リチャード・プリンスについて
彼が何をしたかというと、写真そのものを被写体に写真を撮り始めたのである。
ファッ!?って感じだが、彼はなんと写真の写真と撮っているのである。
彼の被写体となった写真というのは、何か決定的な瞬間に結びついた記録的な写真とかそういうものではなく、雑誌や広告に載ったどうでもいい広告や表紙の一部である。それらを大量に複写し、集積したものを作品として公開する。つまり一度複製され印刷された、撮り終わってしまった膨大なイメージの切れ端の集積、それをもう一度撮影するという奇妙なことをやっているのである。
これは、写真というものが、未知の外界を撮りつくしてしまったということと関係している。メディアの発達により、どんな風景や場面も、全ての写真のイメージは、どこかで見たことのあるありきたりなイメージにしか見えなくなっている。
プリンスは、そんな撮り終わってしまった写真たちの集積をもう一度撮ることによって、それらを異なったイメージとして再生するのである。
彼は、それまでにあった、誰も写したことがない写真を撮るようなーー外界に新しい被写体を求めていく行為とは違うーー写真をかたちづくっている内蔵イメージの総体、すなわち写真を形づくってきた歴史の内部に目を向け、それを撮るのである。
つまり、彼は写真の(厳密に言うと「写真史」の)シミュレーショニストなのである。