三矢重松先生歌碑除幕式祝詞
https://www.youtube.com/watch?v=wyhtuly-LSI
國學院大学での恩師三矢重松が亡くなったあと、先生の故郷山形県鶴岡市の春日神社に歌碑を建立した時に奉じた祝詞 この御歌よ。石には彫らず、里人の心にゑりて、とこしへに生きよとこそ。かく申す心を、天がけりより來る三矢重松大人のみたまや、かくり世の耳明らかに聞き明らめ給へ。
みまし命過ぎ給ひしより、早く十年に三年あまりぬ。うつし身こそは、いよゝ離り行け、おもかげはます〳〵けやけくなり來給ひて、しぬび難くなりまさるに、いかで、大人の命のいにしへの後たづねまつらむの心を起し、千重隔る山川こえて、山川更にとりよろふ出羽の國庄内の國内にまうで來つるわれどちの心知りたまふや。
みまし命、いまだこの鶴岡の町の子どもにて、わらは髪うち垂りつゝ、町といふ町巷といふ巷行き廻り遊び給ひしほどのけしき思はするもの多く殘れるを、この里のみ中の春日のすめ神の御社よ、遠きその世のをさな遊びに、となり〳〵の同輩兒らとうち群れたまひ、心もゆらにたはぶれ給ひし日のまゝぞと、里びとの告ぐるによりてとめ來れば、宮の内外の古き木むらも仰ぎ見る額の繪のかず〳〵も、皆みまし命の幼目にしみて親しかりけむと思ふに大人のかくりみすらたゞここにいまして、今日の人出にたちまじり、たのしみ享け給ふと、今しはふと思ひつ。
あはれ、この處のよさや、里古く屋竝とゝのほりあたりの家居正しく、人心なごみて、たゞ靜かなる神のみにはなりけり。そのうぶすなの神のみ心おだひに、こゝをこそあたへめとよさし給へるまに〳〵、この場の隈處をえらび定めて、大人のみ名永く、御思ひ深く、里人の心にしるさむと、そのかみ鋭心盛りにいましゝ日のよみ歌一つ
價なき玉をいだきて知らざりしたとひおぼゆる日の本の人
とあるをすぐり出で、よき石だくみやとひて、たがねも深に岩にきりつけ、今しこゝに立ちそゝれる見れば、遠き山川、近き里なみと相叶い、ところえてよろしき姿なるかも。
たがねも深に岩にきりつけ、どういう表現?すごいcFQ2f7LRuLYP.icon
もっと読み込んでる人はきっと古代歌謡まで見えるのかもしれない(自分はうといので見えない) あはれ、大人のみたまや。われどちのをぢなき心もてすることを、よしとうべなひ享けたまふや。又いたづら事と苦み憎みたまふや。唯ひたぶるに、なぐしきみ心に見直し給ひ、心おだひに、たまのよすがになしたまひて、ゆり〳〵もこゝに來たまへ。しかあらば、この御歌よ。里人の心にしみて、大人の御心は、見はるかす山川とひとつになりて、とことはに生きなむものぞとまをす。
ひえー。『死者の書』書いた人はちがうぜよ。した、したイタロー.icon 『死者の書』まだまだ読み込めてないからそのうちまた読み直そう……(『死者の書』読書会があった)