2026/0128 鶴見太郎『シオニズム』から〈カナンの丘 未来への記憶館〉を構想する
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本書はユダヤ人やイスラエルを理解するのに不可欠な言葉の起源から、いま社会問題となっているイスラエルによるガザ侵攻まで、広範な視野と時間軸でシオニズムと現代社会の関係を述べた労作である。一般の読者向けに書かれた新書判の一冊だが、その内容を読み解くのは簡単ではない。
しかし、読み進むほどに、シオニズムはユダヤ人だけの問題ではなく、その特異性を育ててきたのは社会の側ではなかったかと思えてくる。その歴史の結末は、間違いなく現代につながっている。
その点で本書は多くの解説書や啓蒙書と異なり、現代社会の暴力性に直面する私たちへの、問題解決に向けた指南書といえる。その貴重な手引きを少しでも活かすために、自分なりのまとめを行うなかで、最後の第11章に〈カナンの丘 未来への記憶館〉構想を記した。下記の画像はその予想図である。
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目 次
1. シオニズム運動が生まれた経緯
2. 自立解放を先鋭化させた二重の啓蒙と経済的困窮
3. 世俗主義を包含できない普遍主義
4. 聖書に書かれた二つの契約とシオニズム
5. 性格が異なる三つのシオニズム運動
6. 暴力性を持つに至った宗教シオニズム
7. 戦争犠牲者より醜聞に敏感なわたしたちの意識
8. イスラエル市民の証言による「見えない隣人」の実態
9. 「見え方」を歪める構造的な二つの壁
10. 国際社会が果たすべき取り組み
11. 「カナンの丘 未来への記憶館」を構想する
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1. シオニズム運動が生まれた経緯
「シオニズム」という言葉はシオン主義ともいわれるように、エルサレムの別名「シオンの丘」にちなむ。イスラエルの民を引き連れてモーセが目指した、約束の土地「カナン」の中枢にある。しかし、聖書にシオンの丘が登場するのはモーセの時代から数百年後、ダビデが古代イスラエル王国の二代目の王についた、紀元前1000年以降のことである。
本書のテーマである「シオニズム」は、こうした古代の物語とは直接的には関係しない。ただし、後述のように両者は不可分の関係にある。著者は、「シオンの丘」への帰還を目指すシオニズム運動が組織的に始まったのは、1882年になってからだという。その運動は、当時のナショナリズムの高まりのなかで生まれた。ここにシオニズムが「民族」や「国家」、とりわけ現在のイスラエル/パレスチナ問題と結びつく理由がある。
まずは、シオニズム運動がどのような経緯から生まれたかを押さえておきたい。本書から得た私の理解は次のようなものだ。
1)シオニズムの母体となったアシュケナジーム
古くから東欧にはドイツに起源をもつ多くのユダヤ人がいた。彼らは国家を持たず離散したディアスポラの民だった。当時ドイツの周辺地域はヘブライ語でアシュケナズと呼ばれていたことから、10世紀頃にはアシュケナジームと呼ばれるようになった。アシュケナジームはその後、18世紀に起きたポーランド分割で国境が動いたことにより、ロシア帝国のユダヤ人になった。このアシュケナジームが、いわばシオニズムの母体にあたる。
2)ハスカラー(ドイツ的教養)の作用
同じころドイツを中心にユダヤ教内部でハスカラー(ヘブライ語で啓蒙を意味する)とよばれる啓蒙運動がはじまった。 ハスカラーとはひとことで言えば、ドイツにおいてユダヤ人が正しく生きるための、「ドイツ的教養」を意味する。これによりロシア帝国の アシュケナジームも、ドイツ起源のハスカラーの考え方を引き継ぐことになった。ただし、ドイツではハスカラーがドイツへの同化を進める傾向を強めたのに対し、ロシアではユダヤ人としての集合性を損なわせることは少なかった。
3)異教徒間の小競り合いが招いたポグロム
そうしたなか1881年、ロシア帝国内のウクライナでユダヤ人とキリスト教徒との小競り合いが起きた。これが「ユダヤ人がキリスト教徒を殴った」と流布されたことから、ロシア人がユダヤ人の商店街を襲撃する暴動に発展した。犠牲者は数十人におよび、これが初期のポグロムといわれている。
4)ロシア政府の対応が生んだシオニズム運動
この事件を受けてロシア政府は、事件の原因をユダヤ人の特殊性に求めた。これがユダヤ人へのさらなるポグロムを招くことになった。事態に反発したユダヤ人は、同化から自力解放へと転じる。とりわけ、自力解放にはユダヤ人発祥の地パレスチナに移住する必要があるとの考えから、シオンの丘への帰還を意味する「シオン愛好」が叫ばれるようになった。翌1882年になると彼らの叫びは組織化され、ユダヤ人をパレスチナ帰還へと掻き立てる「シオニズム運動」が生まれた。
この経緯で注目したいのはシオニズム運動が起きる前、ドイツでもロシア帝国おいても、ユダヤ人はアシュケナジームとして移住地への同化を受け入れていたことである。これは10世紀以降のアシュケナジームだけのことではない。完全にではないにせよ同化する傾向は、紀元前6世紀の歴史に残るユダヤ人の強制移送、「バビロニア捕囚」においても見られた。
バビロニアは現在のイラクに位置し、アラム人、フェニキア人、エドム人など多民族が暮らす多宗教社会だった。そこへユダ王国の滅亡により移住を余儀なくされたヘブライ人(後のユダヤ人)がやってきた。当時の状況について著者は前著の『ユダヤ人の歴史』 で次のように書いている。
聖書では、このバビロン捕囚はもっぱら苦難として描かれるが、この文書からは、ユダの捕囚民には土地が割り当てられ、半自由民として土地を開墾して経営していたことなどが明らかとなる。このように、バビロニアにおいては、ユダの捕囚民が故郷から離れながらも一体性を保つことを阻害しないだけの社会的条件が存在していた。(鶴見『ユダヤ人の歴史』, p.33)
このように紀元前においても、ユダヤ人は移住先での同化を許容していた。これは庶民だけのことではない。大きな影響力をもった律法学者(トーラー学者)のひとり、中世のラビだったモーゼス・マイモニデスは、ユダヤ教に帰依したまま形式的にはイスラム教徒として、科学の発展に寄与したことが知られている。
(同化をめぐるバビロニア捕囚とマイモニデスについての考察は、本サイト内の「2025/0611 鶴見太郎『ユダヤ人の歴史』(中央公論新社, 2025)」で取り上げている。)
国を持たないことで集団制を持つユダヤ人だが、そのことで頑なに同化を拒否してきたわけではない。中世のラビや1882年のシオニズム運動前夜のロシアに限らず、このような同化傾向は過酷なディアスポラの歴史の要所に見られた。現在はどうかといえば、Wikipediaの「国別のユダヤ人人口」によれば、世界のユダヤ人(ユダヤ人自認人口)の51%がイスラエル以外の地域に住んでいる$ ^{1)}
2. 自立解放を先鋭化させた二重の啓蒙と経済的困窮
それでは、移住先で同化することもあったユダヤ人が、シオニズム運動以降、どのように自立解放を先鋭化していったのだろうか。本書と著者の前著『ユダヤ人の歴史』によれば、おそらくその背景には、ロシア帝国が行った啓蒙化政策と近代化政策の影響があったのだろう。ロシア帝国が進めたそれらの政策がユダヤ人にどのような影響をもたらしたかは、本書よりも前掲の前著に詳しい。その内容を要約すると、次のようになるのではないかと思う。
1900年の時点でロシア帝国には、世界のユダヤ人口の約半分に相当する520万人が暮らしていた。だが、ロシア皇帝はユダヤ人を疎ましく思っており、「ユダヤ人定住区域」にユダヤ人の居住を制限したうえで、ユダヤ人を無害化するための再教育を進めた。再教育を受け入れる者もいれば反発する者もいたが、大半のユダヤ人は言語や社会習慣の同化に留まり、自己意識や人間関係はユダヤ人としての集合性を保っていた。
こうしたなか1881年以降、ロシア帝国内ではポグロムが多発するようになっていた。また、近代化政策により鉄道移送がはじまり政府主導の大工場が増えてくると、農村の零細商店や貧しい行商、あるいは手工業に従事することが多かったユダヤ人は、経済的な苦境に陥ることになった。
(以上、鶴見太郎『ユダヤ人の歴史』第4章「2 ロシア帝国とユダヤ政治」の要約)
このように、ロシア帝国で「シオニズム運動」が立ち上がった当時のユダヤ人は、内面においてはハスカラーの、また外部からは政策の圧力を受けていた。極論すればユダヤ人は、教団からは「ドイツ的教養人」に、ロシア政府からは「統治に従順なロシア臣民」になるよう強要されていた。
しかしこれは、国籍を変えてすむような問題ではない。同胞からは自分を作り変えよと迫られ、社会からは役に立つ人間になれと言われれば、個人の自覚は引き裂かれる。そうしたなか、前掲の「大半のユダヤ人は言語や社会習慣の同化に留まり、自己意識や人間関係はユダヤ人としての集合性を保っていた」のは、内的な分裂から身を守る「合理的な選択」だったはずだ。
