情報の哲学
確率的相関という意味での情報ということを考えると、知識を文にしたものだけではなく、化石、標本、アーカイブなども情報を伝えている
保存は認識にとって役立つ 認識的行為
(小中学校の学校の資料をたぶん捨ててしまったことは後悔してる)
DeepFakeなどがあることは、エキヴォケーション (equivocation) を上げ、情報を損なう効果を持つ
追記: 同じ考察してるひとがいた:
…In particular, Fallis adopts a Skyrmsian account of how signals carry information (Skyrms, 2010) to argue that the existence of deepfakes significantly reduces the information that images carry about the world, which undermines their reliability as a source of evidence. …
フィクションも現実についての (相関的な意味での) 情報は伝えているだろう。たとえば、昔の作品から当時の時代背景がうかがえる。ただし、その時代の時代背景に関する情報を伝えることはフィクションの意図された目的なわけではなく、副産物に過ぎない (実は意図しない (ミームの) 機能としてあるかもしれない?)。
以下はべつに哲学でもないけど:
→ディープフェイクがあると、人々は映像を動かぬ証拠として信じられなくなり、信頼によるしかなくなり、相対的に信頼を持つ既成メディアの権威は強まるという予想
映像の信頼度がテキストと同じレベルまで落ちる
「スクショと同じくらいの信頼度に落ちる」と言ったほうがいい?
似た話: 政府が消費者保護のために規制を厳しくすると、大企業は規制に従えるが小さな企業が従えず、競争を損ない、消費者にとって悪くなるかもしれない。一方、規制しない場合、人々は知らない店を信頼できなくなり、(たとえば旅行で土地勘がわからない場合や、友達が少ない場合などで) 信頼のあるブランドの大企業から買うしかなくなり、それもかえって大企業の独占力を利し、競争を損なうかもしれない。(販売自体を規制するのではなく、基準を満たさないもののラベリングを義務付ける というのが両方の危険を避ける上でいいかもしれない)
不祥事があったあとで企業の側から信頼性を回復するために規制を求めたっていう事例があった気がする
例. スパムを規制すると、スパムと間違われなくなる人に利益になる
例2. 差別を厳しく取り締まると、差別者と間違われずにセンシティブな話題に言及できるので、差別者と間違われそうなことを言ってしまうが本当は差別者ではない社会性の低い人にかえって有利になる可能性 (ただし、これは取締りを行う側は通常の人より厳密に差別とそうでないものを区別できるという前提がある。そうでなければ差別者と間違われそうなことを言う人はそのまま間違われて取り締まられることになる)
不審者警察理論からすると差別者と間違われやすい人ほど差別者に対して厳しく当たることで自分が差別者ではないというコストリーシグナリングを行う (一方、もともと差別に間違われやすい(けど本当はそうではない)ことをカウンターシグナリング的な振る舞いとしてやってるならそういうことはなく、むしろ差別者に対して寛容な振る舞いをするかもしれない)
例3. 同性愛が取り締まられている地域では、異性愛者の同性同士が同性愛者と間違われずに親密な友愛を表現できているという説 (例2と同様の仮定を置く必要がある)
異性愛が取り締まられている地域では異性同士の親密な友愛が恋愛と間違われずに表現できる
完全に同性愛に寛容な社会ではそもそも同性愛者に間違われたところでなんとも思わない人が多そうで、やはり異性愛者の同性同士が親密な友愛を表現できるはず
Suppose there is a good idea. People will be attracted to it. It will gather momentum. Eventually it will have made all the true claims it can make, but it won’t have used up its hype. Its momentum will carry it forward into making false claims and doing bad things.
After a while, it will get a reputation as “that idea which makes false claims and does bad things”. People will rush to dissociate themselves from it. The dissociation will itself gather momentum. Supporting the idea will look naive at best; more likely it will signal that you’re a predatory scammer. There will be a virtue signaling cascade to compete over how much you hate the idea.
・ Racism exists and is bad. But wokeness has become so annoying that lots of people have antibodies to talking about racism or acknowledging it. Now it’s hard to call out race-related problems without looking like a woke grifter.
Some examples:
・ Cryptocurrency has become an important part of poor countries’ financial infrastructure, so much so that I think it should objectively be considered a huge tech success story. But there have been so many scams and so much hype that people refuse to believe this, and continue to insist it has no possible use cases.
・ IQ is one of the most explanatory and best-replicated concepts in psychology. But everyone is so afraid of being “that guy” who drones on and on about his high IQ that they countersignal by saying IQ doesn’t exist or is meaningless or is just test-taking skills or whatever.
例4. ウォルター・ブロックによる名誉毀損法の分析 (ウォルター・ブロック『擁護できないものを擁護する』)。ブロックいわく、名誉毀損法があるから人が名誉毀損的な情報を信じるのであって(名誉毀損で訴えられるリスクを負ってまで発言しているということは、裁判所で間違っていないと証明できるだけの根拠があるんだろう、と思われるから)、もし最初から名誉毀損を取り締まらなければ、誰も信じない 証拠としての能力=尤度比が小さくなるので、事前確率が低い描写内容の映像は DeepFake である可能性を指摘されることになる
事前確率がそのままということは、(事前確率 = 常識とすれば) 常識側を不当に利する結果になる(?)
つまり確率のアップデートが のろくなる。