言語化によりエネルギーをかけやすくなる
試食会の続き。「チャンス」という言葉がキーワードになる。短いスパンで二度目のチャンスというのは、悔しい思いをしている直後のために、勢いは付きやすくなるが、また行けなかった時のショックも大きくなってしまう。ちいかわは迷いのない顔をしていた。ここがちいかわの凄い所。やるときはやる男。鎧さんが残した「チャンス」という言葉。鎧さんが残したということは、上からの言葉であり、これの意味もある。ここで言語化が行われたため、またその言語化をハチワレが連呼することでより定番にさせたために、そこに心的なエネルギーを集中させやすくなっている。ここでいくんだという勘所を言語化により掴みやすくなっている。ここでの「チャンス」という言葉は多義的な意味を含んでいる。「次が来る」「次は行くんだ」「次は行きなよ」「ここだ」とか。そしてここぞという瞬間に、ハチワレがチャンスと言うことにより、それがハチワレの後押しとなり、ちいかわが一人では越えにくい、自分の心的な障壁を越えやすくなっている。定番化するというのはつまり、ちいかわとハチワレの間で、「チャンス」を共通に保持する言葉にするということである。これにより、いざという時に「チャンス」という言葉がちいかわに作用する言葉になる。こういう土壌がハチワレの「チャンス」連呼により作られている。ただ、ちいかわの心が折れ切っている場合、戦意を喪失している場合は「チャンス」は逆にプレッシャーになる。結局、ポジティブであろうとネガティブであろうと「チャンス」という言葉がもたらす作用は同じなのだ。それは「押す」という作用であり、進もうとしている人には「押す」はポジティブなものになるが、そこに留まる、もしくは交代しようとする人にとって「押す」は抵抗となるということだ。話し手の言い方が聞き手に影響を与えるということもあるが、聞き手がどういう状態でいるかということの方が大きいであろう。鎧さんはちいかわ達からみて、タテの関係に位置する。タテの関係は『ちいかわ』において重要なモチーフであり、他にもラッコ先生、栗饅頭パイセン、期間限定であるが島編の島二郎などがいる。タテの関係がもたらす効果は多様だが、一つに「知恵を授ける」ことがある。年長者は人生経験により若者が持たない知恵を授けることができる。ここで鎧さんが導入している知恵は時間軸である。つまり未来という視点を若者に授けている。皮肉なことに、客観的な未来は若者が持っているにも関わらず、主観的な未来を持たない。それゆえ若者は近視眼的になり短絡的になりがちである。鎧さんには「またチャンスが来るかもしれない」という未来に対する視点がある。これを若者に授けている。この言葉により、ちいハチは気付きを獲得して、次の機会に備える心的体勢を作ることができている。これがタテの関係がもたらす効果なのである。鎧さんが授けた言葉を、ハチワレが継承し、ちいかわに繋いでいる。これは言葉だからできることである。ちいかわは言葉を話すことはできないが、受け取ることはできる。なぜハチワレが言葉を使えないちいかわの意図を100%理解できるかは謎である。