啓蒙の強要が反抗を生み出す事例は多い。現代の話になるが、2023年に佐賀県で起きた19歳の元大学生が両親を殺害した事件では、教育虐待が指摘されている。$ ^{2)}親による成績への干渉は、広義の啓蒙といえる。
有名な歴史上のできごとでも同様の悲劇が起きている。シオニズム運動のおよそ100年前にあったフランス革命は、自由と平等の啓蒙的理念を掲げる一方で、恐怖政治による大規模な粛清をもたらした。これらの悲惨な出来事は、いずれも「合理的な選択」を超えたときに現れた。
ロシア帝国のユダヤ人の場合、経済的な困窮が「合理的な選択」の維持を困難にしたのだろう。多くの庶民にとって、教養よりも生活が重要だった。近代化する社会の中での貧しい暮らしは、ドイツ的教養を夢想に貶め、ロシア的統治を悪夢へと変貌させた。貧困のなかで二つの啓蒙がユダヤ人を引き裂いたことが、シオニズム運動に攻撃性の萌芽をもたらしたといえないだろうか。実際、シオニズム運動の初期の指導者は、ハスカラーの仲間だったレオン・ピンスケルという人物だった。
3. 世俗主義を包含できない普遍主義
ユダヤ教正統派からしてみれば、生活苦によってハスカラーから離脱していく個人の動きも、近代化を進め統治のためにユダヤ人を啓蒙する国家の政策も、いずれも世俗主義に見えたことだろう。なぜなら、近代国家と律法の両立を構想したハスカラーも、ロシア帝国による統治政策も、ともに律法を生活の原理として維持することを困難にし、ユダヤ教の教えと実生活の分断をもたらしたからである。
その意味でシオニズム運動は、世俗化によって解体されつつあったユダヤ教の内部で起きた反応が外部化したものといえる。興味深いのは、ハスカラーがユダヤ教の内部から生まれた運動でありながら、その教養主義的な側面が、結果として律法から距離を取る方向に作用したことである。ユダヤ教内部の啓蒙運動が、結果としてユダヤ教徒個人に対し、律法と生活の分断を促す逆説をもたらした点である。ひとことでいうなら、〈シオニズム運動に付随するパレスチナ帰還への叫びは、内的に引き裂かれたユダヤ人が自らを修復する処方箋として生まれた〉、というのが私の理解である。
しかし、このような処方箋しかなかったのかという疑問は残る。メシアの登場により人類全体が救済されると信じるユダヤ教徒であれば、世俗主義さえも飲み込む普遍主義のもとで、自己分裂そのものを引き受ける、という選択肢もあり得たのではないだろうか。いうなれば内心を用いた同化である。
前述のマイモニデスのように、ラビとしてユダヤ教の律法に忠実でありながら、生活においてはイスラム教徒を偽装することで、自らの内部に整合性を保とうとした者もいる。普遍主義のもとで個人の内面を引き受けたユダヤ人もいなくはなかった。これは、苦難を努力で乗り切ったひとつの姿とはいえるだろう。
だがそれは、例外的な個人の選択だったはずだ。時代は異なるが、このことは逆に、1881年のロシア帝国で経済苦に晒された多くのユダヤ人にとって、自主的に律法と生活苦を切り離し、「ドイツ的教養人」や「統治に従順なロシア臣民」に努めることの難しさを浮き彫りにしている。外圧を許容する程度の違いに内的な普遍主義を適用するのは無理がある。同様に、普遍主義のもとで外圧を普遍的に適用することもできない。この点に関連して著者は次のように書いている。
むろん、キリスト教の普遍主義同様、それがあらゆる立場から普遍的であるかどうかは、まったくの別問題である。シオニストに土地と社会を奪われたパレスチナ人は、そのための尊い犠牲だと言われても納得できない。(p.238)
裏返せば、普遍主義だからという理由で、1881年当時のポグロムを容認したユダヤ人はいなかったはずだ。普遍主義だけでは、現実の矛盾や悲劇を包摂することはできない。著者の「普遍主義の適用には謙虚であらなければならないことになるはずだ。ただ、限界のある人間は、神の教えのすべてに従えるわけではない」という指摘は、まさにその通りだ。
普遍主義は排外主義に転じる可能性をはらんでいる。後述のようにシオニズムは、メシア信仰の物語のもとで、パレスチナ人に対し排外的な作用をもたらしている。メシア信仰、普遍主義、シオニズムに外圧の横糸が絡み合い、解くことのできない毛玉が生まれた。糸を解くという発想から、毛玉そのものを美しい織物に仕上げる考え方の転換が必要なのだと思う。
4. 聖書に書かれた二つの契約とシオニズム
冒頭付近で「シオニズムは、古代の物語とは直接的には関係しない」と書いた。シオニズム運動が1882年に生まれたからだ。ただし、そのシオニズムという言葉が「シオンの丘」にちなむように、シオニズム運動が目指す「パレスチナへの帰還」は、旧約聖書のアブラハム契約に結びついている。
アブラハム契約とは、旧約聖書のなかで神が預言者アブラハムとその子孫(イスラエルの民)に与えた約束のことである。その中に土地の約束がある。具体的には次のように書かれている。
わたしは、あなたと、あなたの後の子孫に、あなたが寄留している地、すなわちカナンの全土を、永遠の所有として与える。わたしは彼らの神となる。
(出典:創世記 17章8節「永遠の所有」)
ここでいう「カナン全土」は、現在のイスラエル、パレスチナ自治区、レバノン南部、ヨルダン西部、シリア南西部あたりを指す。また、「神」とは天地を創造したといわれるヤハウェのことである。「子孫」とは、のちにイスラエルの民と呼ばれることになる集団を指す。その後イスラエルの民は、王国の分裂と崩壊、捕囚や再編を経て、主にユダ族を中心とする集団がユダヤ人と呼ばれるようになった。
また、「パレスチナ」は歴史的・政治的な呼称であり、確定した国境線を持たない。一般には、古代カナンの中核部に重なる地域で、現在のイスラエルおよびパレスチナ自治区を含む範囲を指すことが多い。
こうしたことから、ヤハウェ神が述べたこの言葉により、とりわけシオニズム運動が生まれた近代以降、パレスチナはユダヤ人にとって母国として意識されることになった。創世記が書かれた時代は確定していないが、紀元前に生まれたアブラハム契約から3000年近くが経過したいまなお、物語上の母国が人々の行動に大きな影響を与えていることに驚かされる。
しかし、その驚き以上に不可解なのは、そこに記憶の選好が影響していることだ。実はアブラハム契約は対になるもうひとつの契約があるといわれる。モーセがイスラエルの民を引き連れてエジプトを出たあと(出エジプト)、シナイ山で神と結んだという「シナイ契約」である。出エジプトは創世記に続く物語で、この契約はアブラハム契約と同じころ生まれ、ほぼ同時期に現在の形にまとめられた。シナイ契約の中心条項にあたる「十戒」は、次のように記されている。
わたしは、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した主、あなたの神である。
1. あなたは、わたしのほかに、ほかの神をもってはならない。
2. あなたは、自分のために刻んだ像を造ってはならない。それらを拝み、仕えてはならない。
3. あなたは、主、あなたの神の名を、みだりに唱えてはならない。
4. 安息日を覚えて、これを聖とせよ。
5. あなたの父と母を敬え。
6. 殺してはならない。
7. 姦淫してはならない。
8. 盗んではならない。
9. 隣人について、偽りの証言をしてはならない。
10. 隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、しもべ、はしため、家畜、その他すべてを欲してはならない。
(出典:出エジプト記 20章2–17節)
アブラハム契約もシナイ契約も、イスラエルの民に向けられたヤハウェからの神託である。もし、イスラエルの民が等しくその言葉を聞き入れるなら、その実践において二つの契約に忠実でなくてはならないはずだ。アブラハム契約でイスラエルの民は神から「カナンの全土を、永遠の所有として与える」と宣言され、シナイ契約では「殺してはならない。盗んではならない。隣人のすべてを欲してはならない」との条件を課せられた。
そうであればシオニズム運動はシナイ契約の条件下、すなわち非暴力下でしか成り立たないことになる。この点について著者は前著の『ユダヤ人の歴史』のなかで次のように述べている。
シナイ契約は、律法の遵守を求める。しかも、後述するように、その律法は全人類にとって重要なものであり、イスラエルの民が守ることによって全人類が救われることになっている。ユダヤ人はそのために神から選ばれた。
さらに、後段の「選ばれた」について著者は、「選ばれたので他の民族より優位にあるという意味ではない。」としている。結局、シナイ契約によりユダヤ人は、カナンの地との交換条件のもとで、人類的な重い倫理的責務を引き受ける存在になったことになる。
