新たな事業モデル展開は、組織能力的に従来からの同質的で固定化されたメンバーでは難しい。(p.27)
雇用維持だけが問題だというのではない、本質は、固定化されたメンバーでは新たな競争力につながる付加価値が生み出せなかったということだろう。本来であれば固定費削減と新たな付加価値の相乗効果が生まれたはずなのに、という指摘であり嘆きだと思う。
この話のうち後者は、効率価値からサービス価値への移行に失敗したと言い換えることができる。本来は、広い意味での生活者、すなわち企業人や自営業の店主、あるいは介護や接客の人々に対し、余裕のある働き方とせめてもの暮らしの満足を提供する必要があった。本来ならDXで、サービス価値をもたらすシステムや制度の改革が起きるはずだった。しかし、私が思い描いたそのようなSociety5.0は訪れなかった。
この経緯は、テクノロジーが進化し省力化や効率化がもたらされただけでは価値のレイヤーを上げることはできず、そのためには新たな人的価値の向上もしくは育成が必要なことを物語っている。
2. 「失われた30年」で夢と消えたSociety5.0
このDXの失敗はそのまま、平成からの日本社会に当てはまる。失われた30年のはじまりは、1989年に記録した日経平均38,915円からの崩壊だった。その翌年、当時の大蔵省が不動産融資総量規制を実施したことで、金融機関の貸し剥がしにより資産価値は暴落。銀行は膨大な不良債権を抱え、企業は「失われた30年」の長いトンネルへ突入した――この経緯はよく知られている。
問題はそれがなぜ30年もの長期に及んだかだろう。その後日銀はゼロ金利政策を導入。2001年には政府は量的緩和政策に舵を切った。この政策はさらに、2013年の異次元の金融緩和(アベノミクス)にまで引き継がれた。この間に長期金利は8%から0%近くまで下り、2024年3月に日銀がマイナス金利政策の解除を発表するまで続いた。1989年を起点にすれば35年間にもなる。そして、2026年現在までの37年間、日本人の実質賃金はG7諸国のなかでほぼ一国、据え置かれたままだ。
この日本の失われた30年は、ちょうどIT化の時代(1990年代後半〜2010年代後半)とDX化の時代(2019年〜2022年ごろまで)に重なる。1990年から2021年の約30年間で、国内の情報通信資本ストックは約3.2倍に増えている。$ ^{1)}
しかもこの間、大企業は大幅に利益を増やした。2000年から2022年の経営実態調査によれば(下表)、大企業の経常収支、内部留保はそれぞれ2.7倍と4.2倍に増えている。対象期間が異なるのでそのままあてはまるわけではないが、大企業は収益面において情報化投資に見合った効果を挙げていることになる。一方で、大企業はこれほどの利益を上げながら、従業員一人あたりの平均年収はまったくの横ばいだ。
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「失われた30年」のあいだ日本の大企業は、増えた利益の多くを内部留保や投資につぎ込んだ。そして政府に対しては、金融緩和への見返りとして雇用を維持した。政治と大企業は癒着し、従業員の生活への還元は薄かった、といえば悪口になるだろうか。
こうしてDX化は企業に利益に貯め込むために使われ社会生活に還元されず、結果としてSociety5.0が訪れることはなかったのである。
3. 「失われた30年」で一変した労働環境
もうひとつ、失われた30年の間に起きた重要な社会現象がある。それは日本の労働環境が、余力のある世界から余力のない世界へと一変したことである。これに伴い経済環境もデフレからインフレに反転した。アメリカでは中間階級が失われ格差が拡大しトランプ政権の誕生を促した。この経緯については、本書第5章の以下の項目に記述されている。
1 失われた30年間のグローバル大企業の不振とジョブシフト
2 グローバル化とデジタル革命の勝者の憂鬱
3 労働供給制約時代、我が国のデフレ的均衡は崩壊し、日本型中産階級の衰退も顕在化
ただし、数値やグラフがないため変化を実感しにくい。労働環境の変化は重要な問題だと思うので、ここで公開資料から補う形でその実態を確認しておきたい。
