現実から逃避するかとどまるか
あのこ。これは考えさせられるな。辛い現実がある中で、その現実から逃避する手段を持ちながら、いつも現実に戻る方を選んできたのがちいかわ。その辛い現実に戻らない方を選ぼうとしているのがあのこ。古今東西従来の物語では、もちろんちいかわ型が肯定されて、あのこ型は否定されるのが常なのだけど、少なくともこの回においては、あのこ型はあまり否定され切ってはいない。ここがナガノのすごいところなのだけど、なぜ古今東西従来の物語では、あのこ型が肯定されて来なかったかという理由もあって、これが肯定されてしまうと、「文学」や「物語」というものの大前提が崩れてしまうからだろう。それは詰まるところ、「人間が生きていくため」ということにつながる。それは集団、個人共に。逆に、この回における否定的な要素を考えてみると、「強さ」や「安心」が弱いものを駆逐した上で成り立っているということ、つまりこれはその個人における快であって、集団における快ではないということ、むしろ集団に対してはマイナスを与えるうえで成り立つ個人のプラス。またそれとつながりがあるけれども、他者と喜びを共有するということは彼にはこの先訪れないだろうということ。彼が以前に行っていた他者とお菓子を共に食べるような喜び、彼が強さを手に入れた代わりにこれを犠牲にしているということ、そしてちいかわが「楽」を放棄する代わりに、大事にしていることがこのような他者とお菓子を食べる喜びということ。このような些細な幸せを守る代わりに、辛い現実と向き合う選択をし続けているということ。人間がこの世に生き続けていくということを選ぶならば、このような考え方をするしかないだろう。するというよりは至るということかもしれない。それが一つの悟り。