しかし、とりわけ2023年10月7日にハマスが行ったイスラエルへの奇襲攻撃以降、報復としてパレスチナ側に行われているイスラエルの武力攻撃は、少なくともシナイ契約が要請する倫理的責務から大きく逸脱しているとしか言いようがない。現代のイスラエルの民は、アブラハム契約を拠り所にパレスチナ自治区の領有を主張する一方、シナイ契約が定めた「殺してはならない。盗んではならない。隣人のすべてを欲してはならない」の条件を省みようとしない。
こうした二つの契約の緊張関係を、近代のシオニズムはどのように受け取ったのだろうか。以下の章では、実践的シオニズム、文化的シオニズム、政治的シオニズムという三つの潮流を取り上げ、それぞれがこの緊張にどう向き合ったのかを見ていく。
(二つの契約とシオニズムの問題については著者の前著、上掲の「2025/0611 鶴見太郎『ユダヤ人の歴史』(中央公論新社, 2025)」のなかでも考察した。)
5. 性格が異なる三つのシオニズム運動
本書によれば、1882年に生まれたシオニズム運動は、すぐにはパレスチナへの大きな移民をもたらさなかった。それでも一部のユダヤ人は運動の一環として農業を通じたパレスチナ入植を果たしたそうだ。当時の入植の様子について著者は次のように書いている。
オスマン帝国、次いでイギリス帝国が統治していたパレスチナにおいて、シオニストは空き地を勝手に使ったのではなく、地主から土地を買って入植を進めた。ただし、地主の多くはレバノンやシリアに住む不在地主であり、パレスチナの農民が小作農としてその土地を代々耕していたのである。(…)入植者はそのままアラブ農民を雇用し続けることが多く、実質的な問題はあまり生じなかった。(p.51-53)
このように自らは入植せず、入植を促す思想を通じて活動を主導した人物にレオン・ピンスケルがいる。前述のようにピンスケルは、シオニズム運動の初期にハスカラーに関与していた。
本書によれば、当初は啓蒙と同化によるユダヤ人問題の解決を信じていたが、1881年以降のポグロムを経験したことで転機が訪れる。これによりピンスケルは、ユダヤ人自身による建国を目指す「自力解放」思想を説くようになる。間接的にとはいえ入植で思想を実践するという意味で、このようなシオニズムは「実践的シオニズム」と呼ばれている。
思想に重きを置くこうした活動は、シオニズムに対する概念的なアプローチの拡張をもたらした。ユダヤ人がいずれパレスチナに移住するとしても、「まずはユダヤ人の民族意識や文化の向上を重視する」という考え方が生まれた。アハド・ハアムという人物がこの考えを主導した。著者は次のように書いている。
アハド・ハアムに特徴的なのは、パレスチナ入植は最小限に考え、ディアスポラでの文化的な復興に重きを置いていた点である。1891年に発表した「エレツ・イスラエル〔イスラエルの地〕からの真実」と題した論考では、パレスチナのユダヤ人入植地が経済的に苦労しているだけでなく、現地のアラブ住民の存在も決して楽観視できないことに警鐘を鳴らした。(p.54)
先ほど述べた聖書に記された「対になった二つの契約」からいえば、「現地のアラブ住民の存在も決して楽観視できない」と警鐘を鳴らしたハアムのシオニズムは、シナイ契約に忠実だったように思える。このような活動形態が「文化的シオニズム」と呼ばれたのは、ハアムが文化活動に力を注いだことに加え、聖書や他民族にたいする理解が評価されたからかもしれない。
しかし、こうした思想中心のシオニズム運動はユダヤ人の間に広まらなかったようだ。一方、活動が停滞するなかで、移住こそが重要だと主張する人物が現れる。ジャーナリストのテオドール・ヘルツルである。ヘルツルの考え方は、彼が1896年に出版した『ユダヤ人国家』から知ることができる。下記は本書からの孫引きである。
「同化ユダヤ人」たちは、起源に忠実なユダヤ人たち〔 =伝統的なユダヤ人〕を遠ざけることによって、キリスト教徒市民たちよりも多くの利益を得ることになろう。なぜならば、同化した人々は、政治的な圧迫と経済的な困窮によって住みかと国を転々と追われるユダヤ人・プロレタリアートの、不安を醸し、予測の困難な避けられない競争を切り捨てることができるからである。(p.54)
ヘルツルは、すでに同化しているユダヤ人に同化の維持を勧める一方、「起源に忠実なユダヤ人たち」に移住を呼びかけたのである。その多くは貧しいユダヤ人だった。これについて著者は次のように述べている。
ここに、次章で扱うユダヤ人内部の亀裂を読み取ることができる。当時、東欧や西欧の非大都市圏から西欧やアメリカの大都市に貧しいユダヤ人が多数流入していた。ポグロムや次節で触れる経済構造の変動のゆえである。彼らの身なりはいかにも伝統的で後進的だった。慣習や価値観が西欧ユダヤ人とは相いれないばかりか、せっかく平和裏に暮らしているところに、彼らのせいで反ユダヤ主義が再燃しかねないとの懸念がよぎった。事実、彼らの流入と西欧における反ユダヤ主義の激化は連動していた。移民の急激な流入により排外主義が高まるという、今日でも見られる現象だ。(p.57)
ヘルツルは貧しいユダヤ人の処遇を重視し、東欧での反ユダヤ主義とパレスチナでの排外主義の二つの問題を解こうとしたという見方だ。状況ごとのユダヤ人に異なった行動を促すことでヘルツルは、シオニズムが東欧とパレスチナに及ぼす全体的な問題をまとめて回避しようとした。
ヘルツルの活動に特徴的なのは、ユダヤ人を二層に分け、移住がもたらすそれぞれのメリットを説いていることだ。同化したユダヤ人には貧しいユダヤ人の排除がもたらす利益、移住するユダヤ人には流入人口を下げることで排外圧力が緩和できるという利益である。ヘルツルは実態として二層からなるアシュケナジームを同一の運命共同体として扱うこと自体が、問題を悪化させていると見ていたのだろう。
ヘルツルに行動を促したのは、ユダヤ人のフランス軍の将校がスパイ容疑で逮捕された事件(1894年にフランスで起きたドレフェス事件)だったと言われる。将校でさえもユダヤ人だという理由で逮捕される事態にヘルツルは、ユダヤ人だけがまとまって暮らす国家が必要だと考えるようになったという。
ユダヤ人を二層に分け貧しいユダヤ人だけがパレスチナに移住する手法の根底には、手続きを経て制度的に「ユダヤ人国家」を実現する考えがあったのだろう。それが遅かれ早かれ入植地で問題を起こすことも理解していた。本書にそのことを示す引用がある。ヘルツルが1896年に出版した『ユダヤ人国家』の下りである。
ユダヤ人問題は厳として存在する。〔……〕我々がだれにも迫害されないところに移動して行くのは当然だ。すると、我々が出現したことで、そこには迫害が発生するのである。それは事実であり、たとえどんなに高度に発展した国々においても──フランスが証明するように──この問題が政治的に解決されない限り、今後とも変わることはあるまい(ヘルツル 1991: 8-9)。(p.56)
ここにはヘルツルが、迫害を逃れるための移住があらたな迫害を生むことを認めた上で、政治的にしかこの問題は解決できないと考えていたことが示されている。
こうしたヘルツルの考え方は、肯定的にも批判的にも捕らえることができる。東欧などでのユダヤ人への敵意は、貧しいユダヤ人に向けられがちだった。その敵意がユダヤ人全体に及ぶのを避けるため、貧しいユダヤ人だけの移住に限定した。現実的な解決策を取ったことで、多くのユダヤ人に救済がもたらされた。
一方で、ユダヤ人を二層に分けて対処するヘルツルの手法は、ユダヤ人分断の端緒を開き、身分の固定化を招いたのではなかったか。これを著者はどう見ているか。先の引用にもあるように、「ユダヤ人内部の亀裂を読み取ることができる」としている。一読者としても同じ思いだ。
さらに、ヘルツルの手法は新たな問題を引き起こした。ヘルツルは、ユダヤ人迫害に対する人間的な視点とは異なり、ユダヤ人がパレスチナで引き起こす迫害を道徳的な視点で見ていない。ユダヤ人には利益を説く一方、パレスチナ人が被る問題は政治的に解決できるとしている。本来は内部にある問題を外部に転化している。
ヘルツルは道徳的な問題を政治的解決に委ねたことになる。これは、ユダヤ人の利益のためにパレスチナ人の犠牲を厭わない考え方といえないだろうか。ここには、文化的シオニズム活動が持ち得た「シナイ契約」を遵守する姿はない。ヘルツルは「隣人の家を欲する」自分を省みていないと思うからだ。
こうしてヘルツルは、ユダヤ人に救済と分断をもたらすと同時に、パレスチナ人の犠牲を政治的に扱う、つまりパレスチナ人を政治的決定の対象と見る、新たな緊張をシオニズム運動に持ち込むことになった。緊張を解くには政治的な合意が必要になる。こうしてヘルツルは、自身が考えるシオニズムの実現に向け、世界各地の要人を訪ね歩き、主要国からパレスチナ移住の承認を得る活動に奔走するようになる。その政治的なアプローチから、ヘルツルのシオニズム運動は「政治的シオニズム」と呼ばれている。
こうして1900年初頭のシオニズム運動を概観して思うのは、その発生から十数年の間にシオニズムはその中身を変え、最終的に現在につながる政治的シオニズムの原形を生み出した変転の早さである。その流れは大きく三段階に整理することができる。括弧内はそれぞれのシオニズムを主導した人物である。