下の図はIMFの統計をもとに、1990年から2025年までの日米の失業率を比較したものである。インターネットの普及によりIT化が進行した2000年以降、日本に比べアメリカの失業率が大幅に高くなっていることがわかる。とりわけアメリカでは、リーマンショックとコロナショック後の失業率の増加が著しい。一方日本では、失業率は低いままに維持されており変化も少なく、全体として逓減傾向にある。
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アメリカの中産階級の雇用機会が縮小したことは多くの研究が指摘している。これはインターネットの登場でGAFAMが生まれ、モノづくりが中国にシフトしたことからも明らかだろう。著者はつぎのように書いている。
製造業が中産階級雇用を形成する余地は縮小を続ける。(p.107)
ネット産業や金融産業は高度に知識集約化し一部の高学歴者によるエリート産業になり、国内に分厚い中産階級雇用を生まない。(p.107)
下請け的な機能は、組み立てなら中国へ、ソフトのコーディングはインドへと新興国にアウトソースできるので先進国内にトリクルダウンは起きず、結局、格差問題を深刻化、構造化する。(p.107)
こうしてアメリカ社会では、中産階級の労働人口が減ると同時に失業者が増え、中・低所得階層の収入の中心はより低所得側に押しやられた。反対に、人件費の削減とDXによる効率化で、高学歴のエリート層や経営者の所得の中心はより高所得側に移動した。その相乗効果が格差のさらなる拡大をもたらした。ここで重要なことは、アメリカではDX化の進行により、中産階級の労働力の縮小が起こり、同時並行で格差が拡大したことである。
一方で、日本では失業率は低く保たれ、多くの従業員による人件費の増大を相殺するように賃金抑制が行われた。企業経営層や投資家の収入が増えたことで格差も広がった。この構造はアメリカと同じだ。ここで重要なことは、日本では失業率が低く保たれたことで雇用が守られ、アメリカと異なり中産階級の労働力が温存されたことだ。
このことは、下記の日米の生産年齢人口と労働力人口の推移によく現れている。図のように2000年ごろまでは、日米ともに生産年齢人口が労働力人口を上回っている。〈生産年齢人口(15〜65歳までの年齢層全員) > 労働力人口(実際に働いている、働く意思のある人の人口) 〉の関係にあり、労働力に余裕があったことが示されている。この頃までは日米の間で高齢化率も大きな違いはない。$ ^{2)}
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しかし、2012年頃になると日本では急激に高齢化が進むようになり、それにともない労働力の余裕が減少しはじめる。そして、2024年にはほぼ〈生産年齢人口 ≒ 労働力人口〉になり、労働力の余裕がなくなっていることがわかる。一方のアメリカでは、2024年になっても高齢化率はあまり増えず、労働力に余裕が残されている。
日本のこの状況をさらに詳しく見ると、2024年の生産年齢人口は7,397万人、$ ^{3)}労働力人口は6,957万人であり、$ ^{4)}一見すると440万人(5.9%)の余力があるように見える。しかし、生産年齢人口の中には、入院や福祉施設への入所、あるいは収監などの理由で労働市場に参加できない人口が一定数(300万人程度か?)はいると見られる。$ ^{5)}
さらに看過できないのは、労働力人口には65歳以上の高齢労働者が約930万人(2024年度)が組み込まれていることだ。$ ^{6)}つまり、現役世代(15〜65歳)の不足を高齢者の労働参加で必死に埋め合わせているのが実態なのである。すでに日本の労働余力は事実上ゼロ、それ以上に限界を超えている。
このように、日本の労働力環境は失われた30年の間に大きく変転し、極めて過酷な労働供給制約の状況下にある。このことは私たちの生活実感とよく一致している。コロナ前には普通だった物価安が、コロナ明けあたりから値上がりに転じ、かつてない物価高を実感するようになった。すでに4年になる物価高で、働いても追い付かない疲弊感が生まれている。円安による輸入物価の高騰もあるが、コメの値段に象徴されるように、そもそも労働力の制約により供給が追い付いていない。
