第3回歌人・短歌紹介レジュメ
日程:8月17日
テーマ:『玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ』を読んで
木下龍也(きのした・たつや)・岡野大嗣(おかの・だいじ)の共著『玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ』を読んだトーチカの感想会です。 ・どういう詩集なの?
→木下氏、岡野氏が男子高校生ふたりになりきり7日間を描いた詩集になってます。
「弁当の底にぼんやりうつってる油まみれのぼくのたましい」木下
→油まみれの食べ物を体内に取り込む。それをたましいが汚れていく姿に重ねている。身体も魂も結果的に汚れていくのか……。
コメント
心が淀んでる感じ?
銀色のあの、お父さんが持ってるお弁当箱なんだろうな…
油まみれの弁当を食べきれる(=底が見える)「ぼく」→元気で若い男の子のイメージ
ご飯食べ終わった後って満足はするけどすっきりしないよね
「置いてかれたんじゃなく好きで残ってる好きで残って見てるあめんぼ」岡野
→強がりを感じますよね。じっくりあめんぼを見るなんてそうそうしないことですし。この書き手の周りの人間関係での立ち位置がよくわかります。
コメント
刺さる青春時代
「好きで残ってる」ってあめんぼにも言えるんじゃない?と思った。あんまりアメンボが同時に同じ場所で複数居るイメージがない。
どの歌も飾らずに素朴な言葉で表現してるのがイイ
うつむいて唇尖らせてる男子が浮かぶ
「邦題になるとき消えたTHEのような何かがぼくの日々に足りない」木下
→THEとAでは違う。あるのとないのとでも違う。何か大きな欠落を抱えている感じがしますね。たぶんみんなもあるよね大きな欠落。
コメント
英語もフランス語も勉強した身だけど、例えばフランス語なら日本語にしたとき、原文には本来ないはずのキザっぽさ、哲学っぽい高尚さがやけに発生する。そういうのと同じ「ニュアンス」の欠乏を感じるんだろうな。
自分はなにが足りないかももはやわからないほど足りない気がする。
すごく分かる。自分がパンピー(一般人)であることの悲しみ
邦題になるとき→翻訳→外国語が日本語のようにわかる?→成長して色々分かってくるときの小さい頃の期待が裏切られる感じ?
上手く言えない感じがいい。形容しづらいものをうまく表現してる
「ボス戦の直前にあるセーブ部屋みたいなファミマだけど寄ってく?」木下
→コンビニの安心感と実生活の緊張感。寄っていきたくなりますね。
コメント
町中にあるファミマと変わらず使いたい感じのファミマですね.
見知らぬ土地でチェーン店に出会うとなんかほっとするみたいな。
なんかファミマの周りが自然と暗いイメージがあった。田舎だと街灯殆ど無くて外が暗いからコンビニがやけに明るく見えたりする→「ボス戦の直前にある」セーブ部屋みたいな雰囲気なのかな。
セーブポイントってほんのり明るいからね。安心感のある光
セーブ部屋か(笑) 確かにセーブ部屋に来ると落ち着く
男子高校生が言いそうな例えw
リアルですね
確かにめっちゃ高校生感ある
ちょっとまだイタいところが抜けてない高2男子みたいな。
このファミマにくればどんなに傷ついてもやり直せる感じがするのかな?
ファミマのあとはどこ行くんだろ
「トンネルの壁に続いた落書きがふいに途切れてここから不安」木下
→落書きと言えども人のいた領域であることの証明。途切れているその先へ進むのは勇気がいる。
コメント
落書きがある=人の気配がある→落書きがない=人の気配がない。人の気配がないだけでなんか怪談になりそうな怖い雰囲気。
人の気配を感じると不安なの? 俺みたいだな(笑)
「そういう人たち」ですら、落書きしたくなくほどの場所って考えると怖いなぁ
「心電図の波の終わりにぼくが見る海がきれいでありますように」木下
→高校生が死のことについて考えているというシチュが良き。死に際に見える景色を海と例えるのは瑞々しい。
コメント
死後に見る世界(心電図の波から海を想像)が美しかったらいいなぁという詩なのかな? これが一番好きかもしれない
フラットライン(心電図の心拍数0)と水平線を重ね合わせてるのかも。
小説のタイトルっぽい。
どことなく哲学的。男子高校生が考えつくイメージないけど、闘病でもしてるのかな。
何かのドラマの影響かも。
最近闘病するティーンエイジャーとそれを連れ出す同年代の子の物語が映画化されたりとかあるからな
多感な時期だからこそぽろっと出ちゃうなんかとんでもない宝石があるときあるねん‥(。・ω・)
海好きの身にはこのきれいな感じ本当に好き
「帰る場所は買える 父さんは買いました プライスレスな何かのために」岡野
→帰る場所は誰のために買ったんでしょうね。プライスレスとは一体なんのことかな?