1880年代 :実践的シオニズム(レオ・ピンスケル)
小作などの代理人をパレスチナに置き、自身は入植せず彼らとのつながりを重視する。
1890年代初頭 :文化的シオニズム(アハド・ハアム)
パレスチナへの入植は最小限にし、当時の移住先での文化的な向上に重きを置く。
1894年以降 :政治的シオニズム(テオドール・ヘルツル)
ユダヤ人の状況に応じて同化と移住を区別し、政治的にパレスチナ移住を実現する。
シオニズムが誕生して150年、しかも啓蒙が解放に転じ、政治性をおびるまでに15年も要していない。その変転には、ロシア政府やフランスによるユダヤ人に対する排外的な扱いが関係している。一方、移住先の人々からすれば、ユダヤ人の特殊性がそれを招いたことになる。その軋轢の克服がユダヤ人自体の分断を招き、パレスチナへの入植に向けた政治的な決着を促すことになった。
こうしてシオニズムが身に付けた政治性は現在に引き継がれ、アメリカとの強い政治的なつながりのもとで、武力によるガザ攻撃とパレスチナへの制度的な入植をもたらしている。それでは、テオドール・ヘルツルが拓いた「政治的シオニズム」はいかにして攻撃性を持つようになったのだろうか? 
6. 暴力性を持つに至った宗教シオニズム
本書の「第6章 シオニズムと宗教」に「宗教シオニズム」「宗教シオニズムの過激化」の項がある。そこには、宗教シオニズムとは、「シオニズムがメシアの到来による救済と救いを早める」ユダヤ教の考え方であることが示されている。ただし、ユダヤ教徒すべてがそのように考えるわけではなく、現在の宗教シオニストの数はイスラエル人口の22%ほどだという記述もある。だが、その勢力がパレスチナと国際社会に極めて深刻な問題をもたらしている。
「宗教シオニズムの過激化」の記述でとりわけ印象に残るのが、シオニズムの推進でメシアの到来が早まると説くシオニストの言説と行動の強度と、そこでは「パレスチナやイスラエルで起きるあらゆることが宗教シオニズムの体系や物語に回収されてしまう」、という著者の指摘である。例えば次のようことだ。
パレスチナ人の土地に勝手に家を建てる以上は、当然パレスチナ人からの抗議がある。その結果命を落とすこともある。だが、こうして死んだ仲間や家族に対して、神の意志と捉える解釈が登場するのである。死者の遺志を引き継ぐべく、殺害現場近辺に新たな入植地が建設される。その際に聖書等の文言が参照されることがある。例えば、「主はその僕らの血に報復し/苦しめる者に報復して、その民の土地を贖われる」(申命記32:43)。
その一方で、彼らの語りのなかで、パレスチナ人(彼らの言葉では「アラブ人」。(…)) は、常にテロリストなどの残虐な敵としてしか登場しない。(p.226)
パレスチナへの入植でユダヤ人が犠牲になれば、復讐として土地を奪う権利がある——そうした主張が聖書の文言で正当化され、行為が引き継がれる構造を支えている。同時に、すでに述べたように聖書の出エジプト記には、「隣人のその他すべてを欲してはならない」とする神との契約が書かれている。いずれも聖書に準拠しており、聖書の記述には矛盾があることになる。
確かに、聖書の記述にはしばしば矛盾が見られる。しかし、矛盾した記述が具体的な社会問題を引き起こす場合、判断を「保留」するのが宗教的態度ではなかっただろうか。とりわけユダヤ教がそうだったはずだ。その例として、「アブラハム契約」と「申命記」をWikipediaの「ユダヤ教の終末論」$ ^{3)}にあてはめると次のように要約できないだろうか。
ユダヤ戦争でエルサレムにある第二神殿が崩壊したあと、ユダヤ人は「約束の地」を失いディアスポラを生きることになった。土地は〈アブラハム契約〉で神から約束されたものである一方、その回復に〈申命記〉の規定を適用して武力を用いてよいかどうかは、伝統的ユダヤ教のラビたちによって「メシアの時代まで保留」とされた。
Wikipediaの「終末論」に具体的に「保留」と書かれているわけではない。しかし、ここから読み取れるのは「捕囚の救いとイスラエルへの帰還がメシア時代と結びつく」ということだ。つまり、土地の回復はメシアの到来まで保留されている。ユダヤ教のラビたちは、聖書の矛盾を一方の論理で解消することなく、矛盾に直面した際には、行為そのものを抑制する伝統的ユダヤ教の態度を取ったと言えないだろうか。
このようなユダヤ教本来の慎重な態度を反証とするまでもなく、宗教シオニズムは聖書の教えや教義に無頓着に思える。意識的に遠ざけているのかもしれない。ユダヤ教が帰依するはずの聖書の記述が、外在的な事情に応じて都合よく利用されている。そこでは、多くの先進国やキリスト教世界では当然の政教分離の規範も伺えない。過激化した宗教シオニストからは、宗教的な正当性を口実に、パレスチナへの武力攻撃を正当化する者も現れる。その現状を著者は次のように書いている。
2022年以降のネタニヤフ政権で閣僚を務めるユダヤの力党のイタマル・ベングヴィルや宗教シオニスト党のベツァレル・スモトリチといった宗教シオニストの影響力は増している。彼らはガザも含めて本来ユダヤ人のものだと考えていて、入植地拡大を後押ししている。
キリスト教世界では政教分離が当然のこととなって久しい。もちろん多くのユダヤ人のあいだでもそれはなかば常識にはなっており、ベングリオンも神権政治の復活は避けようとした。だが、ユダヤ教の主流では政教分離の議論は進んでおらず、宗教シオニストの教義にも政教分離は存在しない。その点では政教一致を原則とするイスラームと国家の関係に似た特徴がある。(p.229)
ここに記されているイタマル・ベングヴィルとベツァレル・スモトリチは、いまではネタニヤフ政権を特徴づける過激派の閣僚として知られているが、それ以前から二人は過激な行動を取ってきた。
ベングヴィルは、イスラム教の聖地である聖域(神殿の丘)で幾度となく、ユダヤ教の礼拝をするという宗教的な挑発を行っている。$ ^{4)}イスラム教徒がベングヴィルの礼拝を非難するのは、1967年の第三次中東戦争以降、神殿の丘は「非イスラム教徒の訪問は可能だが、礼拝はイスラム教徒のみ」という国際的な合意の下で管理されてきたからだ。イスラム教徒からすればイスラエルの閣僚による礼拝は、国家の力でパレスチナの聖域をユダヤ化しようとしているように見える。
一方のスモトリチは、「パレスチナ人というものは存在しない」と度々公言し、パレスチナの存在そのものを否定することで、行動による実効支配の拡大を進めてきた。問答無用のパレスチナ人否定である。こうした主張は、2023年10月7日のハマスによるイスラエルへの攻撃の以前から行われている。一連の発言をスモトリチは、聖書の真実として語っている。$ ^{5)}
二人に共通するのは、いずれも聖書を引き合いに言説や行動を正当化していることだ。その主張はネタニヤフ政権の閣僚になったあと、むしろ勢いを増している。こうした行為において、二人は役割を分担しているようにも見える。ベングヴィルが宗教的な挑発でイスラム教を無効化する一方、スモトリチは行動でパレスチナの実効支配を進めているところがある。
こうした発言や行動に国際社会は反発している。ネタニヤフ首相は批判をかわすために「彼らの発言は政府の公式方針ではない」と釈明しているが、連立政権を維持する必要からだろう、対応は不十分に終わっている。あるいは、ネタニヤフ首相には別の理由があるのかも知れない。日本で2025年11月に公開された「/bitMovies/2025/1205 アレクシス・ブルーム監督『ネタニヤフ調書』」は、ネタニヤフ氏が彼らと連立を組んだ背景に、ネタニヤフ一家をめぐる汚職事件を隠蔽する動機があったことを示唆している。
聖書がこれほどに政治利用され、国家の暴力を引き出すようになった発端には、前出のテオドール・ヘルツルの政治的シオニズムがあった。ヘルツルは、ユダヤ人のパレスチナ移住のために政治力を持ち込んだ。それが過激な宗教シオニズムと結びつき、およそ130年あまりを経てパレスチナ人に7万人を超える犠牲者$ ^{6)} を生むことになった。はたしてヘルツルはこのような未来を予想しただろうか。
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7. 戦争犠牲者より醜聞に敏感なわたしたちの意識
ハマスがイスラエルに奇襲攻撃をかけた2023年10月7日以降、世界中のメディアがその惨劇を伝えてきた。ガザに対する攻撃と2年以上にわたる継続的な破壊は、普遍主義や排外主義とは次元が異なる戦争暴力としか言いようがない。ヘルツルが意図したパレスチナ入植への政治的な合意とは裏腹に、実態として破壊の継続を許す国際的な放任が起きている。
