理解のロックモデルと理解のブランダムモデル
理解についての見方
理解のロックモデルと理解のブランダムモデル
これは白川晋太郎先生の言葉かと思うが、定かではない。 理解のロックモデルは、話者の心のなかの意味を口にして、それを聞いた聞き手がその意味を自らの心の中で再現したら、意味の理解が起こったということになる……という感じ。〈気持ちを伝える〉という感じかと思う。 code:例
「では、カットしたテキストをここにコピーしてください」
これを聞いて、私なら次のように思うかもしれない
「ペーストしてくださいじゃないか?もう一度コピーしてどうするんだ?」
と。
とはいえ、「ここに」って言ってるんだから〈貼り付け〉に決まってると判断し、(CTRL+Cではなく)CTRL+Vを押すだろう。
あるいは、「自分だと『ペーストしてください』が合ってると思ってたけど、コピーは複製を意味するから、別にコピーでもなんら間違いではないし、むしろ分かりやすいかもなぁ」と思うかもしれない。
このとき、私は、自分からは欠損があるように見える相手の言語表現の穴を自分の語彙で埋めることでその言語表現の正常な表現力を回復させたうえで、〈相手の言いたいこと〉を自分の心のうちに再現させた……わけではない。
相手の推論関係「カットしたテキストを貼り付ける指示を与えるならば、『それをコピーしろ』と言うべきだ」というものと、自分の推論関係「カットしたテキストを貼り付ける指示を与えるならば、『それをペーストしろ』と言うべきだ」というものとを行き来して、「そういう言い方もあるかもなぁ。まあ、俺が言うときはペーストって言うかもだが」と収める。
ここで重要なのは、〈心の中〉や〈意図の表現〉を使わなくても他者理解を説明できるかどうか、となる。
卑近な話だと、「あの人好きだな」という思いがあったとき、「この好きはどういう意味での好きだろう?」と考えて、しかも、「この好きは私の内の何を反映したものだろう?」と考えて、なにやら〈打算〉のようなものに思い当たり、自分を責めるといった場合だ。例えば、一年に一回だけ正月にだけ会えるお兄さん(お姉さん)がいるとする。その人と遊ぶのが何よりも楽しい。しかし、一年に一回しか会えない。そんなとき、あるクラスメイトのことが好きで好きで仕方がなくなった。そのクラスメイトは、そのお兄さん(お姉さん)にどこか似ている。そういうことがあったとき、「私はあのお兄さん(お姉さん)と遊ぶことができないから、その身代わりとして、あの子を求めているのでは?であれば、あの子への好意は偽物なのでは?」などと思い悩むことになるかもしれない。卑近すぎて逆に難しい問題でもある。いや、それが難しい問題にみえるのは、〈好意における偽物や本物〉というマヤカシに陥っているからではないか。 うまく言えないが、ここらへんの問題意識と、理解のロックモデル、ブランダムモデルは関係しそうだ。