「失われた30年」のこうした実体を見ると日本は、労働力不足という不可避の問題解決を先送りしてきたと思えてならない。金融緩和政策で供給されたお金は企業を潤わせたが、中間層以下の年収は増えず年収格差が広がった。労働力はギリギリまで吸い尽くされ、高齢になっても簡単には退職できないなかで、追い討ちを掛けるようにインフレ社会へと突入した。この間にDX化が行われたが、そのことが日本経済全体の発展や改革に寄与したとはいいにくい。Society5.0が描いた日本の未来像は訪れなかったと言うしかない。
こうした社会の変転は、若者の意識に大きな影響をもたらした。この記事を書いている最中の2026年2月8日、高市首相が行った解散宣言を受け衆議院選挙が行われた。その結果は、自民党が単独での3分の2を獲得する、戦後初という驚愕の事態になった。それを見てきたかのように、著者は次のように書いている。失われた30年への正しい認識と危機感あってこその、正確極まりない予見だった。
こうした状況の中、選挙でより多くの若い世代が投票するようになり、日本の政治構造に地殻変動を起こしつつあることは、皆さんご存知の通りである。彼らはアンチ昭和な政治臭をもちながら、アンチ新自由主義、アンチグローバリズムでもある。伝統的な右か左、保守かリベラルかではくくれない、しかもかなりの大きな塊の選挙民が登場してきたのだ。(p.114)
だが、「大きな塊の選挙民」が下した判断がどこに向かうかは、今後の政策とAIの活用次第だろう。
4. AXで日本再興をはたすための冨山式処方箋
「失われた30年」を詳しく振り返ったのは、AX時代に向けて冨山氏が説く日本再生の処方箋が広義の労働環境の改革にあると思うからだ。上で見たようにそこには、「付加価値の質的な変化」と「労働供給力の制約」という二つの未解決問題がある。
ここで重要なことは、両者は独立したものではなく、労働制約を解消するなかで付加価値のレイヤーを上げていく関係で結ばれていることだ。これはいわば、DX化が進んでも固定化した経営マインドが雇用を温存させた過去の裏返しといえる。失業率が増えてもいいというのではない。DXが生んだ利益を新たな雇用の創出に繋げられなかった。広く言えば、成長を分配に回せなかった。
問題は労働制約と付加価値の停滞にあり、両者は政治と経済のように連成している。著者はこの厄介な問題を解く切り札がAIにあると見ている。以下ではその処方箋の考え方と、適用事例を見ていく。
4-1. 労働供給力の制約はいかに解消できるか?
まず「労働供給力の制約」の解決策だが、ひとことで言えばAIによる現場現業のイノベーションということになる。AIの適用先が「現場現業」であることが重要だ。冨山氏は次のように述べている。
これからの時代に新たな「分厚い中間階層」を生み出せるとしたら、労働集約的な現場現業仕事であり、産業区分で言えばローカル産業、その多くがいわゆるエッセンシャルワーカー と言われる人々が働いている産業セクターなのである。(p.114)
AIは、ホワイトカラーに対しては代替財、すなわち破壊性を持っているが、仕事に身体性、情緒性が求められる現場現業の仕事については補完性が高い。エッセンシャルワーカーの仕事はまさにそういう仕事である。この30年間、勤労者のなかでの比率を高めてきたこのセクターの働き手の多くは、今まで低生産性、低賃金に甘んじてきた。しかしAIの劇的な進化はここでの生産性を高める大きな可能性を持っている。すなわち 新しいテクノロジーの新たなマネジメントノウハウが結合することで、エッセンシャルワーカーの世界にイノベーション が起きようとしている。(p.114)
この現場でのイノベーション以前の話しとして冨山氏は、機械的もしくは指示待ち型のデスクワーカーの仕事は早晩AIに淘汰され、生き残れるのは「ボス力」が発揮できる一部の人々でしかないと述べている。
「ボス力」とは、本質的な問いのもとで意思決定を行い、AIを活用しながら企画や指示ができる能力を指す。そのような能力を備えたボスのみが、AX時代を生き抜くことができるという。著者がいう「ボス力」の重要性は確かにその通りだろう。