なぜ、このような事態になり、なぜ止められないのだろうか? その理由として、以前から二重規範や国際法からの逸脱が指摘されてきた。惨劇の背景にそうした要因があることは、これまでに見た神の名のもとでの暴力の行使や、公然と「国際法は必要ない」と言い放つトランプ大統領$ ^{7)}の言動からも明らかだ。むしろ、規範無視の継続こそが権力者の証になっている。2026年現在、権力者の外側に追いやられた条項や規約は、まったくの無力と化している。
しかし、人間社会の規範は社会ルールだけにあるのではない。社会規範は人間の内心から生まれた。このため規範は道徳や倫理との関連で扱われ、古来から哲学のテーマとして多くの思想家の間で議論されてきた。理性と道徳は不可分であるとしたカントの倫理学や、戦争は人間理性への反逆だとした『永遠平和のために』$ ^{8)}などはその典型だろう。
政治的決定もまた選挙や法律などの社会ルールに基づくため、道徳や倫理と不可分の関係にある。トランプ政権はアメリカ国民によって選ばれた共和党の党首であり、白人中間層の支持を受けている。その点で投票は規範のなかにある。一方で支持層は、景気回復や物価対策、不法移民の排除などへの期待からトランプ氏を支持した。その支持票は期待感への見返りとして、道徳や倫理の領域にある。
ネタニヤフ政権に対する支持も、それが期待や受益意識と結びつく点で似た関係にある。政治的には支持か不支持に別れるが、そこには支持者側の受益者意識がある。受益者意識は損得の感情として、公正/不正、道徳/不道徳などの日常意識と結びつきやすいのは前述の通りだ。
また、ネタニヤフ首相やトランプ大統領自身も、そうした意識から無縁ではない。前述の『ネタニヤフ調書』が示唆するように、ネタニヤフ首相一家は葉巻きやシャンパンの収賄を隠そうとしたといわれ、トランプ政権はエプスタイン・ファイルを黒塗りにして隠した。$ ^{9)}
こうした身内に向けられた不当な利益は、いったん白日のもとに晒されると人々に強い関心を巻き起こす。それが例えやっかみや羨望からであっても、ウソが生んだ不平等に人々は敏感だ。非難する側もされる側も不正に敏感であるように、道徳や倫理から完全に自由な者はいない。善人も悪人も、深層では倫理でつながれている。
このように私たちは、国際社会で起きている惨劇よりも不正行為に目を向けがちだ。データで見てみよう。
Google Trendsでアメリカ全土を対象に、ガザの問題とエプスタイン問題を調査すると、下図の結果が示される。ガザ情勢全体への関心を示す「Gaza」は一定の関心を保っているが、特定の時期、例えばエプスタイン関連の機密資料公開などが話題になる局面では、「Trump Epstein」への関心度が急上昇する。
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しかも、「Gaza conflict」や「ガザ地区」に話題を絞り込んだ途端に関心度は激減する。全体としてみれば、ガザの惨状への関心よりも、権力者の醜聞に敏感な傾向が現れている。
ここに問題解決の鍵があるのではないか。倫理観の欠如が問題だというのではない。見え方や見る意識が私たちの倫理観の在り方に大きな影響をもたらしている可能性がある。
8. イスラエル市民の証言による「見えない隣人」の実態
こうした「見え方」と倫理の問題は、現在のイスラエル/パレスチナ問題にも当てはまるはずだ。私たち日本人には想像しにくいことだが、どうやらイスラエルの多くの市民はパレスチナの現実を十分には知らない。全く知らないというのではく、見え方の影響を受けている。情報量が少ない上に選択的にしか情報を得ていない偏りがあるように思える。
「見え方」でパレスチナ問題が歪められているということで、政府や軍部がそのような情報操作をしているといいたいのではない。その問題はあるとしても、市民感情の方が見え方の問題に陥っている可能性がある。
それを裏付ける資料として、下記の二本の映像を取り上げてみたい。いずれも文字通り「見えない隣人」をテーマにしたものだ。イスラエル人監督、パレスチナ人プロデューサー、NHKによって共同制作され、2025年5月と10月に放映された59分のビデオ映像である。2025年1月現在、NHKオンデマンドで観ることができる。
・BSスペシャル「Human Animals 見えない“隣人”」(2025年5月9日放送)
・BSスペシャル「Blind Spot 見えない“隣人”」(2025年10月3日放送)
このうち「Human Animals」は、4人のイスラエル市民(士官のラッパー、海の好きな物書き、主婦、ダイビングスクール経営者)が、スタジオ内でインタビューに答えて自身の考えを述べたものである。もうひとつの「Blind Spot」は、イスラエルの家庭で交わされる家族の会話と、友人と庭でピザパーティーに興じる仲間うちの会話などを収録したものである。
そのなかから、ここではパレスチナとの交流経験ある個人に着目し、「Human Animals」に登場するの4人のうち「海の好きな物書き」の中年男性の証言を取り上げてみたい。インタビューではディレクターとのやり取り以外に、当時ガザ北部にいた15歳の少女と彼女の姿が挿入され、証言の途中で彼女が書いた文書が手渡される。手紙の内容も取り上げる。
なお、もとの映像では4人へのインタビューが編集でクロスカットされているため、下記では「海の好きな物書き」氏(以下、「証言者A氏」と記載)へのインタビューを抜き出し、カットごとに時系列でまとめて記載した。また、文章は番組画面に示された日本語和訳を、できるだけ忠実に書き写したものである。いくつかの言葉については文中に( )で注釈を加えた。
・証言者A氏による証言内容
海が好きで、暇さえあればクルージングしています。好きなものが違うのは、結婚生活が長続きする秘訣かもしれない。
私は物書きで理想主義者なので、良い結末を好みます。私にも、アラブ人と和解できるかもしれないと思った瞬間もありました。1999年、ヨルダン川西岸にゲストとして招かれ、アラファトと握手したのです。街を一緒に歩き、行政とも話してロマンチックな気分でした。2000年に第2次インティファーダ(注:パレスチナ人による蜂起)が始まる前、ガザに行ったこともあります。ホテルを見て回り、工業団地の共同計画を聞いたりして、でも・・・今は共存なんて考えられません。私たちか彼らか、住むのはどちらかです。
この状況を、私は一瞬で理解しました。ある種のホロコーストを、実際に経験しているのだと。
ハマスに襲撃された村を訪ね、ガイドから彼の母親の話を聞きました。母親はテロリストに捕まり、ガザに拉致されそうになったそうです。銃撃があり、テロリストはその場で殺されました。彼の母親は、重傷を負いながらも逃げることができました。這って庭にたどり着き、自宅のドアを叩きました。家族はシェルターに隠れていて、「お母さんよ、扉を開けて」と言いました。しかし、家族はテロリストを恐れ、扉を開けませんでした。決して扉を開けないよう周知されていたのです。ついに彼女の義理の息子が、3発しか残りの弾がないなか、扉を開けました。隠れ家を探していた母親を呼び寄せ、シェルターに入れました。血まみれの服を脱ぎ、裸のまま孫たちと並ぶ姿。
この話から思い浮かべるのは、アウシュビッツです。アウシュヴィッツに連れてこられたパレスチナ人は、地下の広場に入れられ、服を脱がされました。絶滅収容所でのユダヤ人の最期の姿は裸でした。一人ひとりに物語がありますが、数分後には全員、ガス室で殺されます。裸のまま子供を抱く母親など、一人ひとりを思い浮かべると、私はたまらない気持ちになります。(注:泣き始める)これがホロコーストの真実です。ホロコーストの物語です。無視することはできません。
(映像:手渡された文章を読む姿。)
この文章を声に出して読むのは、不快ですね。誰が書いたのかもわかりませんし、文脈も不明です。私たちは道徳的な国民です。ユダヤ人は本当に道徳的です。いま渡された文書が、何を意図しているのかわかりませんけど。
(ディレクター:その文書はガザ北部にいた15歳の少女の証言です。)
それにはきちんとした検証、メディアや軍部の科学的な検証が必要でしょう。この証言の背景には、我々を陥れようとする意図が感じられます。暴力のための暴力は、われわれのDNAにはありません。われわれの文化に、殺りく者としてアラブ人を殺すなんてものはない。動物にもないのに、われわれにあるわけがない。私たちにあるのはよい生活への情熱、そして平和への情熱です。私たちは授乳のときから、毎日そう教えられてきたのです。他人を意味もなく、殺すなんてことはあり得ません。
10月7日はパレスチナに、第二次ナクバ(注:パレスチナ人の大災厄)をもたらすでしょう。まず、ガザは少なくともそうなるでしょう。私たちにはアメリカがついています。ヨルダン川西岸はこれ以上ユダヤ人を殺害しないこと、入植地でもどこでもです。もし彼らが殺害を続けるなら、そこでも第三次ナクバが起きるでしょう。去るのは彼らです。悪いのは、私たちなのか彼らなのかということです。
(ディレクター:ガザで殺された数万人をどう考えますか?)
