積み上げ型と議論型という2つの使用法
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積み上げ型と議論型という2つの使用法
立場の違いによって積み上げ型か議論型に分かれる。
立場の違いは全体の把握ができているかいないかによって二分される。
何を全体とするかによって立場の取り方は細分化される。
例えば、『純粋理性批判』の全体は把握しているが、カントの思想全体までは把握していない……ということはしばしばある。
積み上げ型の方法だけでは足りない。
積み上げ型と議論型は補完し合う
積み上げ型のページと議論型のページは、直接互いのページを補うのではない。
積み上げ型と議論型はそれぞれ独立しているがゆえに、その2つで全体となりうる。
https://gyazo.com/b83878d223d08a0444c548a6c75e471f
積み上げ型から議論型へ
積み上げ型が完了したとき、使用法は議論型へと移行する
積み上げ型の完了=全体の把握
何を全体とするかに応じて、積み上げ型の使用が終わるか終わらないかは変わる
全体把握の自覚の方法
何を全体とするかが恣意的であるとき、積み上げ型の使用を終えるときが来た(全体を把握した)とどのように知りうるか?
ぱっと思いつく回答
日常でアイデアが思いつくようになれば。
議論中に自然に応答できるようになれば。
考え方が(すなわち反応方法が)身についたら
自発性が全体把握の印になるかもしれない。