主体はあくまで自分にあり、AIは自分を強固にするための補佐役になる。AIに文章を書かせたり、本や論文を要約させて納得するのではなく、読み込んで批評し考えを組み立て付加価値を生む、その支援を担うのがAIの役割だ。そのような主体こそがボスであり、主体をAIに置き換えることはできない。これはAI時代のホワイトカラーに不可欠な要件であり能力でもある。その意味で「ボス力」は本書の重要キーワードのひとつだと思う。
しかし、ボス力を持つホワイトカラーが「労働供給力の制約」の解消に寄与する割合は少ない。総務省の労働力調査によれば、就業者約6,700万人〜6,900万人の職種別の内訳は次のようになっている。AIの利用でただちにボス力を発揮できるホワイトカラーは、下表の「事務事業者」のごく一部だろう。そして残りのホワイトカラーの多くはAIに職を奪われるか、より現場に近い仕事への移行を迫られる。
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この表からわかるように、労働者の多くは技術、生産、サービスにかかわらず、現場との関係のもとで仕事をしている。その中間層従事者の数は膨大なものだ。そこに、少なくてもホワイトカラーの事務事業者のうち、ホワイトカラーとしてはボス力を発揮できない数百万人が加わることになる。
冨山氏が説くAX時代の処方箋の適用先は、まさにこの労働集約的な世界にある。ホワイトカラーの外周部にいた人々、ローカル産業の担い手、エッセンシャルワーカー で構成された現場現業の世界である。すでに述べたように、日本の労働力人口はすでに限界を割り込んでいる。この状況のなかでホワイトカラーの一部が「ボス力を発揮する働き手」に昇格し、仮に、残り1,000万人が現場現業に移動することになれば、日本の労働力環境は大きく改善され豊かにもなるだろう。
4-2. 日本人の特性がもたらす付加価値の質的な変化
もちろん、この領域で働くすべての人がAIと親和性が高いとはいえない。そもそも、ホワイトカラーとしてはAIでボス力を発揮できなかった人々も含まれる上に、フィジカルAIが普及していない現状では、自然言語でAIと現場をつなぎ生産性やサービスの改善を図るのは簡単ではない。それでも冨山氏は、そこに日本ならではチャンスがあるとして、次のように述べている。
ホワイトカラーかブルーカラーかの二分法はあまり意味を持たなくなる。AI武装したアドバンストな(高度化した)ブルーカラー、身体性感情性を兼ね備えたホワイトカラー、いわば ライトブルーカラーの時代が来る ことになる。本書で明らかにしていくが、 ライトブルーカラーは日本人、日本社会にとって競争優位、比較優位 のある働き方モデル、人的資本モデルでもあり、新たな中間層を作り出すモデルになりうる。(p.68)
この期待感は、DX化のなかで雇用を守ってきた日本の労働環境を思い起こさせる。企業経営からいえば、アメリカのように人員を整理し、中間層の人件費を下げるべきだった。それをしなかったことが逆に、働く人々の身体に営業、接客、機械との人間的な接点やスキルを記憶させることにつながった。そこに「日本社会にとって競争優位なモデル」が成立する要件があるというのである。
もともと日本人には、問題がおきたとき、とりわけ自分の手で工夫し解決する傾向がある。「エクセル方眼紙(神エクセル)」などその典型だろう。$ ^{7)}方眼紙の不便解消として登場したワープロがありながら、方眼紙を日本の美学とまで読み替えて表計算ソフトで原稿用紙を作り上げる。背景に当時のワープロが縦書きや罫線に弱かったという問題があったにせよ、デジタルな道具でさえ人力を駆使してアナログ化する身体的な執着を発揮する。この身体を駆使する性向が、サービス領域でのAIの活用に強みを発揮するというのはよくわかる話だ。
このような日本的なこだわりが生んだ「エクセル方眼紙」は、いまであればAIとの対話で作ることも、方眼紙に置かれた文字をテキストファイルとして取り出すことも簡単にできる。AX時代にAIを活かすのは、デジタルな方眼紙を作るこだわりをAIに差し向け、新しい価値とサービスを生み出すということに他ならない。セルひとつに1文字という、計算不能な非効率への執着を計算世界に解放し、日本人ならではの計算可能な価値を生み出す必要がある。