本音で答えていい? 十分じゃないね。私はガザをまず駐車場に変えるべきだと思います。全てを壊して、塩をまくんです。作物一つ育たなくなるように。一つの家も残してはなりません。ガザの住人が人間に戻るには、動物ではなく、人食い人種でもなく、10月7日の虐殺を支持する者を、一人として残してはなりません。殺人者、人食い、強姦や放火、10月7日の惨劇を支持する人々。自分で調べていないので聞いた話ですけど・・・そういう人は一人として残してはなりません。ガザは破壊されつくすべきです。もちろん、子供や無害な赤ん坊の命を奪う必要はないけど。
(ディレクター:すで遅くないですか? すでに多くの子供たちが殺されたと言われています。)
私の考えでは、一人も無実の人は殺していない。
(映像:ガザ地区が破壊されるビデオを観る様子。)
ナチスはジプシーを焼き殺しましたが、ユダヤ人は焼き殺しませんでした。ユダヤ人はナチスにとってジプシーよりも優れていたのです。ユダヤ人はガスで殺され、ジプシーは焼き殺されました。パレスチナ人はそれを、我々にやったのです。10月7日のイスラエルの映像を全く見ることができませんでした。私はホロコーストのガイドをするため、当時のつらい映像を見ていましたが、10月7日以降、見られなくなったんです。ガザの映像より遥かに辛いと分かっているからです。
・パレスチナの少女が書いた文書の内容
手渡された文書の内容は明示されていないが、ディレクターに「読んでいただけますか?」と促された士官のラッパー氏は、次のように読み上げている。
去年5月、兄が爆死しました。運ばれてきた時、兄は棺に入れられていました。彼は18歳でした。ショックで叫びました。兄なしの人生は輝きません。
兵士が去った後、一度は避難場所に戻りました。去年10月6日、再び逃げようとすると、突然兵士に囲まれました。戦車が私たちに向かって攻撃してきました。身を潜めましたが、砲弾が地面を直撃。隣にいた母が吹き飛ばされました。私は母を抱きしめ、ただ、最後を見守るしかありませんでした。
その後、叔母の家でも砲撃され、爆風で私たちは吹き飛ばされました。この時、兄弟3人が殺されました。自分の身体の下半分が見えず、顔が焼けるように熱かった。私は病院に運ばれる間、兄姉についてたずねましたが、みんな「大丈夫」としか言いません。レントゲンで足の負傷が分かり、顔も火傷していました。何度も兄姉のことをたずね、朝9時「彼らは亡くなった」と告げられました。
証言のなかでA氏は、1999年にパレスチナでアラファト氏と握手した経験を話している。アラファト氏はパレスチナ解放機構(PLO)の議長を長年務め、パレスチナ自治政府の初代長官になった政治指導者として知られている。1994年には、イスラエルのラビン首相らと共に、ノーベル平和賞を受賞した。
証言から、かつてはアラブ人との和平を願っていた理想主義者のA氏が、10月7日のハマス攻撃により、「ガザは破壊されつくすべき」と考えを急変させたことがわかる。急変をもたらした直接的な原因はハマスの奇襲攻撃だが、A氏はその災難をガイドの母親の悲惨な状況に当てはめ、そこからかつてユダヤ人が受けたホロコーストやアウシュビッツの経験を自身のなかに引き出し、話しながら泣き出すほどの感情から現在のアラブ人への憎しみを語っている。
A氏にとってガイドから聞かされた母親の話しは、あくまで他人から聞かされて話しであって彼の経験ではない。ホロコーストやアウシュビッツのガイドを務めたと述べてはいるが、彼が実際にそれらを体験したわけではない。また、少なくとも証言のなかで、ガイドが話した内容の信憑性には触れていない。
一方で、ガザの少女が書いた文章には疑いを抱き、「メディアや軍部の科学的な検証が必要」だという。その理由として、自分たちは道徳的で平和を愛し、意味もなくアラブ人を殺すことなどないからだと述べている。
A氏の証言には明らかな問題意識の不均衡がある。話しの信憑性や実体験のことではない。他者から聞いた自分たちの災難には強い憎悪を示し、自分たちが他者に与えた災難への指摘は受け入れようとしない。自分側と他人側に対する問題意識に、強い非対称性がある様子が見て取れる。先の「見え方」から言えば、A氏は自分たちに起きたことを懸命に見ようとする一方、ガザで起きていることは見ようとしていない。道徳的だと自認するA氏が、相手側の少女が書いた文書から目を背けるのは、不正を隠しながら正当性を主張する権力者と同じ心情からに思える。
ここでは4人のうち「海の好きな物書き」のA氏の証言だけを取り上げたが、彼らの証言には類似点が多い。下記は必ずしも全員に共通して述べているものではないが、次のような発言がとりわけ印象に残った。
・自分は公正で寛容で道徳的な人間だ。
・自分は他人を愛し悲しみを共有できる。
・われわれは暴力や殺人を行わない。
・イスラエルのパレスチナへの攻撃は公正だ。
・パレスチナ人との共存はできない。
・ハマスの奇襲がホロコーストやアウシュビッツに重なる。
・少女が書いた文章は読みたくない(注:士官のラッパーだけが読み上げる。)
・ディレクターが用意したガザの様子は見たくない。
・SNSですべて見て知っている。
・ガザの子供の遺体や廃墟の映像は、イスラエルでは流れない方が都合がいい。
・自分を保つために、感情を持たないようにしている。
・パレスチナ人は低級で異なる生物だ。
・ガザよりイスラエルの方がひどい状態だ。
これらのうち「ガザの様子は見たくない」は4人に共通している。彼らはガザやパレスチナの状況を見せられることを嫌がっている。そのビデオには、10人は下らないと思われる子どもの死体が映っている。それを見ようとしないのは、彼らがいうように、彼らが道徳的で他人を愛するからだ。見ないことによって彼らの道徳観を維持しながら、彼らが公正だという武力を容認している。
その結果、犠牲者数対比で60倍にも及ぶ、7万人を超える犠牲者がパレスチナ側にもたらされた。その犠牲者のなかには、彼らが読みたがらない文章を書いた少女の、母親と姉たちの遺体がある。しかも、コンクリートの瓦礫の下にである。全体として4人は、道徳性や倫理観が働いていない状態に陥っていると思えるが、それが彼ら自身には意識されていない。
おそらく、彼らがビデオやSNSで見たというガザの姿は、わたしたち日本人が国内メディアで見聞きするガザの姿とは大きな隔たりがある。「Human Animals 見えない“隣人”」に挿入されるガザの様子や証言者に示されるビデオは、死体にボカシはかかっていても、私たちがニュースやSNSから見聞きしているものと大きくは変わらないと思えるからだ。
一方で、二つの映像でイスラエル市民が口にするパレスチナ人/アラブ人への憎しみの言葉は、日ごろ私たちが思い描くイスラエル市民の姿を超えているように思える。私たち日本人にとって、パレスチナは見えやすく、イスラエル市民の心情は見えにくい。イスラエル/パレスチナ問題をめぐる実態の見え方は非常に不均衡で様々に偏りがある。その偏りがプラスにもマイナスにも極端な意識を生み、あるときは関心の薄さを招き、あるときは強い武力行使に正当化をもたらす。その結末として、不可視の犠牲者が増え続けていると思えてならない。
9. 「見え方」を歪める構造的な二つの壁
イスラエル市民の生の声は赤裸々であると同時に、番組が言う「見えない隣人」の存在をあらためて浮き彫りにしている。だが、見えないのは心情だけではない。見えなくする物理的な存在もある。イスラエルとパレスチナを隔てるいわゆる分離壁である。壁の長さは、ガザ地区では60km、ヨルダン川西岸地域では700km以上に及ぶという。高さは8〜9mほどある。$ ^{10)}$ ^{11)}
分離壁の直接的な目的はパレスチナ側からの侵入やテロを防ぐことにあるが、簡単には往来を許さず視界を遮る点で、「見ようとしない」内心を外部から囲い「見えなくする」、二重の隠蔽をもたらしている。
分離壁の実態として、先ほど取り上げたビデオの後者「Blind Spot 見えない“隣人”」に、展望ポイントからパレスチナ側を望遠鏡で眺める場面がある。遠くから望遠鏡越しに眺めるガザやヨルダン川西岸地区は、身体的な実感を欠いた遠い世界の出来事、他人事に映ることだろう。一方、パレスチナ側からしてみれば、占領され監視される精神的な苦痛を感じさせるはずだ。
壁の向こうにはイスラエル人/パレスチナ人それぞれの世界がある。それが分離壁により、お互いの中に知らない世界を生み出している。こうした状況でもし、イスラエル側からパレスチナ側に入ったとしたら、そこには何があるのだろうか?
