定義を理解できない人がいれば定義は失敗か
結論:
詳しくない分野の定義を自分が理解できないことはたまたまであり、偶然の無理解はメノンの想定するところではないので、出されている例は主張を補強しない
説明:
指摘を言い換えると、「定義を理解できない人がいる(全員が理解できる定義ではない)事実は定義の成功の必要条件でない」と言えるだろう。
しかし、このとき、メノンの批判意図を考慮するのであれば、「定義を理解できない人」として想定されているのは、任意の誰かではなくて、根本的に「理解」不能である人でなければならない。
ある専門分野に詳しくない人がその専門分野でなされている定義を理解できないのは、その人の知識不足や努力不足に原因がある。(これを「偶然的不可能」と呼ぶことにする)
いっぽうで、色を表象できない人にとっての色は、端的に「理解」が不可能である。(これを「必然的不可能」と呼ぶことにする)
注:色を知覚できない人であっても色の概念を理解することはできる。この点でそもそも何かが間違えられている気がするが、手元に本がないのではっきりとはわからない。
例では偶然的不可能の例を出しているが、そこでは必然的不可能の例を出して、かつ、その定義がうまくいっていることもあるという例を出さねばならないだろうと思う。
注:「しかし、そういう例はない」というところまで久住哲.iconは主張しない。
この批判の射程はすごく短い