外から見た2022
書く内容と目的
何をどういった流れでしていたかを書くだけ。それによって自身の行動量、パターンや傾向性を明らかにしたい。
思考の根拠や論理のつながりとか、そういったものを検討することは都度の選択には影響を与えられても、傾向性の発見にはあまり寄与しない気がするので今回は取り上げない。
時系列
1転
2022年、2月末まで量販店の販売員をしていたのだが、退職。肉体労働はゴメンだ。
当時は金がすべて消えるまで何もしない予定(特に失業保険受領が終わる9月までは)だった。2年程度を見込んでいたのだが…。
1~4月はメイプルストーリーをかなり熱心にプレイしていた。その他はアニメを流し見したり、ナニワ金融道とか読んだりしたくらい。とは言えゲームへの熱量は並々ならぬ物があった。
意識していたこととしては、過度に人とコミュニケーションを持たないようにすること。
特にネットでの通話はあまりにも惰性的すぎる退屈とその解除の反復となるので、それを避けることで意識と感覚をシャキッとさせていた。考えたいことが多かったので。
2転
2022/4/30 投げられた猫ちゃん、庭にネコチャがおり二ヶ月の間猫奴隷となることに。生活の余裕(退屈、無意味さ)みたいなものはありつつも、その間毎日24時間、2時間に一回ミルクを調合し授乳、ケツを叩いて排泄させるという育児のつらさを味わう。 記事中では里親見つからなかったら連れて行くしか…となっていたのだが、ンニーは結局ガッツリワクチン打って実家でのんびり暮らしている。
貧困が故引っ越し時連れてくることも叶わなかった上、本人が寂しがりな性格なためQoL的に実家で太く生きてくれたほうが良いとの判断。
それもあってか5月から6月末までやる気も出ず、思索するだけ。to be or not to beみたいな状態。そこからなにかするならどういう経路によってか?とかを延々考えていた。今もまだ。
3転
事が起きたのは7月中頃。失業保険の実績活動作りとして、飲酒しながら転職サイトで楽そうな物を適当に申し込み、ヘラヘラしながら面接とか受けてたら受かってしまったというわけ。
11月末からようやくメイプルストーリーや読書に手を出せるようになったかなと言うレベル。
まとめ
激動の時代。生活観と可処分時間が二転三転したとは言え、以下を主にやっていた。
やっていたこと
・メイプルストーリー
・アニメ
・読書・思索
・散歩・外食
・集団飲酒・カラオケ
・インターネット(動画・配信・文章)
・パシコン学習
ため
やっていたことリストを見るとそれぞれに発散と蓄積という、いわば為になるorならない的な傾向の違いがありそうだが、それらも結局は質的な違いではないと思う。そのことを自分を騙す必要があるで考えていた。今後はその2極を脱構築して生きて行くわよ。 今後のやること
東京でやったことといえば、散歩と対人関係(カラオケ飲酒)くらい。これらは楽しいが、再度楽しめるようになるまでの貯め時間が必要となる(飽きと体力)。こういったいわば季節的なサイクルを持った楽しさというものを第一において、それ以外の習慣的な趣味を定めていくほうがより良いように思う。
とはいえ全てにサイクルはある。どれがより大きな視点から見て旬かを考えるというだけ。思い出だよ じゃあ何が旬なのか?将来仕事を辞めて無職になるというビジョンが見えているので、関東近辺を散歩したいよね。そのためのお金と時間を確保しつつ…。
上述の”旬”な楽しみが思い出志向であるとすると、継続性のあるコンテンツ(あるいはそれを考える/行う以外しょうがない)という方向性、別の向きがある。
読書・思索はその向きがある。
これら2つの方向の半ばで緩衝地帯となっているのがメイプルストーリーなのかも。
一方でこれらの趣味が「どういったタイミングでどれだけの強さで求められるか」というのは安定した生活をしている人間にしか見出し得ないわけで…
そういった実際的な次元では上述の思い出ベースでの楽しい方は難しく、継続ベースになるのはやむなしか
継続性のコンテンツと疲労と飲酒
それに伴い体力も気力もない。「なんというか、つかれてまして…」。
何が問題か?「何もしない」のではなく「何も出来ない」だけになるということ。
「何もしない」というのは回復に努める(=労働力の再生産)とは根本的に異なる。
瞬発力!
(サルトルの弁証法的理性批判に言及しつつ)人がスピードをキメながら書く時、何が起こっているかご存知ですよね! キメてる本人は「なんて素晴らしいんだ!」と思っています。他の人達はどう思ってるんでしょうね……。
逆に、何も出来ない(しないのではなく)よりは、発奮しようというワケ
スピードはまぁ手に入らないし割に合わないから使えないけど、飲酒もアッパーなのでそういう感じある(人による)。
陥っている状況によって考えられない(出来ない)なら、そういう方法しかない。
風呂入って脳のスイッチを内省モードにした後、カーーーっと行って、みたいなのは手段として良いかも
リオタールの批評を巡る批判の議論にパンチ食らって終わりという話もあるが、リビドーからみても上の方が良いのであればそちらを選ぶしか…
応用として思い出活動へ向かうためのブースターにもなる
とはいえ、その状態が理想というわけではないということは本当にそう
環境の変化と生活の固定
生活の様式とサリエンシーの解除を考える。
諸々の生活を作業とするということ=違いを認めない反復としての労働の範囲を拡大する
意識の俎上に上がらないようになるまでが、余力と退屈を作り出すためにかかる期間となる
手順としては
先に意識しないで済むようなパターン化を推し進める
その後にそこに意味や価値を再発見していく
という順序で行うほうが無理がなくて良い。
実際の生活のパターン化は形成されるまで二月程度かかった。10月から派遣先(=やること)が変わり、ようやく今頃(2022/12/30)になって家事のルーティンが完成されてきた感じ。
この生活の固定化がされていないと計画とか建てようがない!
今になってようやく「今日は何をして、週の目標としてこれを…」といった計画が建てられるようになってきたという感じ。
現時点だと生活は今年度、つまり3月末まではこれが固定されている。どうするか考えるべき。実はもう決まっているので実施するのみ。
今後も変わるのでそれを見越して体力温存と計画作成の時期を分けて考えるようにしたい。