真に美しいものは何の役にも立ち得ないものだけであり、有用なものはすべて醜い
「真に美しいものは何の役にも立ち得ないものだけであり、有用なものはすべて醜い」
これは芸術のための芸術(l'art pour l'art )による主張であり、ゴーティエは芸術は政治や社会改革に奉仕すべきだという当時のジャーナリズムに対抗したのである。 また彼は「一般的に言って、何かが役に立つと、それは美しくなくなる」「例えばトイレを見てみろ。トイレは役に立つだろ?」とか言っている。私はここにデュシャンの『泉』との関連性を見た。つまりデュシャンは『泉』でトイレの有用性を奪いとってしまったわけだが... おそらく当時の世論に疑問を持った彼なりの極論なのだが、(なのでこの主張は論理的に正しいというより、対抗軸として打ち出した側面がつよいのではないか)例えばあるものが存在してるとして、それが世間的に有用であるとすると、金銭欲とか野心とか、そういうものに結びつきやすい。そうでない方(無用である方)が「美」としては自立してるんじゃないかとか、そういうことが言いたいんじゃないかと思う。