市場の蝿
ツァラトゥストラ第1部
新しい偶像 - 「純潔」
図書室フォーラムでの議論
Discord
登場人物
友
民衆(世の小人たち、蝿)
大俳優、演出家
対比がある
市場と孤独
喧騒と沈黙
YESなのかNOなのか言わせることと待つこと
「そしてかれにとって、血はあらゆる論拠のうちの最上のものである」について
「かれ」とは「俳優」のこと
翻訳した手塚氏は、ビスマルクの言った「鉄と血」をヒントに考えているようだ。中公文庫p541
関係するかもしれない箇所が「アンチクリスト」の53番にある
彼らは、彼らが歩いてきた道に血のしるしを書きとどめて来た。彼らの愚かさは、血によって真理を証明せよ、と教えて来た。/しかし、血は真理の証人としては最悪である。血は、最も純なる教えをも毒し、心の妄想とし、憎しみと化す。
白水社の『ニーチェ全集第4巻(第II期)』p251より引用。
53番では全体にわたって殉教ディスが行われる。
殉教は人心を惑わすものである
誰かがある事柄のために生命を捨てたからといって、事柄の価値がいくらかでも変るということがあるのだろうか?
殉教は次のものと対比される
「物事をつぶさに吟味する心」
「吟味と慎重の精神」
53番の手前の52番で話題になる「文献学」久住哲.icon
――神学者のもう一つの目印しは、その文献学の無能力である。ここで文献学というのは、非常に一般的な意味合いにおいて、上手な読み方の技術と解して貰いたい。――事実を解釈によって歪めることなく、事実を読み取り得るということ、これである。
『存在と時間』との関係
良心について
そうだ、わたしの友よ。君は君の隣人にとって、良心の呵責なのだ。
中公文庫p83
覚悟せる現存在は、ほかの人びとの《良心》となることができる。
『存在と時間』§60、ちくま学芸文庫下巻p159
沈黙について
良心の呼び声は、たえまなく負い目ある存在の前へひとを引き立て、このようにして自己を、世間の常識がまきちらす騒がしい世間話から連れもどす。してみれば、良心を持とうとする意志にふさわしい分節的な話の様態は、沈黙である。
『存在と時間』§60、ちくま学芸文庫下巻p155
わたしは見る、君が世の有力者たちの引き起こす喧騒によって聴覚を奪われ、世の小人たちのもつ針に刺されて、責めさいなまされていることを。/森と岩とは、君といっしょに高い品位を保って沈黙することを心得ている。君は君の愛する木、あの大枝をひろげている木と、ふたたび等しくなれ。
中公文庫p79