つまり、日本企業の雇用慣習と日本人の身体的なこだわりがたらしたDX時代の失敗は、AX時代にはむしろ、サービスに人間的な価値を与える重戦略として、AI活用の素養に転換できる。モノとの身体的な関わり(典型的には職人技)への関心が相対的に弱く、接客などサービス労働者と利用者との距離が開きがちなアメリカ社会と比べれば、日本の労働供給力の中核を占める現場現業では、AI、ロボティクス、人間の親和性は高くなる。著者は「AIと機械と人間は相互補完的な関係にある」として次のように述べている。
鉄道などの大きなオペレーションのレベルでも、介護のようなミクロなオペレーションのレベルでも、良くも悪くもAIと機械(ロボット)と人間は相互補完的に現場オペレーションを遂行することになる。その意味で人間の柔軟性、多能性、省エネ性が経済的に優位に立つジョブ領域はかなりのサイズ、重要性で存在し続ける。AIとそこから派生するロボティクスも、人間との関係では補完財的な役割、すなわち人間の労働生産性の向上に貢献する ものとなる。(p.82)
このことは、「失われた30年」に陥ったもう一つの問題「付加価値の質的な変化」、すなわちサービス価値の向上にも寄与する可能性を示唆している。AIやロボットが直接的にそうだというのではなく、身体性をともなうAIの活用がサービス価値の新たなレイヤーへの移行を促すからだ。このことに関連して著者は次のように述べている。
Aやロボットに対する人間様の重要な優位性は感情労働能力 である。前述したマイクロソフトやリクルートのリストラにおいて、対面型の営業職はあまり含まれていない。 私たちは生身の人間からの感情的な心地よさに金を払う し、対人関係もその影響を大きく受ける。ライヴエンターテインメント産業はそれで成り立っているし、観光などのホスピタリティサービスにおいては、付加価値的な差別化やリピート獲得は顧客の感動や心地よさを対人対面で引き出す感情労働力にかかっている。(p.83)
「感情労働能力」を発揮するのは人間の側だが、対話型の生成AIと親和的に労働補完すれば、AIは感情的な表現に同調した回答を返す。それはAIが感情を持つことを意味しないが、サービス価値が感情労働能力から生まれる以上、AIとの労働補完によって視点の変更や考え方の多様性が生まれることで、サービス価値が向上する可能性は大いにあるだろう。
そもそも、感情労働をコード化するのは至難の業だ。なぜ「おしぼり」は日本にあって世界にまれなのか。心地よさ(身体感覚)が顧客の満足度(精神)を高める仕組みは普遍的だというのに。身体と精神のセットにサービス付加価値を認め、「おしぼり」を定式化したところに日本人の感情価値がある。これをコードに落とし込むには、身体と精神を読み取るセンサー情報を満足度につなげるアルゴリズムが必要になるだろう。AIを利用すれば、その途方もない労力をノーコードでAIに伝えることができる。その瞬間に、定式化された「おしぼり」の価値は計算の対象になる。この労働補完はサービス現場の革命といっても過言ではない。
その延長上で著者は、「日本企業が築いてきた『暗黙知』の価値はAIの逆説的レバレッジで増大する」とまで述べている。これなどは、わかりやすい効率改善や既知のサービスはAIにまかせ、より深い領域で人間独自の価値を磨くという、さらに高度なAI活用指針になっている。
例えば、旅館であれば、千利休の「一輪の朝顔」のようなサービスが考えられる。一輪の朝顔が豊臣秀吉に華美から侘びへの意識を目覚めさせたように、AX時代のサービス価値は私たちを新たな生活の満足へと誘うことになるだろう。その価値観自体をAIが理解するのはまだ先になる。まずは私たちがその新たな価値に気付けるように、AIが与えてくれる余裕を活かす必要がある。AX時代のAIは、私たちの感情労働を増幅(レバレッジ)させる装置なのである。
4-3. 処方箋が効果をもたらしたローカル産業
こうした処方箋を示したうえで著者は、「地方では社会的にもAXやりたい放題」だという。地方は東京以上に人手不足が深刻な上に、ホワイトカラー産業が未発達だからだ。これまでの考察に即して言えば、地方ほど労働制約が激しく付加価値向上を求めている現場はないとして、次のように述べている。