コメント
ちょっと【買える→プライスレス】で皮肉っぽい。
広告でありそうw
お父さんだって居場所が複数あったってええやん…。金払ってプライスレス(に感じる)愛情を得たいねん
あぁ、風俗とか…?
・・・( ˘ω˘)多くは語らん
簡単そうに見えて難しい…。
ダジャレ?
「串カツになってソースに沈められきみの奥歯で何度でも死ぬ」木下
→串カツで例えるのが面白い。串カツがかわいそうになりますね。
コメント
好きな子に食べられたいみたいな感覚だろうか。自分もなんとなく「好きな相手によって命を終えたい」感覚があるので何かわかる。
中々レベルの高い妄想ですな(笑)
セックスを「食う・食われる」って言う日本の表現があるから、そこにも通じるのかもな←👀
串カツは二度漬け厳禁(大阪)→処女性…?
何度でも咀嚼され、味われるって幸せだろうね。
逆に言えば何度でもきみに出会うって事だからね
文字通り一心同体になれるね
「玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ」岡野
→タイトルにもなっている一首。なんてささやかで美しい一首なんでしょう。緩やかな光の綺麗さが思い浮かびます。
コメント
玄関の覗き穴から差してくる細い光が好きなんだよなぁ
生まれたはずだ、っていうのが【そうじゃなかった】って言ってるみたいでちょっとした絶望感を覚える
もしかしたら誰かの考えを皮肉ってるのかも。ちょっとした絶望感も感じる
そう。思った。生まれたはずだ…ったのに…っていう感じがする…。。
僕の知ってる男性の友人で「恋人に(交わる時とか)痛い思いをさせてしまう・相手を穢す男な自分が好きじゃない」って人がいて。そういう「穢れ・加害」を性質的に持つ男としての生を受けたことに絶望してるのかなって
覗き穴から見える景色=差す光なのかな?
「スムーズに死にたいんなら笑ってろ泣くとだれかに引き止められる」木下
→引き止められたい時もあるよね。突き放すような言葉でもある。
コメント
それな! 当たり前のことを綴ったこの詩が一番わかりやすくて好きかもしれない
自殺じゃなくても、病気や寿命で死ぬことにも言えるんじゃないかな。苦しい顔をしていると「病気が治るかもしれないから」って延命されちゃう(=引き留められる)、的な。苦しんで死なれるより笑って死なれた方が安心する?っていうか。
なるほど
おお二人の会話なのかもしれないのか
刺さり過ぎてコメントが出てこなかった。
わいも……
同じく()
「倒れないようにケーキを持ち運ぶとき人間はわずかに天使」 岡野
コメント
確かに(笑)
ケーキを慈しんでそう(ケーキをぐちゃりたくない)。この瞬間だけは人間も慈しみの心を持ってる。
ケーキ食べるときのるんるん感出てる。
色んなこと考える年頃ボーイだけど、最後にケーキでにっこりする純真さがあってほっとした。
天使・キリスト・マリアに絵画で描かれる光輪=(多分、誕生日)ケーキのろうそくの光が写真に撮る時の光輪となぞらえられてる?
誕生日かな?「どうぞ」ってしてあげる感じ
ケーキを運ぶときには、人情とは別な原理にもとづいての配慮をしていそう。そのような非人間的な性質=天使性かな……と。
「伝わるといいなと歌を話すとき トーチカくんはほんとに天才」
聴きたかったのでレジュメ嬉しい