幼児的願望
幼児的願望とは、わがまま、頑固、恩着せがましさ、ナルシシズム、依存性、いつでも誉められたい、注目されたい、求められたい。努力したら「よくやったねー」と言われたい。
周囲の人にはいつも自分の話をしてもらいたい、だから人の話題はつまらない。
いつも自分一人が得をしていたい、でも利己主義とは言われたくない。
損するのはいや、でも寛大な人と言われたい。辛い自分の気持ちを汲んでもらいたい。
いつでも「あなたは正しい」と言ってもらいたい。無責任でいたい、でも尊敬はされたい……。
幼児的願望とは、とにかく自己中心的である。さらに重要なことは、幼児は「してもらうことがあたりまえ」と思っている。自分のしてほしい何かをしてもらえることがあたりまえと思っている。
幼児的願望とは、無条件に愛してほしいという叫びでもある。相手に何かを与えるのではなく、与えてほしいという叫びである。
幼児的願望としての愛は、常に愛されることである。
例えば、幼児的願望を抱えた人が今まで名誉を求めて頑張ったのは、名誉を得れば人が認めてくれて、チヤホヤしてくれると期待したからである。
つまり、名誉を得れば幼児的願望を満たせると思って頑張った。
しかし、結果はそれほど認めてもらえなかった。そこまでしても認めてくれないということで心の底に憎しみが堆積する。
そして、生きることに対する疲労感で押しつぶされそうになっていく。→生きることに疲れた人
もう一つは、自分と他人との関係が理解できなくて、幸せな人間関係を形成できない。
まず何よりも近い人間関係がうまくいかない。
幼児的願望を満たされていない者は、愛されたいという強い願望と同時に、自分が愛されているかどうか不安だから常に自分が愛されていることを確かめようとする、その「しつこさ」ゆえに嫌われやすい。
幼い頃から「良い子」を演じている人は、何よりもこの幼児的願望が満たされていない。これが満たされないままで社会的に大人になると、この幼児的願望は心のなかに残る。
大人になって幼児的願望が抑圧されていると、表面は大人の顔をしなければならないから憂鬱になる、イライラする。
幼児的願望を持っている人は、いつも不満である。
そして、その不満をいつも我慢しているから、どうしても重苦しい人間関係にならざるをえない。
例えば、いつも自分に注目してほしいという気持ちを幼児のようにあからさまに表現できない。だから、注目されないときには我慢するから不機嫌になる。
幼児的願望を持っている人は、自分が一番必要としている人に憎しみを持ちやすい。
愛する人から望むだけ愛されないから、愛する人に敵意を持つ。そうして、愛憎併存感情に苦しめられる。
多くの場合、幼児的願望を満たしてくれるのは母親だけである。その母親が大人だったら、与える喜びを知っているから、幼児的願望は満たされる。
しかし、幼児的願望を満たしていない母親は、子供に自分の気持ちをぶつける。子供は母親に気に入られようとして、自分の気持ちを押し殺して「良い子」になろうと努力する。だから、「良い子」は幼児的願望が満たされないまま大人になる。
子育ての原点は、「子供を育てる」というよりも「子供をかわいいと思うこと」である。子供は「かわいい」と思われるから心理的に成長できる。
それなのに、うつ病になるような人や生きることに疲れた人は、誰からも「かわいい」と思われないで育った。
そうした人間関係のなかで心理的に成長することができず、幼児的願望が心の底に残った。
愛された人だけが人を愛することができる。愛されるなかで愛する能力が培われる。
しかし、愛されなくても社会的には大人になっていく。そして、人から何かをもらいたいときにでも自分が与えなければならない立場に立っていく。
幼児的願望が満たされないのに大人として毎日社会生活をするということは、常に本当の自分を隠して生きているということであり、エネルギーの消耗は当たり前であり、大変辛いことである。
幼児的願望は、幼児期に満たそうとする限り、社会的に問題を起こさない。
幼児が幼児的願望を満たそうとわがままを言うのはあたりまえだ、と周囲の人が思っているからである。
しかし、大人になってそれを満たそうとすると、社会的に破綻することが多い。
他に、幼児的願望を持っている人の重要な特徴は、その場で自分を満足させようとすることである。
幼児は待てない。したがって、幼児的願望が満たされていない大人は、時間をかけて何かを達成することができないことが多い。
もし努力したとすれば、「今すぐ賞賛がほしい」となる。しかし、その場の賞賛は得ても、長い人生の軌道を狂わせてしまう。
幼児的願望を持っている人は、努力したとしても、その場その場の満足を求めてしまう。先のことを考えられない。だから、たいていの場合、最後の結果は悲惨である。
幼児的願望を抱えた人は、欲張りの人、今を癒してくれる人を好きになる。
自分の命を守ってくれる人を求めない。自分の命の尊さを知らない。
幼児的願望が満たされていない人は、自分に無理をして努力をしても、地に足のついた生き方ができないことが多い。
遊びたい気持ちを抑えて真面目に働いた人も、「時を待つ」ことができなければ、最後には社会的に破綻する。
社会的に破綻するとは、アルコール依存症になるとか、犯罪に手を染めるとか、無気力になるとか、うつ病になるとか、家族を養えなくなるとか、自分に相応しい仕事ができなくなるとか、仲間と折り合いが上手くいかなくなるとか、子育てに失敗するとか、社会のなかで生きていく能力を失い、生活が破綻することなどである。
幼児的願望がまったく満足されないままに大人になってしまった人はどうすればいいのか。
ある人は罪を犯す。
ある人は非現実的な正義を唱えて政治的過激集団に入っていく。
多くの人は仕事において強迫的に名誉を求めて燃え尽きる。
恨みを持ちつつ愛着人物にうるさくまとわりついて、逃げられて孤独になる。
そして、人を憎み、世を恨んで死んでいく。
参考:『自分のうけいれ方 競争社会のメンタルヘルス』