二笑亭
1877年?~1942年6月20日
東京深川の地主であった渡辺金蔵は、1927年12月頃、現在の門前仲町に自ら大工、職人を指揮して住宅を造り始めた。 関東大震災の影響で金蔵は神経衰弱気味であったと言われている。 金蔵の指示はまとまりがなく、設計図などもないので家の内装は奇妙な形状を成していった。
金蔵による改築は終わりが見えず、(余分なオブジェが付け加えられていくだけの)工事が延々と続けられた。
近所では「牢」「お化け屋敷」などと呼ばれていた。
奇行が目立っていた金蔵は1936年4月24日に加命堂脳病院に入院させられ、二笑亭は2年後の1938年4月頃に取り壊された。
建物に興味を持った精神科医、式場隆三郎が取壊し前に谷口吉郎と共に調査を行い、多数の写真を収録した『二笑亭綺譚』(1938年、二笑亭に関するほぼ唯一の資料)としてまとめた。