その関心のもとで作られた記録映画がある。2025年8月に公開された、川上泰徳監督の『壁の内側と外側—パレスチナ・イスラエル取材記—』がそれである。取材は2024年7月にヨルダン川西岸地区で、iPhoneなどの小型機材で行われた。
この映画については、「/bitMovies/2025/1212 川上泰徳 監督『壁の内側と外側』」で言及している。あらためて読み直すと、「見え方」の問題と重なる部分が多い。重複を恐れずそのことを追記しておきたい。
パレスチナ側の映像には当然のように、学校や家をブルドーザで壊し強制的に入植を進めるイスラエル関係者の姿がある。イスラエルの人々はそれを制度化された公務として、淡々と行っているように見える。ガザで見られる軍事力による破壊と瓦礫の風景はない。しかしそこには、軍事力で破壊する圧倒的な力の誇示とは異質な、不治の病を宣告された土地を見るような悲痛さがある。
しかし、その崩れ行く土地を生きるパレスチナの子どもたちの姿は、私の想像を裏切るものだった。人々が激しく傷ついているというのではない。「子どもたちは破壊行為を怖がり脅えている」と話す男達の脇で、カメラに目線を送る子どもらの表情はむしろ明るく屈託がない。カメラを向ければ肩を並べて笑い顔を返す。子どもを抱いた母親の表情にもどこか余裕がある。
もっと悲惨なパレスチナ自治区を想像していた私にとって、それは別の意味で衝撃的な映像だった。単に想像を裏切られたというのではない。家や学校が破壊される日常のなかで子どもたちは、壁の向こうから来た外来者を受け入れている。屈託のない表情の下にある無防備な信頼の眩しさにたじろいだ。子どもらが放つ光を見失っていたのは、私たちの方ではないか。見るうちに自分の暗部が照らされる思いがした。
そしてあらためて、カメラを手に壁を越えていく川上氏の眼差しを思った。相手をよく見ることで問題を乗り越えて行けるという、見たものを信用する記録者の姿に気付いた。いまとして思えば、川上氏のこの視点は、「見え方」の問題を解く行為そのものだ。やはり私たちは現実をよく見る必要がある。見ることを内心で閉ざしてはならない。閉ざそうとする内心と、仕組みで閉ざす外部の壁を超えていく必要がある。
しかし、外部に立ちはだかる構造的な壁はコンクリートの分離壁以外にもある。教育における壁である。この15年あまりイスラエルの大学では、工学・情報系の学生数がおよそ1.7倍に増えている。一方で、社会科学や宗教学などの人文系の学生は横ばいで推移している。OECD全体で見ても、イスラエルで人文系の教育を受ける人の割合はOECD平均の72%、理系教育を受ける人は112%と大きな隔たりがある。
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とりわけこの長期推移は、イスラエルの高等教育における理工系の偏重がイスラエルの教育方針であることを物語っている。しかも、イスラエルの理工教育は軍事的な要請と密接にかかわっている。その教育が政府や軍部の期待のもとにある以上、この実態は技術の高度化を通じて戦力の高度化をもたらし、戦闘を長引かせ犠牲者を増やすことにつながっているだろう。
反対に、人文系の教育を受ける学生数の相対的な少なさが、倫理的・法的な思考や判断の機会を減らし、考え方の幅を狭めていることが懸念される。人材や機会が減れば、パレスチナの状況や暮らし、人々の思いや文化に対する理解は不十分なものになりかねない。このことは結果的に、イスラエルとパレスチナの間に異文化理解の壁を作ることになる。教育の偏りが「見え方」をのものを縛り規定してはいないか気掛かりだ。なお、このイスラエルにおける教育問題については、「2025/1028 大治朋子『「イスラエル人」の世界観』(毎日新聞出版, 2025)」で詳述した。
教育における壁の問題は、『シオニズム』で著者が指摘する「シオニズム運動を推進するメンバーにはほとんど女性がいない」にもつながっている。人文系教育=女性の分野とは思わないが、女性は社会を構成する性の半分を占めている。その性を排除した人文系教育から生まれる思想や活動は、どうしても特定の価値観と視点に偏りがちだろう。公平な「見え方」を実現するためには、イスラエルとパレスチナの間にあるさまざまな障壁、〈個人の内的な壁〉〈分離壁〉〈教育〉を、ひとつづつ取り除いていく必要がある。iPhoneを手にした川上氏の取り組みはそのひとつだ。
10. 国際社会が果たすべき取り組み
シオニズムがもたらした問題の解決に向け、国際社会が果たすべき役割は多い。働きかけや交流をともなう「ケア」もそのひとつだ。『シオニズム』の後半で著者は、ユダヤ人、パレスチナ人双方に対し、国際社会はケアを怠ったのではないかと、次のように問うている。
一度そのような未曾有の犠牲が発生したときに、無傷の周囲は果たして十分なケアを差し伸べたのかということである。自分たちの身を守れるのは自分たちだけだという物語が確立してしまう前に、周囲は打てる手を打ったのか。そして、そのような物語が確立してしまった後に、周囲が打てる手はあるのか。(p.200)
実態として、国際社会はユダヤ人虐殺で故郷を失うことになったパレスチナ人へのケアを十分に行ったとは言えないだろう。とりわけ、ポグロムで先行した東欧諸国はユダヤ人へのケアを行ってこなかった。そのなかで西ドイツは、ホロコーストへの謝罪として国家間の賠償に止まらず、個人への賠償も行ってきた。補償は戦後何十年にも及び現在も継続されている。$ ^{12)}
しかしその後、ドイツの反省は「アメリカに勝るとも劣らない擁護を展開」するまでに発展し、現在では厄介な問題を引き起こしているとして、著者はつぎのように指摘している。
ジェノサイド研究者ダーク・モーゼスは、ユダヤ人をドイツのなかの異人種ではなく、ドイツの重要な一部として捉える歴史観とともに、イスラエル批判を反ユダヤ主義と同一視する傾向が現在のドイツで強くなっていると指摘する。つまり、ホロコーストによるユダヤ人の犠牲は、まるで戦後ドイツ再生のための尊い犠牲であったかのように位置づけられているのだ。異人種を排除したことが反省点なのではなく、ドイツにとっての特別な存在を排除したことが悪かったという理解だ。(p.207)
イスラエル批判(国家への批判)と反ユダヤ主義(民族・宗教への批判)は混同されがちだが、ここで著者が指摘しているのは、現在のドイツでは、かつて人種差別によって排除されたユダヤ人が「ドイツにとって特別な存在」として再定義され、その延長線上でイスラエル国家への支持や称揚が行われている、という問題である。
これでは、ユダヤ人へのケアがパレスチナ人の排除と同義になってしまう。ケアも一筋縄ではいかない。このような形でケアが本来の姿から逸脱するのは、国家によるケアから政治を切り離すことが難しいからだろう。
こうした問題もあり著者は、「関係性としてのケア」のなかで、そもそも「ケア」とは何かを問い次のように答えている。
自立的に物事を判断していく「正義の倫理」に対し、「ケアの倫理」は自己と他者のあいだで揺れ動きながら逡巡する姿勢を指す。
正義感は理想像の押し付けにより、とかく二極化や対立を招きがちだ。対話的な働きかけは逡巡し理解に時間がかかる。その揺れ動く時間を共にすることこそがケアをもたらすということだろう。これは他者に限らず、自分との対話にも当てはまるはずだ。即席の回答はどこにもない。
11. 「カナンの丘 未来への記憶館」を構想する
この「ケアは自己との対話を含む」に促されて、本稿の締めくくりに、私も自分なりのケアを示しておこうと思う。国際政治や中東問題とは無縁の一読者として、国際的なケアについては納得できるケアを思い描くことが難しい。しかし、『シオニズム』の感想としてはいささか脱線した「見え方」の問題は、東欧旅行や映画を通じて多少なりとも実感できる部分がある。本稿を書き進めながら、見え方の断絶を回復する展示館を夢想した。