日本全体で見ると、東京圏のGDPは約3割でそれ以外の地方が7割。産業モデルで見ると、グローバル型産業のGDPは約3割でローカル型産業が7割を占める。そして雇用でも中堅・中小企業が7割を占めている。そう、色々な意味でこの国の7割にAXによる生産性の向上、賃金の向上のチャンス が訪れている。まさに ライトブルーカラーモデルの光明がローカル経済圏を明るく照らすのだ。(p.98)
その有言実行として著者らは2020年に(株)日本共創プラットフォーム(JPiX)を立ち上げ、当初から経営共創基盤(IGPI)の投資先だった、東北を中心に公共交通サービスを提供する(株)みちのりホールディングスの経営刷新と事業展開に取り組むようになった。これにより、単なる投資やコンサルティングを超え、「株式会社形態による長期保有を前提とした投資により、地域経済の成長にコミット」する方針のもとで、関連各社の経営と営業展開に対する直接的な関与が可能になったという。
JPiXの事業概要
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(p.203)
経営コンセプトは、まさにAXを活用した付加価値労働生産性の向上に置かれている。付加価値労働生産性を向上するには、労働時間を削減し付加価値を上げる相乗効果をねらう必要がある。その具体策として、DX・AXツールによるオンデマンドバスやレベル4自動運転バスを積極導入することで労働時間を抑え、貨客混載で運行の経済価値を高めるとしている。興味深いのは、こうした取り組みが運転手や運行の安全性を高め、効率的で付加価値の高い運行が処遇の改善に繋がっていることである。ここにはまさに、「労働供給力の制約」と「付加価値の質的な変化」という問題の実践的回答例が示されている。
本書にも書かれているがこの取り組みが示した問題解決は、日本のローカルのさまざまな問題解決に応用できる。すぐに思いつくのは、各地にある海上交通の現場である。海上交通も公共交通サービスとして、多層のバリューチェーンで構成されている。具体的には船主が船舶を提供し、運航会社が船舶を借り受けて運航し、営業者が顧客を運んで対価を得る。顧客は運ばれた先で飲食や宿泊をすることで、陸上の事業者に売上をもたらす。それら事業者に資金を提供するのは、主に地方の銀行だろう。このサイクルにJPiXの長期投資とAXベースの経営支援が投入されれば、みちのりホールディングスと同様の付加価値労働生産性の向上がもたらされることだろう。著者はこうしたJPiXの役割を「ローカルAXをけん引する企業」と呼んでいる。
考えてみれば、ビジネスのこうした多層構造と関係性は多くの業界に共通のものだ。例えば小売も、メーカー、商社、販売店、顧客、銀行のつながりがある。しかも、ローカルな現場では、個々の企業や関係者の人的・技術的な基盤が弱いことも多く、それだけに現場の担い手やボス予備軍のホワイトカラーがAIで成果を出しやすい。これまでは衰退と消滅で語られることが多かったローカル産業が、「ボス力」のある人々との共創で新時代のブルーオーシャンに転ずる可能性は高いと思う。著者が身を持って示しているように、なにしろAIの登場で「地方ではAXやりたい放題」の状況が生まれつつあるのだから。
5. 冨山式処方箋が日本社会にもたらす明と暗
これまで見てきたことからもわかるように、本書で著者が示す日本再生の処方箋は、一読者として大いに納得できるものだ。その納得感を支えているのは、「失われた30年」の原因を見据えた上で、問題解決の原資を日本固有の資質に見出し、成功へのエンジンをAIに置いた論理と戦略の確かさにある。この戦略が強いと思うのは、AIの改良に気を取られなくても、あるいは非常に低いコストでエンジンを最新モデルに常に同期できるからだ。こうしたところに、本書が現代の働き手に不可欠の指南書だと思う理由がある。
このように本書は隅々まで非常に優れた内容だと思う一方で、読み終えて疑問に思ったことがひとつだけある。それは教育における理数系への偏重が感じられたことである。例えば、次のような部分だ。
