「細胞の記憶」と「意識=存在」
『死靈』五章「夢魔の世界」(Ⅱのp219など)の「意識=存在」の定式は、これももうずいぶん言われていることでしょうが、『ドグラ・マグラ』の「細胞の記憶」をどうしても連想させますね……これもとても興味深い。
ドグマグの細胞の記憶が、脳髄を相対化するものであるのに対し、
意識=存在は、
《終わりからは始められぬ》
《巨大な無関係》
『死靈』五章「夢魔の世界」(Ⅱのp219など)の「意識=存在」の定式は、これももうずいぶん言われていることでしょうが、『ドグラ・マグラ』の「細胞の記憶」をどうしても連想させますね……これもとても興味深い。
ドグマグの細胞の記憶が、脳髄を相対化するものであるのに対し、
意識=存在は、
《終わりからは始められぬ》
《巨大な無関係》
エピグラフ
悪意と深淵の間に彷徨いつつ
宇宙のごとく
私語する死霊達
埴谷雄高の未完の長編小説。『死霊』。
埴谷雄高と吉本隆明の対談本
1975年刊
五章「夢魔の世界」発表時の対談である
20世紀
1974年 1976年
出来事
埴谷雄高が長いブランクを経て『死霊』五章夢魔の世界を『群像』に発表する
発表
四章 霧のなかで
五章 夢魔の世界
六章 《愁いの王》
解説 鶴見俊輔
文庫版『死霊Ⅱ』メモ