認知バイアスを自己反省すること
自分にはバイアスがあると言うことは変ではないけど
そのバイアスの方向を自分で知っているというのはなんか矛盾した感じがする。「彼の身長は165cmだと思うけど、実際はもっと高いはずだと思う」というような
これはどちらも現在形の「思う」だから奇妙に聞こえる
ムーア文
彼の身長は165cmくらいに*見える*けど、遠近法を考慮するともっと高いはずだと *思う*
自分で「自分は自信がない」って言うとか、「自分は何でもネガティブに捉えてしまう」とかいうのはムーア文っぽい
もし自分が特定の方向に偏っていると思うなら、整合性を保つためには自分がもはやどちらの方向に偏っているかわからなくなるまで信念を改定するべきなのでは
ただし、エラーマネジメント理論みたいに、Pと思って¬Pであるときのコストと、¬Pだと思ってPだったときのコストが違うから、自分が偏ってると自認しつつそこを直さないのはある意味で (実践的・道具的に) 合理的である、っていうことはありえる
I would rather err on the side of XX
偏りといったときに、「みんなの平均的意見にたいして私はこの方向に偏っている」というのはへんではないけど、「真理と比べてわたしはこの方向に偏っている」というのはへん
証拠が示す方に対して、私はこの方向に偏っている、というのも変ではないかもしれない (事前確率が人とは違うのかもしれないから)
認知バイアスは錯覚の思考版と言われるけど、錯覚と違って、バイアスを記述する側も記述される側も同じ思考というものなので扱いがむずかしくなってる
正確には認知バイアスだから個々の事例じゃなくて一般的な傾向だけど
たとえば人の見た目が与えられたときに身長を推測するというタスクを (何回も行うことを) 考える
自分が体系的に身長を低く見積もる傾向がある (自分の予測した結果をまとめた平均身長が、実際の平均身長より低い) と知っているなら、いつも予測に+1cmとか+2cmすることで平均的な正確性が上がるのでは。
ここでの正確性の基準は平均2乗誤差とか?
値というより確率をアップデートすることを考えたほうがいいかも
確率だったら正確性の基準は対数尤度かな
認知バイアスを訂正するときに過剰訂正になる懸念もあり過小訂正する懸念もあるけど、ならどれくらい訂正すればいいのか。
「自分がどの方向に偏っているのか知っているということは不整合である」というルールに従えば、「自分が過剰訂正しているという確率と、過小訂正しているという確率がちょうど一致するようなくらい (その時点で自分がどちらの方向にバイアスがあるのかが もはやわからなくなるようなくらい) になるまで訂正するべきだ」と答えることができる?
認知バイアスを記述できるメタ確率論
認識論理、認識確率論