親権
2018年の記事
サブタイトル:親権を擁護する〔追記: この話のテーマは親の子に対する権力のことであって、法律上の親権とあまり関係がない。なんとなく@todeskingや@amnktsr氏が親権廃止みたいなこと言ってるのに逆張りして作った記事だった気がする。いま考えると逆張りする対象がニッチ過ぎて逆張りする意味がないのでは。あとそれらの人は帰結主義に立っていないのであまり反論にならなそう。この記事は、カーティス・ヤーヴィンの奴隷制擁護論を親子関係に応用しようとしてた (?!)。〕
能力・適性に加えて責任 (関心の一致、内部化) が権威を正当化するとすれば、なぜ、親よりも適性があるであろう他人(大学教授とか?※)よりも親が子に対し権力を持つのかを説明する
〔追記2024/10/23: ※明らかに大学教授に子育ての適性はない。言うなら尾木ママとか? …と思ったら尾木ママは大学教授だった。専門家は知識を持つけど適切なインセンティブがないみたいなノリの (カーティス・ヤーヴィンを読んでいたときに) 話をなんとなくパクってきて変なこと書いてる。〕
Inspirated by
「時点間契約」論法による正当化
子供が未来の自分自身について十分な決定ができないのであれば、未来の自分に対する危害を避けるため、その時点では親に未来の子供自身についての所有権を持たすことは問題ないのではないか(物が未来にあるだけで所有しているのは今)
ここで未来の自分は自分自身から守ってもらうインセンティブを与えるため仕送りを転送する
時間選好は親の余命に依存
親権を弱めるより養子制度を柔軟にするのが良い?
(しかし1.能力や適性、2.責任 の両方が必要なら、多くの親は(2)を満たしても(1)を満たさないかもだけど)
親孝行
は(暗黙の)投資契約の履行か?単なる身内びいきか?(親なんかにコスト支払うより、アフリカとかに寄付したほうがいいのか?)
親の余命にも依るが、親に送る仕送りがあることで親に対し、子供の長期的な利益を考慮して権限を行使するインセンティブが与えられるように思う(そして親から子への援助はほぼ投資みたいになる)
したがって余命が長く長期的な視点を持った親は、自己利益に従うとしても、子供に適切な教育を受けさせるインセンティブを持つ
〔追記: 出世払い?〕
扶養義務についても、そのような議論が可能
繰り返しゲームでなくても、あたかも繰り返しゲームであるかのように考えることで理解が深まることがあるのかも(cf. 誘惑される意志) じっさいは繰り返しゲームじゃないのにそんな感じの協力が発生するのは色々な人間行動に共通のことかも
個々の人間にとってはそうではなくても、ミームにとっては繰り返しゲーム?
の擁護になるだろうか
〔追記: 無理そう。仮に親孝行することで子への投資という習慣のインセンティブがつけられるというメリットがあるとしても、アフリカに寄付することを上回る効用はないだろうから。〕
親の権力を、「親が子を所有するようだ」といって批判する人が居るが、この議論はまさにその所有権的な構造(内部化)によって、親権を擁護するものである。
国がやるのとの比較
インセンティブや単一障害点、局所最適解などの観点からは親の勝手でする方を擁護できるが、どうせ子供に選べるわけではなく親に競争が働くわけでないという意味で、自由の観点からは中央集権と大差ないと言える。
しかし、育て方などのミームが受け継がれる過程で競争が働くという点で、たくさんの親に権力が分散した方が局所最適の可能性が低いかもしれにあ。
親権の度合い、親の融資額や余命に応じて変えるといいのでは
でも老人って気が長いし余命に応じて短期眼的思考が高くなったりはしないのでは
正当防衛が自分の財産や家族に限られるの、赤の他人への防衛がありだと正当防衛の連鎖が成立しうるからなのかな
But my money would be on a simpler hypothesis. Every marriage involves conflict. The traditional concept of gender contains two roles that are divided in a time-tested way to minimize conflict as much as possible. In a perfect-spherical-cow sense, either the husband or the wife could step into either role, and it would still work just as well. But since men have been socialized for one role since childhood, and women socialized for the other role, it seems that in most cases the easiest solution is to stick them in the one they’ve been trained for.
分業が確定してないと「どうせ相手がやるからいいや」って両方が思って、結果的にコモンズの悲劇が起こり協力行動が減少するってのもconflictの一種かな
親権売買
権利と適性が一般には一致しないことについては、
自分や自分の財産については多くの人が同意するだろう。
ではそれはなぜかといえば、1つには、自分が悪い決断をすれば自分が最も困るからで、栄養学者は仮にダメな結果が出ても損をしないからフィードバックが不十分(評判に傷はつくかも?)。とか、さらに、栄養以外の総合的な観点(費用とか)を考えるインセンティブを持たない、とかではないか。
〔追記: ブレナンが言おうとしているのはたぶんそういう帰結主義的なことではない〕
栄養学者とそのように自発的に契約したなら強制できる、というのも、自分が悪い契約をしたらフィードバックが返ってくるから
親権後見統一論
社会学者が、「家族は本来は社会の責任である社会問題を個人の問題にしてしまう」と言って非難してた。うん、社会は巨大だとは言っても、いやだからこそ責任主体になりにくいってことは、人がいっぱい居る都市でこそ犯罪や怪我が放置されやすいってことからわかるだろう。それには「どうせ誰かが助けるだろう」って気持ちがあるわけだ。で、「自分しか救えない」って状況を人工的に作り出すって点では、家族制度によって社会問題を個人化するのは、実は解決の第一歩なんじゃないか。むしろ、どんどん社会問題を個人化できる方策を考えていくべきなんじゃないか。と思った。