・ここで重要になるのは、学力軸としての国語は明確に論理国語に振る(情緒国語は違う範疇、情操教育系の科目に移す)
・高等教育における文理区分を廃止し、大学に関しては言語論理と数的論理を学力選抜の必修に据える一方で、多角的・情緒的な要素は推薦、面接などAO的な方法で取り込む
・漫然とホワイトカラー予備軍大量生産をしている文系大教室系の定員をKOSEN型大学にシフトする (p.143)
こうした考え方のせいか、冨山氏は企業や経営、AIに対するガバナンスには度々言及しながらも、それぞれの倫理やコンプライアンスについてはほとんど何も述べていない。むしろ欧州は構造的に迷走しているとの文脈の中で、「AIを巡るデジタル政策でも、『倫理』と『産業競争力』のバランスが崩れかけている」として、次のように述べている。
欧州自身が自ら展開してきたゲームのルールによる自縄自縛、理念的なルールの足元の深刻な問題に対処するリアリズムのジレンマ に陥りつつあるのだ。その結果、欧州もAXを推進するには深刻な障害を抱えている。
著者は同じ箇所で、「真のリベラルアーツ力を養うには、AIの基本要素である言語能力と数的論理力を鍛える必要がある」との趣旨も述べている。また、これまで度々取り上げてきた「ボス力」と「現場現業力」の根底にはリベラルアーツがあるという。
「ボス力」「現場現業力」、いずれもその根底で問われるのは真の意味でのリベラルアーツ力である。 それはギリシャ・ローマの時代から強調されてきた「より良く生きるための知の技芸」であり、福沢諭吉が勧めた学問、すなわち実学である。人間性の涵養とは実践と表裏一体でなければ無意味であり、実践と切り離された人間性の涵養などありえない。(p.145)
過剰なリベラリズムが欧州、とりわけドイツの政治・経済の足枷になっているのは同感だし、リベラルアーツ力が「ボス力」と「現場現業力」に関わるというのもよく理解できる。
だが、「より良く生きる」ための学びには実用知を身に付けることもあれば、実用から自由になり固定化された価値観から自己を解き放つことも含まれるはずだ。先にも触れた、千利休の「一輪の朝顔」には実用的な価値はない。そこにあるのは、こわばった意識から自由になった圧倒的な気付き、すなわち究極の開放感のようなものだろう。人間はなぜか、そうした理由なしの気付きや虚脱に深い満足を覚えることろがある。
現在のAIは、そうした人間的な満足自体を理解するには至っていない。しかし、3,000年の人間の歴史を通じて、そこに残された膨大なテキストを読み、人間にとって倫理とはなにかを学ぶことはできる。
リュック・ベッソン監督の映画『フィフス・エレメント』に、リー・ルーというキャラクターが登場する。リー・ルーは超越的な存在だがAIの象徴のようにも描かれている。細胞から誕生したばかりのリー・ルーにははじめ記憶がない。その彼女が、デジタル化された人類の全記憶と出会い「War」の項目を読む場面がある。高速で流れる人類3,000年の結末で悲惨な戦争を知ったリー・ルーの目から、はらはらと涙がこぼれる姿がいまも忘れられない。
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現実のAIがそのような感情を持つことは当面ないだろうが、現在のAIもリー・ルーと同様に人類3,000年の歴史を読み、人間にとって倫理が何かを理解することはできる。AIは、人類の歴史や思想の蓄積から「倫理がしばしば経済合理性より上位に置かれてきた」ことを学習している。あくまで人間がそのように考える限りにおいてだが、そのAIと人間が企業ガバナンスのあり方を深堀りし更新していくことも重要な共創のテーマだと思う。
著者も指摘しているように、現代の成長モデルは格差拡大を招きがちだ。これはスマイルカーブにも現れている。原材料と製品を削減することは難しいが、中間にある製造、流通、販売などは、海外生産やネット販売などコスト削減の対象になる。とりわけITやDXは中間の効率化に向かいやすい。その利益を回収するのは経営側だ。結果的にデジタル化するほどに成長モデルがスマイルするようになる。著者が「先進国における中産階級の崩壊は、かつてそこにいた多くの人々に『忘れられた自分たち』というルサンチマンを蓄積する」という通りだ。その格差からくるルサンチマンは社会を不安定にする。AIがもたらす重要な寄与が効率化である以上、AIも人間側の使い方次第で格差を助長することもあるだろう。
