楢山節考の評価
松岡正剛は上記のブログ内で、その理由を「「私」とか「自由」とか「社会」をばかり主題にしていた戦後文学の渦中に、まるで民話が蘇ったかのような肯定的ニヒリズムがぬくっと姿をあらわしたからだったろう。」と書いている。 上記のような理由から、楢山節考(だけでなくその後の彼の作品)は「アンチ・ヒューマニズムである」と言われることがある。 具体的には自由人の系譜 深澤七郎(1)「楢山節考」|同伴者の本棚に詳しく書かれていて、それによると、「彼の小説には徹底的に知性が排除されており、戦後民主主義が掲げる理想の一つとされたヒューマニズムさえ寄せ付けない。そこに存在するのは、素のままの人間たちであり、敗戦後の復興日本人の知の虚妄に、敢然と背を向けている」からだとしている。 また当時の選者の三人は1200篇を超える応募総数の頂点に「楢山節考」を一致して推挙している。
三島 「ぼくはまず題が非常にしゃれていると思ったな。非常にやぼな、変なスタイルだと思っていたのだけれども、別なおもしろみもあって、初めはどういう小説かまったく見当がつかなかった。変なユーモアの中にどすぐろいグロテスクなものがある。たとえばおばあさんが自分の歯を自分で欠くところなんかを出して、だんだんに暗い結末を予感させていくわけですね。ぼくは真夜中の二時ごろ読んでいて、総身に水を浴びたような感じがした。最後の別れの宴会のところなんか非常にすごいシーンで、あそこを思い出すと一番こわくなる。そのこわさの性質は父祖伝来貧しい日本人の持っている非常に暗い、いやな記憶ですね」
武田 「いかなる残忍なこと、不幸なこと、悲惨なことでも、かえってそれがひどくなればなるほど、主人公の無抵抗の抵抗のような美しさがしみわたってくる」
伊藤 「僕ら日本人が何千年もの間続けてきた生き方がこの中にはある。ぼくらの血がこれを読んで騒ぐのは当然だという感じですね」
このブログ記事は普通に面白い。
辛口評論家として知られる正宗白鳥も、「ことしの多数の作品のうちで、最も私の心を捉えたものは、新作家である深沢七郎の『楢山節考』である」とし、「私は、この作者は、この一作だけで足れりとしていいとさえ思っている。私はこの小説を面白ずくや娯楽として読んだのじゃない。人生永遠の書の一つとして心読したつもりである」と絶賛している。また福田宏年も、「私は戦後三十年の日本文学の作品の中でただ一作を選べといわれたら、ためらうことなくこの『楢山節考』を挙げたいとおもいます」と評している。