私は行動規範4に抵触してしまう(獏)
from 最低一言日記(獏)
アープラのSALONを定期的に眺めていて感じたことは、自分は 行動規範4「能無しの批判屋にならない」に抵触しやすい人間であると思った。参考:行動規範4
傾向
文面通りにしか主張を読み取ることができない。
主張の中身よりも、表現の仕方そのものへに関心が向きやすい。
主張をすんなり理解できたとしても「肯定」「否定」「わからない」を心の中で判断するだけで終わる。
自分の意見や主張がない。
上のような傾向の生まれる背景(推測)
1興味関心が希薄
2他人の文章を読む(当然、内容より文章自体への関心が強い)
3理解できる/できない
4
①理解できる場合→心の中で肯定・否定をして終わり
②理解できない場合→文章への批判
補足
3の「理解できない」は「文章からでは理解できない」というニュアンスが強い。
4の①に「心の中で「『わからない』として終わり」が含まれいない。「わからない」は「相手の文章に問題がある」と して4の②の方へと吸収されるからである。
ただし、以下のような「わからない」は例外である。
知らない単語が多い等の知識不足によるもの
哲学書等で感じる難解さによるもの(自身の読解力不足によるもの)
読んでいて「おかしい」と感じ、それを自分の言葉である程度説明できるときの「わからない」は相手に責任があるとしていると思う。
何故 改めないのか?
それは「文章どおりに読み取ることしかできない」は私にとっての当然であるから。
そんな私が、自分には分からない主張の理解を本気で試みるならば、その文章自体への批判や疑問の連投を避けることはできない。しかも、自分の主張や意見が私にはないために、相手からすれば「批判されただけ」で終わってしまう。
つまり、能無しの批判屋の完成である。
ここまでの記述の背景にあると思われる持論(参考)
肯定的な動機に基づいた議論は殆ど存在しない。
往々にして、疑問は否定の隠れ蓑である。
私は行動規範4に抵触してしまう(獏)#698354750000000000f6ea73にて、多くの議論は、各人の否定的な動機(不満)に端を発したものであり、この不満を多様な手段で確からしく見せかけているにすぎないと私は主張する。ただし、ある疑問・質問の文章へのレスポンスと連なる形の議論ならば、その限りではないかもしれない。
しかし、続く私は行動規範4に抵触してしまう(獏)#698354750000000000f6ea74をもって、私は議論全体への不信感があることを表明する。
以上の記述は 2026/02/04時点での私の思うところをできる限り正確に書いたものである。以降、心境の変化や修正がある場合は以下に書いていこうと思う。ただし、誤字脱字等は断りなく修正します。baku3.icon