戦争を記録した展示館は多いはずだ。そう思い調べたが統計資料が見つからない。GPTに尋ねたところ、日本国内には「戦争・平和関連の博物館・資料館が少なくとも数十館以上存在すると推定される」、世界全体では「国別カテゴリだけでも50近くの分類があるなど、数百〜千を超える可能性がある」との回答が得られた。その多くは戦争被害を記録したものではないかと思う。$ ^{13)}被害の実態を知ることは、戦争を起こさない意識を保つことにつながる。それは戦争と自分の対話を促す。
とはいえ、その対話は記憶の再生で終わりがちではないかと思う。おそらくそれは、被害者の言葉に比べ加害者の言葉が少ないからだ。現在のイスラエル/パレスチナ問題と向き合うには、被害者と加害者の双方から事実を聞き現実を知る必要がある。過去の記憶をつなぎ止める展示よりも、現実を正しく知るための認知と認識へのアプローチが重要になる。事実の共有こそが、対話のはじまりにつながると思う。
このような思いを形にするための、見え方を修復するための展示館は作れないだろうか。その思いを実現する形を、〈カナンの丘 未来への記憶館〉と名付けたいと思う。
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〈カナンの丘 未来への記憶館〉設立の趣旨    
この〈カナンの丘 未来への記憶館〉は、イスラエルの人びととパレスチナの人びとが、互いの現実を見つめ、対話の可能性を探ることを願い、2026年1月に建設されました。
世界各地には、戦争を記憶する多くの記念館があります。そこでは遺品や写真、証言を通して、戦争がどのように行われ、人びとの生活や尊厳をいかに破壊してきたかが示されています。それらの展示は、過去の悲劇を記憶し、同じ過ちを繰り返さないための大切な営みです。
しかし、イスラエル/パレスチナの状況は、いまなお終結していません。この地では、「記憶」と呼ぶには早すぎる出来事が、現在進行形で積み重なっています。そのため本館には、戦争遺品や惨禍を直接示す展示はありません。ここにあるのは、過去の「記憶」ではなく「記録」です。
本館が展示するのは、本来であれば誰もが互いに見ることができたはずの風景です。分離壁がなければ、同じ空の下に広がっていたはずの土地の姿。さまざまな理由によって見ることが困難になった風景を、可能なかぎり忠実に記録し提示しています。風景だけの展示は一見すると静かで、説明を欠いているように見えるかもしれません。しかし、風景は言葉よりも長く意識に残り、立場を越えて人びとに直接語りかけます。
現在は、過去の積み重ねの上に成り立っています。そこで本館では、1948年のイスラエル建国を起点とし、紛争が終結を迎えるであろう未来の年(2XXX年)までを一本の回廊として表現しました。回廊の左側にはイスラエルの歴史、右側にはパレスチナの歴史が配置され、床の中央には、両者に共通する時間軸が描かれています。未来へと進むにつれて、左右の展示は次第に境界を失い、時間軸は床から徐々に浮かび上がるように構成されています。それは対立を越えた未来が、まだ不確かでありながらも、現実の延長線上に存在することを示しています。
どうか、時間軸に沿って回廊を歩き、左右の風景を見比べてください。同じ時刻に、おなじカナンの丘で何が起きていたかを、静かに感じ取ってください。現実を丁寧に見つめることから、対話は始まります。この場所が、来館者のみなさん一人ひとりに問いを生み、新たな対話と交流へとつながることを願っています。
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構想末尾に置いたイメージは、上の構想説明の文章をGPTに与えて生成したものである。この構想は、先に触れたNHKの番組「Blind Spot 見えない“隣人”」を観て思い付いたものだ。番組の最後に、約7分に要約した歴史の振り返りがある。重要な年代ごとに、次のような構成で短い動画が配置してある。
1948年:建国直後に起きたナクバ。70万人以上のパレスチナ人が土地を追われ難民となった。
1967年:第三次中東戦争、1988年のパレスチナ国家樹立宣言前後にインティファーダ(パレスチナ住民による抵抗運動)が起きた。
1994年:パレスチナ自治開始にともなう騒動の勃発。
2000年:銃撃戦で12歳の少年が犠牲になる。
2008年:ガザ地区での大規模な軍事衝突が起きる。
2009、2014、2018、2021年:年を追うごとに激化する軍事衝突と犠牲者と遺体。
2023年:10月7日のハマスによるイスラエルへの奇襲攻撃。
この7分間の映像に、私たちが日ごろ見落としてきた「隣人」の苦悩や、積み重なった歴史の重みを思わずにいられなかった。戦いの非対称性があまりにも残酷だった。そして、イスラエルとパレスチナの市民はこの映像をどう見るだろうかと想像し、おそらく彼らは、このような形で歴史を振り返ることはなかったのではないかと思った。できなかったのだと思う。
歴史とその出来事を見ずして対話は生まれない。限られた情報、選択的に知った情報で公正な合意に至ることはできない。著者は「国際社会の問題として考える」で、「生まれつきシオニストだった者など一人もいない。」と書いている。その通りだ。
これまでの文脈に則していば、証言者A氏のように2023年10月7日まで、パレスチナとの共存を願ってきたイスラエル市民も多くいたことだろう。しかし、その市民さえも奇襲攻撃の後では、「ガザは破壊されつくすべき」へと転じている。彼は7分間の映像を観てどう思うのだろうか。
A氏は「Blind Spot 見えない“隣人”」の7分のような映像を見たことがなかったと思いたい。そして、観ることで、理想主義者だった自分を振り返ってくれたらと思う。〈カナンの丘 未来への記憶館〉はその願いを拡張したものだ。
一人でも多くの人が歴史を振り返り、「見え方」を拡げ思いを更新することで対話を開き、シナンの丘の人々が共存する未来が訪れてほしいと思う。鶴見太郎氏の『シオニズム』が私の内面にその思いを呼び起こしてくれたことに心から感謝し、本稿を終わりとしたい。
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1)Wikipedia: 国別のユダヤ人人口
2)朝日新聞:「両親殺害の背景にあった「教育虐待」 大学進学後も暴力、正座、罵倒 佐賀県」
3)Wikipedia:ユダヤ教の終末論
4)BBC News:Israeli minister sparks anger by praying at sensitive Jerusalem holy site
5)TEH TIMES OF ISRAEL:「スモトリッチ氏はパレスチナ人は存在しないと言い、自分の家族は「真のパレスチナ人」だと宣言した。」 2023.3.20.
6)OCHA(国連人道問題調整事務所)は、2025年10月7日時点の死傷者数として、パレスチナ71,391人、イスラエル1,200人以上としている。割合では、71,391:1,200=59.5:1.0になる。
7)日本経済新聞:「 トランプ氏「国際法は不要、従うかは定義次第」
8)Wikipedia: 『永遠平和のために』
9)ロイター:「エプスタイン文書、さらに100万件か 黒塗りで公開に数週間も」
10)Wikipedia: 分離壁
11)Wikipedia: ヨルダン川西岸地区の分離壁
12)Wikipedia:第二次世界大戦後におけるドイツの戦後補償
13)梯久美子『戦争ミュージアム——記憶の回路をつなぐ』(岩波書店, 2024)は、日本国内にある14ヶ所の戦争関連の展示館を取り上げている。
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