研究会についてのメモ
研究会についてのメモ
これは未完のメモ。誰でも書いてちょ
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上記のやりとりをちょっと確認した上で自らの経験をふまえて浮かんだこと なおまだ書き手も方法を模索中である点ご留意のこと あとで分離するかと また、まとめた上でポリスに入れたい
これはすでに研究会がいくつかあるので調整する必要があるが、研究会を作りたいメンバーはまず研究発表を行う。これは、研究会発足後に比べたら軽いものでいい。また、その過程のオープンクローズも問わない。
研究会チャンネルは、研究発表の準備をするところ。
個々の研究会チャンネルは全体には見えない方がいい。
研究会には、研究発表を定期的に行ってもらう。期間は数ヶ月おきでもいいと思う。
研究発表は読書会と別。だが、読書会の知見を発表に活かすのはアリアリのアリ。
数ヶ月おきの発表後、一週間くらい、研究会の参加者希望者を受け付ける。
つまり、研究会は研究発表を行うことで研究会をアッピールする。
vcについて。研究発表の打ち合わせには、クローズなvcでもいいが、もし研究会の存在と活動をほんのり見せるなら人数制限機能を使ってもいいかも。例えばメンバー5人のとき、6人までのvcでクレイグを呼んで録音するなど。研究発表自体がvcでの録音とテキストとを編集したものであってもいい。
これは個々の研究によって違うだろうが、各メンバーで役割分担するのがいいだろう。
研究といっても、例えば最初のうちは関連する一冊か一論文を一人一つまとめて、持ち寄った知見をさらにまとめて発表するといったことでも研究対象の理解に有益なのではないか。読書会と違うのは、基本的に参加メンバー全員に役割があり、メンバー以外の第三者にむけてまとまったものを公開できる形にすること
また、質は高いにこしたことはないが、一回すべて完璧にまとめる必要はないだろう。ここまでわかったが、ここはわからなかった、は、むしろいいことではないだろうか。おそらく重要なのは活動が常に何らかの目的にむけて稼働していることである。
などと書いてはいるがあくまで空想の領域である
逆の方法もある。オープンにフリーに性善説?で行う(といっても、上記の方法が性悪説にもとずいてるわけではない……と思われる)
別の考え方:いやいや、システムを個々の研究会のニーズに応じて柔軟に変えていくほうがいい。システムによってやりにくくなったら本末転倒だ。
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そもそも、「研究」という言葉を用いる場合、「研究」とネットコミュニティの相性関係をちょっと考えてみるのも無駄ではないかもしれない。
アープラは研究を主軸に置いたところではない。
アープラに参加する人々は、最初から研究をしに来るわけではない。
参加者はお互いに興味分野やそれに対する態度を参加しながら知っていく。
→不特定多数からこれ!といった対象について研究メンバーを募集し、集まり、研究するというのは、たとえばネット上の同志でクローズな場で何かについて研究するという場合と、どのような違いがあるか(not反語)という観点
大学や研究機関で研究したことのある人もいれば、したことのない人もいる。
→そういった研究とアープラの研究を同一水準にしなければならないかどうかという観点
需要について。「研究」という言葉を使うと、敷居が高く感じたり、研究に携わって精通しているがゆえにオッと身構える人もいるかもしれない。逆に、それでもしばしば研究という言葉が俎上にのぼっていることから推察すると、長期にわたり、何らかの対象テーマについて考察検討実験観察していくという(共同)作業への願望は存在していると考えられる。しかもそれは部活動と区別されるものであるらしい。ちなみにイタロー.iconは研究を猛烈にしたいわけではない(オイ)。しかしアープラなどの形態のコミュニティで研究にしろ勉強会にしろ、それがどのようにあり得、どこまで可能か、などの模索には興味がある。
それが集団での研究であろうとも、やはり個々人の研究が基本にあることはいえそうである。同時に、個々人の研究を統合する努力も必要そうだ。