苦悩への欲望
ニーチェ『悦ばしき知識』に登場する言葉。
苦悩への欲望〔Die Begierde nach Leiden〕──みながみな退屈に耐えられず、自分自身に我慢できなくなっている幾百万という若いヨーロッパ人を、たえずくすぐったり刺激したりする何かをしたいというあの欲望のことに考えがおよぶとき、私は、彼らのうちにこんな欲望があるに違いないと思うのだ。すなわち、自分の苦しみの中から、行動し行為するためのもっともらしい理由を引きだそうとして、何としてでも何かに苦しもうとする欲望である。
いま、幾百万の若いヨーロッパ人は退屈で死にそうになっている。彼らは「何としてでも何かに苦しみたいという欲望」をもっている。彼らはそうした苦しみのなかから、自分が行動を起こすためのもっともらしい理由を引き出したいからだ。
ニーチェは様々な哲学者を縦横無尽に引き合いに出すが、中でもパスカルはお気に入りで、彼の著作の中で121回もパスカルが引用されているという。
苦しむことはもちろん苦しい。しかし、自分を行為に駆り立ててくれる動機がないこと、それはもっと苦しいのだ。何をしてよいのか分からないというこの退屈の苦しみ。それから逃れるためであれば、自分が行動へと移るための理由を与えてもらうためならば、人は喜んで苦しむ。
参考:『暇と退屈の倫理学』
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