高等遊民
例えば、かの夏目漱石もその代表的な人物の一人ですが、彼の小説には、漱石自身の実存的な苦悩を体現したような人物がしばしば登場します。 そのような人々は、当時、総称的に「高等遊民」と呼ばれましたが、これは、日露戦争の前あたりから使われ出した言い方で、旧制中学卒業以上の高等教育を受けながらも一定の職に就いていない人を指す言葉でした。彼らは国家の将来を担うべきエリートとして高等教育を施されたにもかかわらず、卒業しても就職口が飽和していて、なかなか定職に就くことができませんでした。これは当時、深刻な社会問題となっていました。
彼らは、高度な学問を修めたことによって、旧来のムラ的共同体の封建的価値観から脱却し、「近代的自我」に目覚めた人々でした。彼らが実存的な苦悩を抱くようになったのも、この「近代的自我」が導いた必然だったと言えるでしょう。ただし、彼らが「近代的自我」に目覚め、知的に高い存在であったがゆえに、体制側から厄介な存在と見なされてもいたようです。つまり、職に就けない「遊民」である不満が元になり、いつなんどき体制に対して反逆を企てないとも限らない存在として、国家側からは恐れられ、危険視されていた面もあったのです。
泉谷閑示『仕事なんか生きがいにするな 生きる意味を再び考える』
現代で言うところの「大卒ニート」「院卒ニート」等々みたいなものだろうか。
『こころ』に登場する「先生」も財産があり、仕事をまったくしていないから高等遊民ということになるのだろう。 なるほど!