自分を騙す必要がある
という概念。
最近動画、配信等に身を委ねられる程のものがないので、配信しつつゲームとかをしていた。配信していないとやる気になれない。これはこれで問題ではある…
配信をしていると、誰が見ていなくとも何らかの進捗が生まれやすくなる。ゲーム然り、調べ物然り、当scrapbox然り。 そういうふうに様々な迂回手段を用い、自分を騙してやっていく必要がある、みたいな話を聞くことあり。(やっていき概念が奴隷根性という問題は置く)。でもそんなことだけで人生乗り切るの不可能すぎ。
見立てによってやっていくということの呪いを解くために
本題
直感的な反発
騙されるというより、騙しているような感覚が嫌。
何を偽るか
進捗を楽しむためには配信しなくちゃ。←楽しむの感覚を偽造できないか画策している。
あ~面白/おもんな かった。そんじゃ。(規則)
別の語彙(経路)で
おもしろおもんな、どちらも語る時点である種の良さであり、真実味がある
独言のひどい、病的な姿だとしても良さはあるよ
思い出されるもの、思い出すもの
思い出される経験は思い出す事を内包しているという狂った気持ちに実は皆がある
生存した者にとってだけの価値ではない。ただ価値は弱まるだろう。
あ
外的な目的ではないものを求めているはずなのに、その主従が逆転している状態が直感的な反発の原因なのでは
言い訳ではなく、外的な目的へのコミットを楽しいものとしているだけである。厳密に言うと騙すとは異なる。俺は騙す側。だけど騙されるおれは騙されることなんかありえない。常にリアル。なぜならその楽しさは騙されて感じるものではありえないから。
騙せていない。あるいはその騙しという操作は、純粋にへたくそ。たのしいことをしんけんにかんがえてみて。
冒頭の違和感の元はこのウィトゲンシュタイン的な言語、意味論に通じる。ウィトゲンシュタインは私的な言語が誤っていることはあり得ない(が故に語る意味がない)的なことを言っていたような。して
つまり、楽しさというものは語るべくものではない。言い訳なんかとは無縁なものである。
進捗が良いからここで書いている、というよりここで書くことが進捗よく、快いと見るべき。
操作にあたって
分け隔てないこと。
感覚は対象としない
対象と する/しない の基準は存在しない。それがウィトゲンシュタインにおいて重要だったこと。
それってあなたの内的な現象を指す語りから独立して存在し得ない蓋然性に類する語りですよね。
よく見ることしかできない
言いたいことってそれだけしかないけど、飢えたことがないから
記録(airtag)があればめちゃくちゃしてもいいのか?
その観点で言うならば、こちらも間違っているのか?
Airtagをケツに埋め込むことは、それによって導かれる行為と埋め込みそのものが分かち難いが故、間違いではない。それによって選択が可能となる
とはいえ、そういった記録や配慮を根拠に暴れたとしても、将来苦しむのは自分や社会なのだし、なんとか己をそういった”まとも”な行動と結び付けないといけない。
運命(宿命)と繋げなければいけない
自分を騙すこと2
語ることの出来ないものとして、手元に置くこと
飢えを見逃さないこと
逆説的に、喜びとして飢えを手元に置くための唯一可能な手段
人間って注意だけしかできないのかも。
人間関係も、金も、執着対象も
欲しいなと思ったらその対象をよく見ること。ほしい表象がどこにつながっているのかも。
良いものに繋がってるんだったら、良いよね。
岩…?
https://gyazo.com/b75daee433fc4dbd95a50d916bf0ddd5
すげ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~煽り。「承太郎は短命だったな」より強いかも
岩でもありうる
でもmouii.iconも岩になることもできるのかも
ただ一切は過ぎていくって言うフレーズもあるし、そうしないほうが良いと思うということもある
であるが故に見ること・楽しむこと・苦しむことから距離も置ける
正気のままの接続地点は今のところこれが限界かも
対象を広げることで区別が不可能となる地点
判断できなくなるのではなく、全て共有不可能な判断となる
この経路(考慮)を経なければ行けなかった