心理学の性質
よく「心理学には再現性が無かった」なんていう主旨のことを、あたかも重大な秘密を暴露するような、鬼の首をとったかのようなニュアンスで表しているのを見かけることがあるが、心理学を学んできた人間からすると驚くことは何もなく「まぁそうだろうな」という感じだ。 心理学は厳密になれない
元々心理学というのはそこまで厳密な学問ではないのである。それは価値が無いということではない。
この厳密ではないという理由は3点ある。
・測定対象が限定しきれないこと
・統計学の性質
・再現研究の実施が保障されていないこと
である。
真理性の度合
これは後々気が向けば詳しく書いていくとして、
学問ごとの真理性の度合みたいなものを考えてみる。
感覚的な話であるが、数学・論理学は90%台、物理学は80%台、心理学は50~60%台位だろうという感じである。
これは心理学が劣っているという話ではない。対象が「心」である以上仕方がないのである。
その中ではよくやっているとも言える。
気持ちとしては、数学・論理学は100%にしたい所であるが、ゲーデルの不完全性定理などを考慮に入れて配慮した。
物理学は、自然科学の中ではお手本にされるような最高位に位置する学問ではあるが、やはり客観・世界・現実を相手にしている以上、そこにカオスが混入してくるゆえ、純粋に記号のみを相手にしている数学・論理学よりも下げざるを得ないだろう。
論理学は記号を相手にしている感じがあるが、数学は純粋に記号を相手にしているといえるのだろうか。「数の世界」という客観を相手にしているのではなかろうか、という疑問が頭をもたげる。
たとえそうだとしても現実の世界の混沌と数の世界の混沌とはやはり質が違うだろう。
数学は発見なのか創作なのか。考古学のように何か眠っているものを、ただ人間が掘り出しているのだろうか。
人間がいなくても数学は存在するのだろうか。
「不可逆性」が使えない
話を戻すが、例えば会話で「心理学にはこういう理論があって」と紹介する。
ここまでは全然いい。むしろ大いにやればいい。自分もやるだろう。
だが「それは心理学の研究で証明されていて」
こうなるとまずい。まずい理由がいくつかある。
一つは「証明」というワードである。この証明というワードを使うことが許されるのは数学だけだろう。
なぜなら証明は100%正しいことを意味するからである。
物理学ですら証明は使えないと思う。
それでは客観を相手にする科学はどういえばいいのか。
それは「検証」を使えばいい。
「検証」に使われている真理観は「一致」である。
つまり、理論と客観との一致を検証するのである。
それでは「それは心理学の研究で検証されていて」
これなら良いであろうか。
いやこれもまずい。ここからが本題である。
「証明」という言葉を使おうとも、「検証」という言葉を使おうとも、
ここで話者が言おうとしている意味内容は変わらないからである。
元々ここで話者が言おうとしているのは「不可逆性」なのである。
「不可逆性」というのは、
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