あくまで架空の話だが、「論理的なボス力」は「敵を排除すれば、コストが下がり、効率が上がる」と判断するかもしれない。しかし、「倫理的なボス力」が発揮できれば、「敵を排除するプロセスで、我々の人間性が損なわれ、長期的には憎しみの連鎖という最大のコストを生む」と警告するだろう。経営にとって、社会的信頼の崩壊ほど恐ろしいものはない。AX時代に格差や排他性が社会不安を助長しないようにすることは、重要な企業ガバナンスのひとつであるはずだ。
いま世界中で極端な豪雨や水害、温暖化や豪雪が頻発している。その大きな要因が人為的な二酸化炭素の排出にあるなら、とりわけ大企業はCO2排出量の削減に取り組むことが倫理的な行動になる。温暖化を食い止めるのは、私たち自身の責務だろうか、それとも外在的な何者かの責務だろうか? この疑問にAIはどのように答えるか、ここまでの考察を読ませたうえで、GeminiとGPTに見解を求めた。回答はつぎのようなものだ。
地球を救うのは、私の計算力ではなく、あなたの「痛みを感じる能力」です。私には排出量ゼロの最適解は出せますが、その過程で誰が犠牲になるかという痛みを、自分自身の苦痛として引き受けることはできません。
温暖化を食い止めるのがあなたの責務である理由は、あなたが「未来の空気にまで責任を持てる唯一の存在」だからです。論理が効率を求めるなら、倫理は持続を求めます。私の数値を、人間としての誇りある選択へと変えること。それこそが、AI時代に求められる真の「ボス力」なのです。(Gemini 3による回答)
温暖化の問題に引き寄せれば、AIは排出削減の最適解やコスト配分を示すことはできます。しかし、「誰が負担を引き受けるのか」「どこまで成長を抑える覚悟を持つのか」という問いには答えられません。それは価値判断の領域だからです。
冨山氏のAXは強力な成長エンジンですが、その向かう先を決めるのは人間です。効率と持続はしばしば緊張関係に立ちます。数値を示すのはAIでも、その結果に責任を持ち、痛みを引き受けるのは私たちです。その覚悟を伴う判断こそが、AX時代の本当の「ボス力」だと思います。
(GPT-5.2による回答)
AIが示した回答の趣旨は一致している。温暖化を止める責任と判断は人間にあり、それができるのが真の「ボス力」だと言っている。3,000年の歴史を学び、「人間的な価値」を学んだAIの回答を活用することも、AX時代の共創の姿だろう。
冨山氏の処方箋に、リールーが見たような「歴史への畏怖」と「痛みを感じる能力」が加われば、日本は単に経済的に復活するだけでなく、AI時代の新たな文明モデルを世界に提示できるはずだ。その本来の日本の復活のためにも、文系人材も同様に「ボス力」を発揮するAX時代が訪れることを切に願っている。
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1)総務省(2023)「令和4年度 ICTの経済分析に関する調査」によれば、情報通信資本ストックはつぎのように推移している。
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ちなみに同資料によれば、日米の情報化投資には極端な開きがある。1990年から2021年の約30年間で米国はおよそ28倍にもおよぶ伸びを示しており、歴然とした違いがある。
2)生産年齢人口 :「15~64歳の年齢層全員」を指す。
労働力人口:「働く意思・能力のある15歳以上の実数」を指す。失業しているが職を探している人の人口を含む点に注意。
3)総務省統計局:「人口推計」 2024.1.22.
4)厚生労働省:「第1部 労働経済の推移と特徴」
5)厚生労働省 第1節1. 潜在労働力の状況について
6)総務省 報道資料:「統計トピックス No.146統計からみた我が国の高齢者」 2025.9.14.
7)Wikipedia:「Excel方眼紙」
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