不充足理由律
das Prinzip des unzureichenden Grundes(PDUG)
とかく子供というものは、嘘つきであって泥棒や警官ごっこが好き、自分がたまたま一員となったX大通りのY家をいつだって世界で一番立派な家族とみなす心積もりでいる。それゆえ愛国心を抱きやすいものだ。ところがオーストリアではいささか状況が込み入っていた。歴史上オーストリアもまたそれぞれの戦争に勝利していたが、その後で大抵何かを割譲しなければならなかったからである。それが思索のきっかけとなり、ウルリヒは愛国心についての作文の中で、心から祖国を愛する者は決して祖国を一番だと思ってはならない、と書いたのだった。それが特に見事なひらめきに思われたので、彼はその中のものを見るというよりむしろその輝きに目がくらんだ状態で、疑わしい論証をさらに進めたのである。神もまたおそらく自らの世界を可能性の接続法で語ることを望むだろう、なぜなら(hic dixerit quispiam = 異を唱える者もあろうが)神はこの世界を造っておきながら、同じくらい別の形もあり得たと考えているのだから、と。彼はこの作文に自信を持っていたが、おそらく表現に分かりやすさが足りなかったためだろう、大騒ぎを引き起こしてもう少しで退学処分になるところだった。だが彼の大胆不敵な主張が祖国への中傷なのか、それとも神の冒瀆なのか解釈を決定することができなかったため、処分は下されずに済んだのである。 他に登場する箇所: