自発的な契約に基づくパターナリズムの案
(2024/9/3追記:
本題の前に、背景として、まず パターナリズムが正当化されるかもしれない理由について書いておく。
公共選択論では投票や政治家・公務員の行動のような政治的行動と一般人の経済的行動 は同じ人間像に基づいているべきだとする、behavioral symmetry , methodological egalitarianismという考えがある。
一見、以下の2つの点で、政府のパターナリズムはbehavioral symmetryと整合しない (意図された目的を達成しない) ものに思える:
1) パターリズムを行う主体が、通常の消費活動をする人より合理的でない限り、本人にとって良い決定を強制するという結果をもたらすことができない (単に知識のある人が情報を付与する (ラベリング) だけではなく、販売を禁止する (医師免許制、処方箋が無いと買えない とか) べき というのは、消費者は無知であるだけでなく、不合理であると仮定しないと成立しないことに注意。情報の非対称性によって禁止が正当化されるわけではない)。
だから、民主主義国家でのパターナリズムはせいぜい、多数の国民より合理性が低い人、たとえばヤク中とか認知能力が衰えている高齢者とか子供とかを自分自身から保護するのに使えるにすぎないのではないでしょうか? もし人がパターナリズムを必要とする程度に不合理だとするなら、その不合理な人間がなぜ適切に国民の利益を考える政治家を選挙で選べると思うのでしょうか?
2) さらに、売り手より法律策定者のほうが善意に基づいていると仮定しないと、規制によって本人にとって良い結果になるということを説明できないように見える。
この点でも (一見すると) behavioral symmetryを破っているように思える。
「人々が不合理/利己的だから政府介入が必要っていうけど、その愚かで利己的な人間に他人に対する強制力という力を与えたところで何を改善できるというの? それともAI支配とかを考えているのかい? もし人が不合理で利己的なら、消費行動を制限するよりも、まず (憲法のように) 強制力の使用を制限するほうがいいんじゃないの?」
消費行動の合理性ない→じゃあ法律で防ぐ→法律制定段階で合理性ない→じゃあ憲法で防ぐ→憲法制定段階で合理性ない→メタ憲法作る→…
不合理ならば厳密な意味で利己的 (自己の利益をうまく追求する行動を取る) とは言えないし、利己的だからって強制が必要になるのは集合行為問題のような状況に限られるので、この文は変
正確には、功利主義的には集合行為問題でなくても、「Aにとって小さいコストでBに大きな利益を与える」行為が利己性のためされないというケースで、強制すると効用が増えるので良いってパターンもあるけど
「集合行為問題を解決するためには強制力が必要だが、強制力の使用それ自体に関して集合行為問題が存在する (参照: 特殊利益団体の問題(マンサー・オルソン)、政治的意思決定に伴う外部費用の問題(『公共選択の理論―合意の経済論理』)) ため、強制力の使用が制限された状態とそうでない状態を比較したとき、前者のほうが効率性が低いとは断言できない」といったほうがいい
((1)について) ところが、人の欲求は時間を通して不整合であり、本人自身にとっても、未来の自分を縛るために制約されていることを望むことがある (例: お酒をやめたいので禁止されている方がいい)。
借金をして遊ぶみたいに、縛る側のほうが短略的な場合もあるよね
もし本人が自分を縛るために投票するという場合は、時間整合性の不在によって(1)に反論できる (もし、実際に消費行動する状況より、投票所では合理的だとすれば。これは疑わしいけれど (Bryan Caplanによればむしろ逆))。
伝統主義者は、behavioral symmetryに対し、「伝統は人間より賢い」というかも
そういうことをしない、良心がある (消費者が長期的な利益を得ることを助けようとする) 売り手は、競争圧力により淘汰されてしまう。
よって、(政府の人間にも、全体最適ではない淘汰圧が存在するかもしれないことを考えるなら、くじ引き政治を取る場合と比較して) 市場の内部で競争圧に服している売り手よりは (くじ引き政治の) 政府の人の方が消費者の長期的な利益を考えた行動をするということは説明できるのであり、政治的領域では人間が突然公共心に目覚めるというような仮定を置かなくても、このような状況で規制が消費者にとって良いものになる場合があることは説明できる。
(同じゲームを公共財ゲームと名付けたときとウォールストリートゲームと名付けたときには協力の比率が変わるという話がたしかカーネマン『ファスト・アンド・スロー』に書いてあった (再現性不明) ので、"政治的領域になると人が突然公共心に目覚める"というのも可能性として無いとは言い切れないけど)
あくまで「場合がある」ということであって、ここでは「人間には多少の良心があるけど、インセンティブにもひっぱられる」という人間像を政府にも経済にもどちらにも適用しているため、パターナリズムの権力を与えられたものが、なんらかの誘惑 (議員献金とか天下りとか) にかられてその権力を乱用することを防ぐものではない。
もし、パターナリズムの成功事例の利益が、そういった乱用より多いなら、パターナリズムの権限を認めることで人々の幸福は改善するだろうというにすぎない。「パターナリズムを認めない」という規範の是非を考えるときは、そういったトレードオフを考慮して総合的に考えると良い。(これは誘惑がいっぱいあるかとか、企業の政府に対する影響など、経験的事実によって変わる。)
くじ引き政治であれば、インセンティブにはひっぱられるにしても、良心を持つものが競争圧力によって淘汰されているということにはならずに、選ばれる人は平均的には一般人口の平均と同じ良心を持っていることになる。
(くじ引きで選ばれた政治家がギャンブルを禁止する、というのは面白い構図ですね。)
投票者は考えなしに投票したことのコストを大して個人としては負担しないため、合理的になろうとしたり、認知バイアスを正そうとするインセンティブがない。
政治家同士の競争を考えると、政治家は人間の不合理性・バイアスを利用してもできるだけ票を増やすように競争圧がかかっている。そういうことをしない良心のある政治家は、競争圧力により淘汰されてしまう。
とも言えるけれど。
また(参照: ヒース『啓蒙思想2.0』、Andy Clark "Economic reason: The interprlay of individual learning and external structure") 、
人間の合理性は制度的な足場に強く依存していること、
企業側は競争淘汰の過程を経て形作られた企業文化により、制度的な足場のもとで合理的に振る舞うことができるが、
消費者はしばしば企業の生み出した不安定な環境 (スーパーマーケットの中とか) で意思決定を行い、制度的な足場をもたずに意思決定を行っている場合があることにより、
企業側は消費者側の不合理性を利用することができる一方、
政府の政策には政治家だけではなく公務員が大きな役割を果たしており、政府の官僚は、制度的な足場のもとで作業を行うことができること、
などから、正面から behavioral symmetry に反論する手もあるでしょう
官僚は高学歴とか、所得とIQの相関がどうのとかで反論することもできるかも
あるいは、人は専門分化することができ、特定領域については高い合理性を発揮することができるかもしれない。ここで、知識が高度であるだけでなく、合理的、バイアスの欠如が必要。
参考: ジョセフ・ヒース、アンディ・クラーク
③他人のための異時点間選択行動の近視眼性・動学的非整合性が強いことから、「本人に代わって他の人に意思決定をおこなわせたほうがよい」という,Thaler ら一部の行動経済学者の処方箋(Libertarian paternalism、近視眼的行動の原因が「自分のことだとどうしても感情的になってしまう」ことであることを前提にしている)は,必ずしも機能するとは限らないことが示唆される.
注:
)
以下本題:
自発的な契約に基づくパターナリズムの案
2018/10/13作成記事:
自分で誓約して(「禁酒する」「朝、散歩に行く」とか)、破ったときには予め契約した人に罰してもらう。
目覚まし時計みたいなパターナリズム機構。(罰は罰金はちょっと微妙か?)〔追記: お金がなくなってもそれで困る事自体が未来に発生するから、先延ばしが食い止められない可能性があるね。まあお金がなくなると現在にも悲しい感情が発生するから十分な気もするけど。〕
民営化されたパターナリズム。
(追記: そもそもパターナリズムというサービス自体は、受益者を絞ることができるので、公共財ではないと論じることもできそう。だから、パターナリズムに税金を使うことは正当化できず、民営化すべきという点から論じることもできそう。ただし、
他の人が罰されていたり、あるいは罰されることを予想してそもそも行為を控えたりすることを見ることで規範が維持され、自分もやろうと思わなくなるという外部効果はある。
パターナリズムを受ける必要のある人が自発的に適切なパターナリズムサービスを選択できるか)
(追記2024/07/16:
Richard Hananiaが同じこと言ってる。
私がいつも信じているのは、減量や禁煙など、あなたが達成したいことをしなければ、企業や他の誰かがあなたを殺す法的権利を持つ契約を結ぶことができるべきだということだ。もしそのような契約が合法的で強制力があれば、友人や家族のために有効であることを人々が知るようになり、すべての社会的病理が解決されるかもしれない。しかし、人々が契約の自由の利点を深刻に過小評価しているため、このようなことは明らかにできない。私がリバタリアンであるのは、良いものを手に入れ、人類の多くの問題を解決できると信じているからだ。しかし、そのためには、すべての人を救えるとか、あらゆる潜在的な被害を防げるという妄想を捨てる必要がある。
リバタリアン以外の哲学はほとんどすべて、最も無責任な人間を守るために自由を制限し、究極的にはすべての人の生活を悪化させる必要があるという信念に基づいている。だから、「痩せなければ撃つ」という契約は結べないのだ。罰則は殺す必要はなく、足を折るとか、公衆の面前で恥をかかせるとかで十分だろう。人生の他のあらゆる分野でそうであるように、市場はさまざまな考慮事項のバランスをとるための最良の取り決めを見つけるだろう。
人が意思の弱さに打ち勝つには、自由を制限する以外にも、逆に幇助殺人の自由を認めるという方法もある!
契約の自由が未来の自分の自由を制限する権利 (殺されるかどうかを未来の自分は選べなくする) である以上、ある種の自由の制限の仕方とも言えるけど。
「痩せなければ自分の恥ずかしい話を公開する」とSNSで宣言するのはできるし、じっさいにそういうことをやっている人も見たことがある。(ただし、それをするためには SNSというそれ自体中毒性のあるものに接続しなければならない。)
さらにパターナリズムについて考えたこと:
国家は全国民に許可証をあらかじめ配り、許可証を持っている人だけギャンブルできるというふうにすればいいのでは?
もし自分の意志の弱さを理由にギャンブルをやめたいと思うのであれば、その許可証を捨てればいい。
つまりセルフコミットメントできる。
これに違反しているギャンブル運営者を検知するのはかんたんでしょう。つまり、じっさいに許可証なしで入れるかおとり捜査すればいい。
麻薬は転売できるのでこの方法がうまく応用できないのが残念だけれど。中で吸えるけどお持ち帰りNG、とでもすればいいかも。
これは上の企業が国家になった以外は同じ。罰を与える主体は企業でも国家でもいい。
)
(追記2024-9-3: Robin Hanson の健康監督者と契約して、健康ステータスに応じて報酬を決定するシステムもいいかも。
一般には、監督者と契約し、実績 (ダイエットなら体重とか) に応じて報酬を決定する。)
2018/10/13:
民間企業には、特に顧客の長期的利益だけを優先するインセンティブは無いが、こういったことも商売として成立しないわけではないだろう。手数料は取れるし。
よりニュートラルなパターナリズム、意志の弱さの克服、を実現することを目指す。
貯蓄のため、銀行と契約して、一定時間のあいだ一部のお金を持ち主にも取り出せない状態にしておく、とかもあるか(一年単位で少しずつ取れるようにする、もしくは老後までとっとくとか)?〔追記: 個人年金にもそのような機能がありそう〕
目覚まし時計は自分に対する強制力としての自由を提供可能
(追記2024-7-16: 以下の話はあやしい。)
一般には民間企業に顧客の長期的利益を優先するインセンティブは無いが、後払い、長期契約、自己奴隷化契約(*1)などの場合にはそのようなインセンティブを持つことになるだろう〔追記2024/7/16: 借金とかなら返せるように導いてやるインセンティブはあるけど、後払い程度では払えなくなるわけではないのであんま意味ない気がする。さらに金銭面の利益以外に考慮するインセンティブがない〕
(*1 何かが自分の物になれば、それに対する行動の結果も、自分の責任になるから(つまり意志の弱さから生じる外部性っぽいものが、内部化され、そいつの短期的な利益関心を誘惑して搾取しても、汚染者負担になる?))
(厳密には外部性ではないだろうが、ちゃんとした条件が成り立った市場取引無しで損失が発生している)
"I do believe that people with IQ 120+ tend to forget about their conjugates with IQ 80- when it comes to estimating the real-world effects of policy"
If there is anyone who would rather have $100 worth of free services than $100, he’s a retard.
