過去の人々の芸術に対する言及
出典不明
「芸術は長く、人生は短し」
ヒポクラテスの「Ars longa, vita brevis.(医術を学ぶには長い月日を必要とするが、人生は短いので怠らず励むべきだ)」より 「芸術ってのは判断を超えて、『何だ、これは!』というものだけが本物なんだ」
「人生は短し、芸術は長し、それは勝手だ。然し、すくなくとも、芸術家自体にとっては、芸術の長さと人生の長さが同じことは当りまえではないか。人生だけだ。芸術は、生きることのシノニムだ。私が死ねば、私は終る。私の芸術が残ったって、そんなことは、私は知らぬ。」
「越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、画である。あるは音楽と彫刻である。(『草枕』)
「僕は画伯だとか先生だとか芸術家とかいう名がきらいだ、元来芸術はある目的に達する一つの方法で、ただそれだけのものだ、それは職業でも、位階でも、名誉でも、地位でも、ない。人間と自然、愛と祈り、憧憬と統一、理解と表現、それが作品で、そしてすべてだ。」
「ユライ芸術トハ、コンナモノサ、譬噺デモナシ、修養ノ糧デモナシ、キザナ、メメシイ、売名ノ徒ノ仕事ニチガイナイノダ、ト言ワレテ、カエス言葉ナシ、素直ニ首肯、ソット爪サキ立チ、夕焼ノ雲ヲ見ツメル。(「走ラヌ名馬」)
事実は、小説よりも奇なり、と言う。しかし誰も見ていない事実だって世の中には、あるのだ。そうして、そのような事実にこそ、高貴な宝玉が光っている場合が多いのだ、それをこそ書きたいというのが、作者の生甲斐になっている。第一線に於いて、戦って居られる諸君。意を安んじ給え。誰にも知られぬ或る日、或る一隅に於ける諸君の美しい行為は、かならず一群の作者たちに依って、あやまたず、のこりくまなく、子々孫々に語り伝えられるであろう。日本の文学の歴史は、三千年来それを行い、今後もまた、変る事なく、その伝統を継承する。(「一つの約束」)
「芸術というのは巨大な夕焼です。一時代のすべての佳いものの燔祭です……」
『暁の寺』
芸術の夕映え。――人が老年において青春を思い出し、追憶の祭りを祝うように、間もなく人類は青春のよろこびの感動的な思い出という関係で芸術に接するであろう。死の魔術が芸術のまわりに戯れているようにみえる今ほど、芸術が深く魂をこめてとらえられたことは、おそらくいまだかつてなかったろう。南イタリアにあったあのギリシア人の都市のことを思ってもみるがよい、そうした都市は、みずから携えてきた風習の上にますます異国の蛮風が勝ち誇るのに対して哀愁と涙にくれながらも、一年に一日はなおそのギリシア風な祭りを祝ったのである、この滅びゆくヘラス人のもとにおけるほど、人がヘラス的なものをよく味わったことは多分なかったであろうし、この黄金の神酒をそれほどの逸楽をもってすすったところはどこにもなかったであろう。芸術家は間もなく一つのすばらしい聖遺物とみられ、前の諸時代幸福を左右する力や美をもっていたふしぎな外来者に対するように、われわれが自分の同類者には容易に与えないような敬意を表されるであろう。われわれにある最良のものは、おそらく前の諸時代の感覚から継承されたものであり、そうした感覚には、今直接の道ではほとんどもう到達することはできない、日はすでに沈んでしまった、しかしわれわれの生の空は燃えていて、日はもはやみえないのに、まだ日にかがやいている。 『人間的、あまりに人間的』