経済学再考
経済学とは、主にお金の流れから社会がどう動くのかを理解する学問である。
お金のことを考えないのであれば、社会学である。
そもそもなぜお金が必要になるのか?
まずは、お金がない世界を考えればよい。
誰かに何かを頼みたい時(労働かもしれないし、その人の所有物を譲ってもらうことかもしれない)には、その人が自らの意思で「したい」と思わないことをやらせる以上、通常は対等価値以上となる報酬が必要である。その報酬として何を渡すかが問題となる。
対等価値とは「それをするのは損だ」から「それをするのは得だ」と考えを変える点(損益分岐点)の価値のことである。
お金がない世界では、報酬は精神的なもの(幸福感とか)か、あるいはお金以外の物質的なものを渡す(物々交換)しかない。
実際の所、精神的なものも、物質的なものもほぼ満たせない。相手にとって等価値となるものを提示することは困難である。
物の価値は人によって異なる。
相手が欲しいものを常にこちらが持っているとは限らない。
お金がない場合、米や塩など、「(必ずしも自分が必要なわけではないが)数多くの人が欲しがり、すぐに別のものと交換可能と考えられる物」がお金の代替品として使われるようになる。(仲立ち物)
ただし、実際にはその場で決済されることがなく、貸し借りで記録されていたというのが歴史的に証明されている。
現代社会では社会規模が大きくなり、個人間の貸し借りで記録・決済することが極めて困難であるため、貨幣(もしくはその類似物)が必要とされている。
お金を「貨幣」という特殊な財物にする利点
誰でもそれが同じ価値を持つことが保証される。(誰にとっても1円は1円分の価値として理解される。)
何でも好きなものを選んで購入することが保証される。(配給制、クーポン制、物々交換では好きなものが選べない。)
保存性が高い。腐らない。(放置しても減価しない)
貯めることができて、好きなタイミングで使うことができる。
確実に計量することができる。
秤が不要である。秤が正しいことを確認する必要がない。
偽物を作るのが困難である。(勝手に増やせない。)
必要なだけ分割して利用することができる。(物はバラバラにすると役に立たなくなることがある。)
お釣りをもらうことができる。
携帯することができる。(財布に入れて持ち歩ける。)
貨幣本体がなくても、数値として取り扱うことができる。(証券に数字を書き込めば、数字だけの価値を持つ)
いきなり「貨幣」を作っても、それがそれ自体で価値を持つならばそのまま流通させられるが(例えば金貨など)、そうでないならば、何らかの方法でそれに価値を付けて流通させるしかない。
法的に徴税を貨幣で行うことにすることで、貨幣に価値の裏付けをするという説がある。
この場合、そもそも徴税に足る収入が先になければ成り立たないので無理筋と考えられる。
法的に給与支払いを貨幣に限定させることで、貨幣に価値の裏付けをすることができる。
最初は、兌換紙幣のように「交換可能な財物」を裏付けとするのが一般的と考えられる。
ほとんどの貨幣は交換されずそのまま流通するので、裏付けとして使用される財物の量は実は供給制約とはならない。(これは金本位性の崩壊で明らか)
仮想通貨は裏付けなしで流通したが、これは「将来、値上がりする」「将来、一般的な通貨として使われる」という期待そのものが価値となったと考えられる。
一度貨幣による市場が形成されれば、その市場そのものが貨幣に価値を付けるので、兌換である必要性はなくなる。