意志の弱さの普遍的な存在は国家干渉の必要性ではなく自己奴隷化契約の有用性を示す可能性もあるという謎回答思いついた (追記: これはヤーヴィンの上の記事の内容)
いや奴隷である必要は無いけど
(ヒースの記事はすごいタイトルだが、特に関係はない)
森村が援用しているパーフィット流の還元主義的な人格同一性論に基づくならば、自己の法的人格を他者に譲渡する「自己奴隷化契約」は、人格的同一性が失われた後の将来の自分(=他者)の基本権行使可能性を不可逆的に奪うものである。したがってそれが禁止されるのは、同じ主体の福利を根拠とするパターナリズムとしてではなく、異なった主体についての危害原理の問題としてである。つまり、心理的な同一化ができないほどに遠い将来(または過去)の自分は人格の連続性(パーフィットの言葉を用いればR関係)が途切れている以上、端的に他者なのである。したがって、人格の連続性が途切れた後の自分への危害は、もはや自分ではなく他者への危害として禁止される。http://tkira26.hateblo.jp/entry/2015/12/09/045957 "森村進「還元主義的人格観とリバタリアニズム――吉良貴之会員への応答」への応答" 〔2024-9-7 追記: パーフィットの人格観受け入れたら自由主義かなり崩壊しそうなので、森村がこれを援用するのは不思議。たとえば公的年金の是非とかはどうなるのだろう。〕
逆の回答だ
還元的人格観を前提にすることで、個人内(intrapersonal)での時点間囚人のジレンマ、つまり自然状態が予想されるから(cf. 誘惑される意志)、ゆえに自己奴隷化契約によって、(民間の)リヴァイアサンに服するべきという逆の議論はできないか (といっても、未来の自分に対する害として自己奴隷化契約などを禁ずることも、自分についての意思決定の一部を国家という別の管理者に譲渡することになるのである意味 政府による奴隷化であるから、民間リヴァイアサンと公的リヴァイアサンが入れ替わっただけとも言えるし、単純に逆だとも言えないかもしれないが。)
時点間囚人のジレンマ (= 意志の弱さ) を解決するためには、――人々の間の囚人のジレンマを解決するのに強制的な国家が有効なのと全く同様に――強制的なパターナリズムが有効である。 禁酒クラブなどの民間セクターによる解決を志向したい
問題は、自己奴隷化契約時の主体が、長期的利益に基づいて行う場合が多いのか、短期的利益に基づいて行う場合が多いのか、ということにある。マゾヒスティックな衝動に基づいて自己奴隷化契約するのでない限りは、前者なのではないか?
Joseph Heath & Joel Anderson "Procrastination and the Extended Will"
伊藤賀一氏がパターナリズムの説明 (たしか、スタディサプリの冬期講習だったと思う) で言っていたことだが (例証は彼が挙げたものをそのまま使った) : 主治医は患者の側から簡単にチェンジすることができない。
しかしたとえば通信講座の講師は生徒の側からチェンジすることが非常に容易(競争が働くため)。
その場合、合意なしで決まられた人が被る害が無いため、むしろやることをカチッと決める利益の方が大きい。
ゆえに逐一のコンセントなしに「あれをやれ、これをやれ」とパターナリズムするのはむしろメリットが大きい――
ということがあり、これはパターナリズム(というか強制や命令一般)についての意義深い考えだと思う
→
→これは、公共選択理論の言葉で言えば:
意思決定に関わらない人が被る外部費用を下げるのには、全員が参加し逐一の合意を取る、民主的方式 (外部コストを下げることに特化) が良い。
しかし、競争が働くことによって、意思決定に関わらないことで被る外部費用が既に低いか無い場合がある。
このような場合には、意思決定に複数の人が関わることで生じる指揮系統の混乱などの意思決定費用を下げることを可能にする、権威的方式 (意思決定コストを下げることに特化) が、むしろ有効である――
ということになるだろう。
(意志の弱さを認めたがらない人も多いと思われる、それは私は搾取できますよと公言するようなことだから)
ネットのフィルタリングも民営パターナリズム機構である。(i-フィルターは営利企業ではなくPTAが作っているが…)
〔追記2024/07/16: いくら民営でも親がパターナリズムするのはぜんぜん "自発的" とは言えない。実はこの点は私が考えを変えた部分だ。この記事を書いたときは新反動主義の影響で自由より分権主義を重視していたから、親の権力を国家にくらべ問題視していなかった。〕
先行研究
本サービスは、自己管理を支援するためのサービスです。世間では様々な自己管理ツールが存在しますが、大半は、その気になれば自分自身で解除できてしまいます。そこで本サービスは、「生身の人間に見張られている」状態を作り出すことで、社会的な緊張感を生み出すことにいたしました。それは、弊社が試行錯誤する過程で、「人に見られているかもしれない」という緊張感が、自分を律するのに強い助けになることが分かったからです。これは例えば、自宅ではなくて、わざわざカフェに仕事や勉強をしにいくのと同じです。 https://www.jailer.jp/faq.html (そうか単なる監視でいいのか)
社名 株式会社デジタルデトックス
事業内容 デジタル生活矯正事業
企業が所有により他人の長期的インセンティブを配慮する可能性については:
神を信じているなら、神と契約するのも良いかも。
ジョージ・エインズリー『誘惑される意志』にも、そんな神の話があったっけ。